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Phase:02 現実は筋書きよりも奇なり
Side A - Part 8 もうひとりの生存者
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洗面所で歯磨きを終えた鈴歌が、ダイニングに戻ってくる。同じタイミングで、お父さんがあたしに食後のお茶を出してくれた。
あたしたちがそれぞれ屈んで犬用の食器セットを手に取り、マグカップを口に含んだ瞬間――
『注目のキャプテンはやはりこの人! 国内プロスポーツ界で唯一の〝アルティメット枠〟指定を受けた、J3・東海ステラの絶対的エース。
サッカー男子日本代表でも、背番号10で大活躍! 〝りょーちん〟こと、フォワードの佐々木シャルル良平選手です!』
その名前が耳に入ったのは、あまりにも突然だった。木製の台が鈴歌の手を離れ、フローリングの上にルナールの飲み残しをぶちまける。
あたしもきったないうめき声をあげてお茶を吹き出し、咳き込んでしまった。
「はい、報道出た! 公式発表流れた! これで僕も言いふらせる。みんな――! りょーちんが来るぞイヤッホォ――ゥ!」
「うえっ、けほ……なんでそういう大事なこと黙ってたのお父さん!?」
「守秘義務(以下略)」
「お父さんのアホ――!」
待って、待って待って。理解が追いつかない。この町に、お父さんの関わってるクラブにJリーグから誰がお越しになるって?
りょーちんといえば、あたしみたいにサッカー知らない勢も顔写真を見るか愛称を聞けば「あ~!」となるような、たぶん日本一有名な選手だ。
静岡人のイメージに違わず、穏和かつ陽気で笑顔が絶えない。居るだけでまわりを明るく照らすその在り方は、太陽を擬人化したようとも称される。
それから、無類のたい焼き好き。自分で焼いて食べるのはもちろん、あの形のグッズ全般大好きな筋金入りのマニアだって聞いたことあるよ。
そんなスター選手が、【昨年3月 静岡・富士アステラシアフィールド】のテロップが表示された仮想ディスプレイの中を風のように駆け抜けていく。
金と黒の髪をなびかせ、小柄ながら〝和製コンコルド〟とも言われる足の速さと抜群の存在感を誇る主人公が。
『彼、海外移籍前に別次元行っちゃったの!?』
『現在、佐々木選手は国内外の公式戦において厳しい出場制限を課されており、前後半のどちらかとアディショナルタイムを超える起用は認められていません。
そのため、リーグ戦などの順位に影響しない記念試合や中部・西日本大震災のチャリティーマッチなどを除き、フル出場は見たくとも見られないものでしたが……』
『現実ではりょーちんがみんなに合わせなきゃいけないけど、MRはその逆。みんながりょーちんの規格に合わせるのね』
『つまり、いくら暴れても構わないと』
『誰よ、こんなすごいこと考えたの! みんな観るしかないじゃない!』
『そして、佐々木選手を語るうえで外せないのが、先ほどご紹介した羽田選手。
幼い頃に出会った二人は、サッカーを通じて惹かれ合うようにコンビを組み、ともに才能を開花させたことでも知られています。
かつては盟友、高校では宿敵としてぶつかり合った二人。再会にあたってどんな関係を築いていくのか、今後も目が離せません』
水をこぼしたことを忘れるほどワイドショーの解説に聞き入っていた鈴歌は、ハッと我に返ると手際よく後始末を始めた。
濡れた靴下はあたしが貸した予備に取り替え、スラックスの裾はドライヤーの温風を当てて乾かす。ルナールの食器もきれいに洗って、専用の乾燥棚に置く。
それから、あたしの腕をつかんで「澪、行くぞ」と言った。
「待ってよ、あたしまだ歯磨いてないんだってば。行くってどこへ?」
「いいからさっさと身支度を済ませろ」
反論する暇さえ与えられず、あたしは無理やり洗面所に押し込まれた。
お父さんはそんな様子を微笑ましげに眺め「落ち着きなよ二人とも。興奮するのは分かるけど、まずは目の前にある仕事、学生の本分を全うしてきなさい」などとのたまう。
無理だよお父さん。鈴歌は時間も学校も、高校デビューさえどうでもよくなってる。今すぐ足を使ってりょーちんを捜し回るつもりなんだ!
