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Phase:02 現実は筋書きよりも奇なり
Side B - Part 4 初登校
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「おっと、悪い。仕事の〈テレパス〉だ」
「え?」
「はい、羽田不動産です。このたびはご契約ありがとうございました」
覚悟を決めて口を開きかけた瞬間、どこかから『新世界より』のメロディーが聞こえてきた。大家は仮想タッチパネルを展開し、〈テレパス〉で会話に応じる。
内容からして、相手は本業の取引相手だろう。
だが、音声・映像とも脳内再生のみで完結するひそひそ話モードでの通信なのか、私たちには相手の顔や名前をうかがい知ることができない。
「鍵お引き渡し時の花束ですね。百合とひまわりを一本ずつ手配いたしました。差し支えなければ、当社から百合をもう一本差し上げたいのですが」
(行こう、鈴歌)
(……そうだな)
ちっ、いいところで邪魔が入ったな。ここは潔く退散するとしよう。
「当初の予定では、本日午後三時半頃に現地集合となっております。このご連絡をもって最終確認となりますが、不都合はございませんか?」
「では、私たちはこれで失礼します」
「はい……はい? 直筆サインが欲しい? そーいうのは本人に直接書いてもらってください。まあ、ゼロタッチ席のご用意ぐらいでしたら――マジで?」
〈テレパス〉で仕事の話をしているはずの大家の顔が、どんどんニヤけていく。
興奮した様子でタブレット端末にスタイラスペンを走らせ、学校へ向かおうとする私たちの背中に向けて、彼はそれを誇らしげに掲げてみせた。
【俺のファン いた!】
その一文を目にした澪もにっと笑い返し、嬉しそうな大家に親指を立てて応じる。
「シャルルじゃなくて? ホントに、俺……? もちろん、書かせていただきます! 色紙でもレプリカユニフォームでも、お好きなものをご持参ください!」
「よかったですね、大家さん! 行ってきまーす!」
「はい、ではまた後ほど! じゃあな!」
『……? ――、……』
「へ? あ、いや、すみません違います! たまたま通りかかった店子に挨拶を……本っっっ当に申し訳ありません!」
一転して真っ青になり、右手を掲げて謝り倒す彼を尻目に、私たちは自転車の前カゴへ荷物を積んで走り出した。
公道に出たら右に曲がり、県道との合流点を右。道なりにまっすぐ進むと、仙台法務局逢桜支局前に差し掛かる。
車道の信号が青になるのを見計らい、車に気をつけながら左折。中学時代はここを直進して狭い道に入り、大通りに出てJR東北幹線逢桜駅前を通過したのち、自転車専用レーンのある尾上橋を渡って川を越えていた。
それに対し新しい通学ルートはより短距離、かつ終点まで幹線道路を通るが、ここは田舎町。道幅が少し広いだけの片側一車線である。自転車専用レーンも一切ない。
『じゃじゃーん。そんな時こそ〈テレパス〉の出番さ!』
『はあ』
『操作は簡単、話したい相手と糸でつながるイメージを思い浮かべるだけ。安全に縦走しながら、並走しているかのように言葉を交わせるんだ。使い勝手はお墨付きだよ!』
愛車を走らせながら、私は以前そう教わったことを思い出した。
話したいことは話せるうちに話しておきなよ――とは、青いスーパーカブを駆って近場へ出かけるのが趣味という一徹おじさんの弁である。
先行する澪が、セーラーカラーをはためかせて緩やかな坂道を上り始める。話したい相手と糸でつながるイメージをしろ、か……。
ペダルを踏み込む足に力が入る。ぐん、と車体が坂の頂上に向かって引き上げられると同時に、どこからともなく白く光る糸状のものが視界に現れた。
気づけば、前を走る幼なじみの背中からも同じ物体が生えてきていた。二本の糸は空中を漂いながら伸びていき、しゅるしゅる絡んで結び合わさり――
『あ、つながった。おーい! 聞こえる?』
『聞こえているから声を抑えろ』
かくして、私の〈テレパス〉ツーリングモード初体験は、鼓膜にクリティカルヒットを食らわされるという苦い結果で幕を開けた。
『今日からあたしたちが通うのって、公立高校……だよね?』
『分類上はそうだが、実態は官民共営が正しい。元からあった県立高校の再編計画にサイバー空間専門の民間警備会社が手を貸したと聞いている』
『へぇ~、そうなんだ。学校案内見たらさ、施設だけじゃなく部活や学校行事も一新したらしいじゃん。楽しみじゃない?』
脳に直接流し込まれる澪の声は期待に弾んでいる。まったくもってお気楽だな。
学校という閉鎖空間を利用し、町民ですら全容を知らされていないところへ通って教育を施されるほど、恐ろしいことはなかろうに。
知らないうちに洗脳され、訳の分からない計画に加担させられでもしたらどうするんだ。
作家志望なら、フラグ……といったか? そういうものに人一倍アンテナを張っていそうなものだが。私の見込み違いか?
