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Phase:02 現実は筋書きよりも奇なり
Side A-2 / Part 2 目覚め、まどろみ
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あたしの斜め前、教室の真ん中あたりの席に座っていた子が、机に荒々しく手をついて立ち上がる。
三つ編みに丸メガネをかけた、おとなしそうな女の子だ。うろ覚えだけど、同じ中学校出身だったような気がする。
その子は迷いなく、つかつかとあたしのほうに歩み寄ってきた。右手に何か、きらりと光るものを携えて。
「川岸さん――川岸、澪」
「はい?」
「死ねぇぇぇぇぇッ!」
女子の誰かが上げた悲鳴が、穏やかな空気を切り裂いた。相手が腕を振りかぶったのを見て、あたしはとっさに背けた顔の前へ単行本を掲げて盾にする。
直後、押しつぶされるような衝撃がソフトカバーのネコ耳美女を貫通し、持ち主の左こめかみを割るギリギリのところで止まった。
もし、ノワールがいなかったら――と考えて、全身から変な汗がどっと吹き出す。
この子、本気だ。本気であたしを殺しに来てる!
「きゃあああああああ!」
「うわあぁぁぁぁぁッ! 刺した、刺した!」
「みんな、退がれ! デカい針みたいなの持ってるぞ!」
「誰か、先生呼んで来い! 早く!」
犯人は舌打ちをして『もろびとこぞりて』を引っつかんだ。爪を食い込ませ、本と一緒に握り込まれた右手の痛みに、あたしは思わず顔をしかめる。
一般的な女の子の握力って、こんなに強かったっけ? それとも、火事場の何とやら?
逸らしていた顔を正面に戻すと、手の中の宝物越しに鬼が見えた。怒りと憎しみで歯ぎしりをし、真っ黒で煮えたぎる感情に染まった刺客の顔が。
「いきなり……何、すんの……っ!」
「よくのうのうと生きてられるね。自分が何したかわかってるの?」
「いま、初めて会ったばかりのあなたに……刺されるようなことは、してな――」
「ふざけるな! 私の、みんなの人生を踏みにじっておいて、よくもそんな口を!」
その答えを聞いた時、あたしは自分の意識が身体から切り離されたのを感じた。
首の後ろから空中に抜け出し、抜け殻になった自分の頭上から客観的にこの状況を見下ろすイメージが頭に浮かぶ。もしかしなくてもこれ、幽体離脱?
この状態に身を任せている間、不思議とあたしは冷静になれた。口からは驚きと抗議の言葉が出てくるのに、頭ではそんなことまったく考えてない。
ただ――異常に研ぎ澄まされた思考で相手の発言を分析し、持てる知識を総動員して、隠された真意を読み取ろうと脳みそがフル回転する。
「そっか――あたしの小説が、あなたの人生を狂わせたって言いたいんだね。もし、個別に……あなたについて書いてたら、そういうことがあり得たかもしれない」
「あるかも、じゃない。あったんだよ!」
「でも、あたしはあなたの名前を言えない。あなたについてよく知らない。あなたの手にいつどこでどんな状況でどういう能力の〈五葉紋〉を与えるかなんて、あたしには指定しようがない」
あれだけ怒りに燃えてた相手の顔に、別の感情がよぎる。まわりの人たちも静まり返って、信じられないものを見るような目をこっちに向ける。
あたしは今、どんな顔でこの論戦に臨んでるんだろう。
「あたしの書いたものが、影響を与えたのは事実。それは認めるし、必要があれば謝るよ。あたしがあなたを名指しして、人生を変えた証拠があるなら」
「じゃあ謝れよ。謝れ。ここで土下座しろ!」
ねえ、本当にそうしてほしいと思ってる? 心からでない、強制された謝罪なんて受けたところで空しいだけじゃん。
そういう意味も含めて、あたしは訊いた。
「なんで?」
「――は?」
「言ったよね。あたし、あなたの名前を言えないって。知らない人の人生を、どうやってピンポイントに呪うの? あなたに何の恨みがあるの?」
「なに、こいつ……頭おかしい。なんで、人から責められてるのに平然としてるの?」
「そう見える? まさか。傷つき過ぎて痛みを忘れてるだけだよ。言うに事欠いて人格否定始めるようなあなたには、何言ってるかわかんないでしょうけど」
「なんで……なんで、この状況下で嗤えるの――!」
頭おかしい。気持ち悪い。あなたに限らず、みんな最後はそう言うよ。
自分の弱さ、悔しさ、無力感。改善する努力をサボったツケ。隠した後ろめたさにメスを入れられると、みんな論点をすり替えてこっちの揚げ足を取ってくる。
あー、つまんな。見苦しいったらありゃしない。
鈴歌と気が合う時点で察しつかないかなあ。類は友を呼ぶんだよ?