「アオーン!【ボクも連れてけー!】」
「行ってらっしゃ~い」
「なーんで涼しい顔するかな、うちの男どもはぁぁぁぁぁ!」
物語の始まりは、いつだって唐突だ。天才のそばには、いつもあたしの姿がある。
旅は道連れ世は情け、拒否権なんてものはない。
午前七時四十二分。真新しい制服に身を包んだあたしたちは、新たなステージに向けて最初の一歩を踏み出した。
あたしたちがそれぞれ屈んで犬用の食器セットを手に取り、マグカップを口に含んだ瞬間――
『注目のキャプテンはやはりこの人! 国内プロスポーツ界で唯一の〝アルティメット枠〟指定を受けた、J3・東海ステラの絶対的エース。
サッカー男子日本代表でも、背番号10で大活躍! 〝りょーちん〟こと、フォワードの佐々木シャルル良平選手です!』
その名前が耳に入ったのは、あまりにも突然だった。木製の台が鈴歌の手を離れ、フローリングの上にルナールの飲み残しをぶちまける。
あたしもきったないうめき声をあげてお茶を吹き出し、咳き込んでしまった。
「はい、報道出た! 公式発表流れた! これで僕も言いふらせる。みんな――! りょーちんが来るぞイヤッホォ――ゥ!」
「うえっ、けほ……なんでそういう大事なこと黙ってたのお父さん!?」
「守秘義務(以下略)」
「お父さんのアホ――!」
待って、待って待って。理解が追いつかない。この町に、お父さんの関わってるクラブにJリーグから誰がお越しになるって?
りょーちんといえば、あたしみたいにサッカー知らない勢も顔写真を見るか愛称を聞けば「あ~!」となるような、たぶん日本一有名な選手だ。
静岡人のイメージに違わず、穏和かつ陽気で笑顔が絶えない。居るだけでまわりを明るく照らすその在り方は、太陽を擬人化したようとも称される。
それから、無類のたい焼き好き。自分で焼いて食べるのはもちろん、あの形のグッズ全般大好きな筋金入りのマニアだって聞いたことあるよ。
そんなスター選手が、【昨年3月 静岡・富士アステラシアフィールド】のテロップが表示された仮想ディスプレイの中を風のように駆け抜けていく。
金と黒の髪をなびかせ、小柄ながら〝和製コンコルド〟とも言われる足の速さと抜群の存在感を誇る主人公が。
『彼、海外移籍前に別次元行っちゃったの!?』
『現在、佐々木選手は国内外の公式戦において厳しい出場制限を課されており、前後半のどちらかとアディショナルタイムを超える起用は認められていません。
そのため、リーグ戦などの順位に影響しない記念試合や中部・西日本大震災のチャリティーマッチなどを除き、フル出場は見たくとも見られないものでしたが……』
『現実ではりょーちんがみんなに合わせなきゃいけないけど、MRはその逆。みんながりょーちんの規格に合わせるのね』
『つまり、いくら暴れても構わないと』
『誰よ、こんなすごいこと考えたの! みんな観るしかないじゃない!』
『そして、佐々木選手を語るうえで外せないのが、先ほどご紹介した羽田選手。
幼い頃に出会った二人は、サッカーを通じて惹かれ合うようにコンビを組み、ともに才能を開花させたことでも知られています。
かつては盟友、高校では宿敵としてぶつかり合った二人。再会にあたってどんな関係を築いていくのか、今後も目が離せません』
水をこぼしたことを忘れるほどワイドショーの解説に聞き入っていた鈴歌は、ハッと我に返ると手際よく後始末を始めた。
濡れた靴下はあたしが貸した予備に取り替え、スラックスの裾はドライヤーの温風を当てて乾かす。ルナールの食器もきれいに洗って、専用の乾燥棚に置く。
それから、あたしの腕をつかんで「澪、行くぞ」と言った。
「待ってよ、あたしまだ歯磨いてないんだってば。行くってどこへ?」
「いいからさっさと身支度を済ませろ」
反論する暇さえ与えられず、あたしは無理やり洗面所に押し込まれた。
お父さんはそんな様子を微笑ましげに眺め「落ち着きなよ二人とも。興奮するのは分かるけど、まずは目の前にある仕事、学生の本分を全うしてきなさい」などとのたまう。
無理だよお父さん。鈴歌は時間も学校も、高校デビューさえどうでもよくなってる。今すぐ足を使ってりょーちんを捜し回るつもりなんだ!
「アオーン!【ボクも連れてけー!】」
「行ってらっしゃ~い」
「なーんで涼しい顔するかな、うちの男どもはぁぁぁぁぁ!」
物語の始まりは、いつだって唐突だ。天才のそばには、いつもあたしの姿がある。
旅は道連れ世は情け、拒否権なんてものはない。
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