『それよりも、私は〝半寄宿制〟なる制度のほうが気になっている。月に七日ほど学校で寝泊まりすることになっているそうだが、これは元からあったのか?』
『なんですと?』
話を振られた澪は、質問の意味が理解できないようだった。逢桜高校の合格通知と一緒に届いた同意書に書いてあった話だから、知らないはずはないんだが。
新入生である私たちは、その「お泊まり当番」を課せられることについて承知したうえで入学する旨を保護者との連名で一筆書かされ、町の商工会議所で行われた制服の採寸日までにオンラインで提出することになっていた。
「出さねば入学を認めない場合がある」と書いてあったため、私はこんな脅迫じみた真似が許されるのかという疑問を棚に上げて渋々署名をしたんだぞ。
『その反応……同意書どころか制度の存在自体を忘れていたな』
『いや、違うんだって。ホントにたった今初めて聞いたの!』
『さすが澪、期待を裏切らない女。入学前のやらかしとは私が知る限り自己最速だ。おめでとう』
『期待すな! そして祝うなーっ!』
『とにかく、まずは学校に行こう。一筆なくても入学できるなら、私は生徒全員分の署名を破棄しろと要求する。あんなものが存在してはいけない』
『どんな同意書に署名させられたの鈴歌!?』
逢桜大橋には、逢川の上流に面した側にのみ金属製の柵で車道と分断された狭い歩道がある。その手前で自転車から降り、私たちは徒歩で橋を渡った。
「え?」
「はい、羽田不動産です。このたびはご契約ありがとうございました」
覚悟を決めて口を開きかけた瞬間、どこかから『新世界より』のメロディーが聞こえてきた。大家は仮想タッチパネルを展開し、〈テレパス〉で会話に応じる。
内容からして、相手は本業の取引相手だろう。
だが、音声・映像とも脳内再生のみで完結するひそひそ話モードでの通信なのか、私たちには相手の顔や名前をうかがい知ることができない。
「鍵お引き渡し時の花束ですね。百合とひまわりを一本ずつ手配いたしました。差し支えなければ、当社から百合をもう一本差し上げたいのですが」
(行こう、鈴歌)
(……そうだな)
ちっ、いいところで邪魔が入ったな。ここは潔く退散するとしよう。
「当初の予定では、本日午後三時半頃に現地集合となっております。このご連絡をもって最終確認となりますが、不都合はございませんか?」
「では、私たちはこれで失礼します」
「はい……はい? 直筆サインが欲しい? そーいうのは本人に直接書いてもらってください。まあ、ゼロタッチ席のご用意ぐらいでしたら――マジで?」
〈テレパス〉で仕事の話をしているはずの大家の顔が、どんどんニヤけていく。
興奮した様子でタブレット端末にスタイラスペンを走らせ、学校へ向かおうとする私たちの背中に向けて、彼はそれを誇らしげに掲げてみせた。
【俺のファン いた!】
その一文を目にした澪もにっと笑い返し、嬉しそうな大家に親指を立てて応じる。
「シャルルじゃなくて? ホントに、俺……? もちろん、書かせていただきます! 色紙でもレプリカユニフォームでも、お好きなものをご持参ください!」
「よかったですね、大家さん! 行ってきまーす!」
「はい、ではまた後ほど! じゃあな!」
『……? ――、……』
「へ? あ、いや、すみません違います! たまたま通りかかった店子に挨拶を……本っっっ当に申し訳ありません!」
一転して真っ青になり、右手を掲げて謝り倒す彼を尻目に、私たちは自転車の前カゴへ荷物を積んで走り出した。
公道に出たら右に曲がり、県道との合流点を右。道なりにまっすぐ進むと、仙台法務局逢桜支局前に差し掛かる。
車道の信号が青になるのを見計らい、車に気をつけながら左折。中学時代はここを直進して狭い道に入り、大通りに出てJR東北幹線逢桜駅前を通過したのち、自転車専用レーンのある尾上橋を渡って川を越えていた。