「それに――どうせ謝ったところで、あたしのこと許す気一ミリもないんでしょ?」
「あっ、ああっ、あ――だ、黙れぇぇぇぇぇぇ!」
千枚通しの針には返しがない。力任せに引っ張れば簡単に抜ける。一撃で仕留め損なったらメッタ刺しにすればいい、という猟奇的な考えを生む悪魔のような武器だ。
ブチ切れたメガネちゃんが右腕に力を込めると、ずるっ、とわずかな抵抗を伴って凶器が引き抜かれた。
その瞬間、わずかによろけたのを見逃さず、飛びかかった小林くんが右手首を捻り上げてあたしの机に叩きつける。
派手な物音がして、女の子は武器を取り落とし悲鳴を上げた。それより床にへたり込んだ自分の心配しろよって話だけど、骨折ってないよね? 大丈夫?
「川岸! 大丈夫か!?」
「グッジョブ、コバっち! 武器奪ったどー!」
工藤さんが、取り上げた千枚通しを誇らしげに掲げる。今度は大声で何事か叫びながらあたしに蹴りを入れようとする犯人の両手両足を、男子たちが総出で押さえつけた。
ショックで泣き出す子も出る中、本鈴が鳴って担任登場。すでに額に青筋浮いてて不機嫌そうなんですけど、どうすんのこれ?
「なっ……何をしているんだお前たち、やめなさい!」
「死ねっ! 死ねよ! 全部お前のせいだ、死んで詫びろ!」
「みおりん、先生来たよ! もう大丈夫――」
ありゃ、安心したら意識が遠のいてきた。みんなの心配する声が聞こえる。
どこもケガしてないはずだけど、知らないうちに頭でも打ったかな。
不思議……別に、眠くないのに……目が……閉じ、て――
「川岸? おい、しっかりしろ! 川岸!」
クラスメイトと担任の先生に見守られながら、あたしは新しい教室のど真ん中で人生初の気絶というものを体験した。
三つ編みに丸メガネをかけた、おとなしそうな女の子だ。うろ覚えだけど、同じ中学校出身だったような気がする。
その子は迷いなく、つかつかとあたしのほうに歩み寄ってきた。右手に何か、きらりと光るものを携えて。
「川岸さん――川岸、澪」
「はい?」
「死ねぇぇぇぇぇッ!」
女子の誰かが上げた悲鳴が、穏やかな空気を切り裂いた。相手が腕を振りかぶったのを見て、あたしはとっさに背けた顔の前へ単行本を掲げて盾にする。
直後、押しつぶされるような衝撃がソフトカバーのネコ耳美女を貫通し、持ち主の左こめかみを割るギリギリのところで止まった。
もし、ノワールがいなかったら――と考えて、全身から変な汗がどっと吹き出す。
この子、本気だ。本気であたしを殺しに来てる!
「きゃあああああああ!」
「うわあぁぁぁぁぁッ! 刺した、刺した!」
「みんな、退がれ! デカい針みたいなの持ってるぞ!」
「誰か、先生呼んで来い! 早く!」
犯人は舌打ちをして『もろびとこぞりて』を引っつかんだ。爪を食い込ませ、本と一緒に握り込まれた右手の痛みに、あたしは思わず顔をしかめる。
一般的な女の子の握力って、こんなに強かったっけ? それとも、火事場の何とやら?
逸らしていた顔を正面に戻すと、手の中の宝物越しに鬼が見えた。怒りと憎しみで歯ぎしりをし、真っ黒で煮えたぎる感情に染まった刺客の顔が。
「いきなり……何、すんの……っ!」
「よくのうのうと生きてられるね。自分が何したかわかってるの?」
「いま、初めて会ったばかりのあなたに……刺されるようなことは、してな――」
「ふざけるな! 私の、みんなの人生を踏みにじっておいて、よくもそんな口を!」
その答えを聞いた時、あたしは自分の意識が身体から切り離されたのを感じた。
首の後ろから空中に抜け出し、抜け殻になった自分の頭上から客観的にこの状況を見下ろすイメージが頭に浮かぶ。もしかしなくてもこれ、幽体離脱?