それに対し新しい通学ルートはより短距離、かつ終点まで幹線道路を通るが、ここは田舎町。道幅が少し広いだけの片側一車線である。自転車専用レーンも一切ない。
『じゃじゃーん。そんな時こそ〈テレパス〉の出番さ!』
『はあ』
『操作は簡単、話したい相手と糸でつながるイメージを思い浮かべるだけ。安全に縦走しながら、並走しているかのように言葉を交わせるんだ。使い勝手はお墨付きだよ!』
愛車を走らせながら、私は以前そう教わったことを思い出した。
話したいことは話せるうちに話しておきなよ――とは、青いスーパーカブを駆って近場へ出かけるのが趣味という一徹おじさんの弁である。
先行する澪が、セーラーカラーをはためかせて緩やかな坂道を上り始める。話したい相手と糸でつながるイメージをしろ、か……。
ペダルを踏み込む足に力が入る。ぐん、と車体が坂の頂上に向かって引き上げられると同時に、どこからともなく白く光る糸状のものが視界に現れた。
気づけば、前を走る幼なじみの背中からも同じ物体が生えてきていた。二本の糸は空中を漂いながら伸びていき、しゅるしゅる絡んで結び合わさり――
『あ、つながった。おーい! 聞こえる?』
『聞こえているから声を抑えろ』
かくして、私の〈テレパス〉ツーリングモード初体験は、鼓膜にクリティカルヒットを食らわされるという苦い結果で幕を開けた。
『今日からあたしたちが通うのって、公立高校……だよね?』
『分類上はそうだが、実態は官民共営が正しい。元からあった県立高校の再編計画にサイバー空間専門の民間警備会社が手を貸したと聞いている』
『へぇ~、そうなんだ。学校案内見たらさ、施設だけじゃなく部活や学校行事も一新したらしいじゃん。楽しみじゃない?』
脳に直接流し込まれる澪の声は期待に弾んでいる。まったくもってお気楽だな。
学校という閉鎖空間を利用し、町民ですら全容を知らされていないところへ通って教育を施されるほど、恐ろしいことはなかろうに。
知らないうちに洗脳され、訳の分からない計画に加担させられでもしたらどうするんだ。
作家志望なら、フラグ……といったか? そういうものに人一倍アンテナを張っていそうなものだが。私の見込み違いか?
『それよりも、私は〝半寄宿制〟なる制度のほうが気になっている。月に七日ほど学校で寝泊まりすることになっているそうだが、これは元からあったのか?』
『なんですと?』
話を振られた澪は、質問の意味が理解できないようだった。逢桜高校の合格通知と一緒に届いた同意書に書いてあった話だから、知らないはずはないんだが。
新入生である私たちは、その「お泊まり当番」を課せられることについて承知したうえで入学する旨を保護者との連名で一筆書かされ、町の商工会議所で行われた制服の採寸日までにオンラインで提出することになっていた。
「出さねば入学を認めない場合がある」と書いてあったため、私はこんな脅迫じみた真似が許されるのかという疑問を棚に上げて渋々署名をしたんだぞ。
『その反応……同意書どころか制度の存在自体を忘れていたな』
『いや、違うんだって。ホントにたった今初めて聞いたの!』
『さすが澪、期待を裏切らない女。入学前のやらかしとは私が知る限り自己最速だ。おめでとう』
『期待すな! そして祝うなーっ!』
『とにかく、まずは学校に行こう。一筆なくても入学できるなら、私は生徒全員分の署名を破棄しろと要求する。あんなものが存在してはいけない』
『どんな同意書に署名させられたの鈴歌!?』
逢桜大橋には、逢川の上流に面した側にのみ金属製の柵で車道と分断された狭い歩道がある。その手前で自転車から降り、私たちは徒歩で橋を渡った。
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