この状態に身を任せている間、不思議とあたしは冷静になれた。口からは驚きと抗議の言葉が出てくるのに、頭ではそんなことまったく考えてない。
ただ――異常に研ぎ澄まされた思考で相手の発言を分析し、持てる知識を総動員して、隠された真意を読み取ろうと脳みそがフル回転する。
「そっか――あたしの小説が、あなたの人生を狂わせたって言いたいんだね。もし、個別に……あなたについて書いてたら、そういうことがあり得たかもしれない」
「あるかも、じゃない。あったんだよ!」
「でも、あたしはあなたの名前を言えない。あなたについてよく知らない。あなたの手にいつどこでどんな状況でどういう能力の〈五葉紋〉を与えるかなんて、あたしには指定しようがない」
あれだけ怒りに燃えてた相手の顔に、別の感情がよぎる。まわりの人たちも静まり返って、信じられないものを見るような目をこっちに向ける。
あたしは今、どんな顔でこの論戦に臨んでるんだろう。
「あたしの書いたものが、影響を与えたのは事実。それは認めるし、必要があれば謝るよ。あたしがあなたを名指しして、人生を変えた証拠があるなら」
「じゃあ謝れよ。謝れ。ここで土下座しろ!」
ねえ、本当にそうしてほしいと思ってる? 心からでない、強制された謝罪なんて受けたところで空しいだけじゃん。
そういう意味も含めて、あたしは訊いた。
「なんで?」
「――は?」
「言ったよね。あたし、あなたの名前を言えないって。知らない人の人生を、どうやってピンポイントに呪うの? あなたに何の恨みがあるの?」
「なに、こいつ……頭おかしい。なんで、人から責められてるのに平然としてるの?」
「そう見える? まさか。傷つき過ぎて痛みを忘れてるだけだよ。言うに事欠いて人格否定始めるようなあなたには、何言ってるかわかんないでしょうけど」
「なんで……なんで、この状況下で嗤えるの――!」
頭おかしい。気持ち悪い。あなたに限らず、みんな最後はそう言うよ。
自分の弱さ、悔しさ、無力感。改善する努力をサボったツケ。隠した後ろめたさにメスを入れられると、みんな論点をすり替えてこっちの揚げ足を取ってくる。
あー、つまんな。見苦しいったらありゃしない。
鈴歌と気が合う時点で察しつかないかなあ。類は友を呼ぶんだよ?
「それに――どうせ謝ったところで、あたしのこと許す気一ミリもないんでしょ?」
「あっ、ああっ、あ――だ、黙れぇぇぇぇぇぇ!」
千枚通しの針には返しがない。力任せに引っ張れば簡単に抜ける。一撃で仕留め損なったらメッタ刺しにすればいい、という猟奇的な考えを生む悪魔のような武器だ。
ブチ切れたメガネちゃんが右腕に力を込めると、ずるっ、とわずかな抵抗を伴って凶器が引き抜かれた。
その瞬間、わずかによろけたのを見逃さず、飛びかかった小林くんが右手首を捻り上げてあたしの机に叩きつける。
派手な物音がして、女の子は武器を取り落とし悲鳴を上げた。それより床にへたり込んだ自分の心配しろよって話だけど、骨折ってないよね? 大丈夫?
「川岸! 大丈夫か!?」
「グッジョブ、コバっち! 武器奪ったどー!」
工藤さんが、取り上げた千枚通しを誇らしげに掲げる。今度は大声で何事か叫びながらあたしに蹴りを入れようとする犯人の両手両足を、男子たちが総出で押さえつけた。
ショックで泣き出す子も出る中、本鈴が鳴って担任登場。すでに額に青筋浮いてて不機嫌そうなんですけど、どうすんのこれ?
「なっ……何をしているんだお前たち、やめなさい!」
「死ねっ! 死ねよ! 全部お前のせいだ、死んで詫びろ!」
「みおりん、先生来たよ! もう大丈夫――」
ありゃ、安心したら意識が遠のいてきた。みんなの心配する声が聞こえる。
どこもケガしてないはずだけど、知らないうちに頭でも打ったかな。
不思議……別に、眠くないのに……目が……閉じ、て――
「川岸? おい、しっかりしろ! 川岸!」
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