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Phase:02 現実は筋書きよりも奇なり
Side A - Part 3 暗雲
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Phase:02 - Side A "Mio"
* * * * * * *
女教師は急に顔を曇らせ、玄関の土間からきょとんとする夫を見つめる。その首元で少しくたびれたネクタイは、今日「も」黒無地だった。
「鈴木くん、だっけ。教育総務課の」
「うん。南小にも時々顔出してた『スズキなのにカワサキ乗り』が持ちネタの学習指導員。十時に正面玄関前でお見送りするんだ」
お父さんは淡々と言葉を続ける。彼は運が悪かった、と。致命傷受けたらそりゃ死ぬよ――と、自分へ言い聞かせるように。
返すお母さんの声は、気丈だけど少し震えていた。明日、無言で役場に出勤する職員は、うちのお父さんかもしれないのだから。
「これで何人目? 上司、後輩、共通の知人。アンタの同僚、何人死んだ?」
「ごめん、流華さん。守秘義務があるから家族でも言えない」
「そんなこと分かってる!」
〝じきたん〟のサービス提供を始めてから、町は毎日〈特定災害〉による町民の死傷者数を公表している。
ただ、年代や職業、被害に遭った場所などの詳しい情報は、個人(故人)のプライバシー保護を理由に教えてもらえない。
そうして不安ばかりが増していく中、あたしは不穏な噂を聞いた。
あの日から役場と警察署、消防署、宮城県の合同庁舎にはずっと半旗が掲げられ、毎日のようにそのどこかから霊柩車の警笛が聞こえると。
「本当は、役場なんて今すぐ辞めちまえって言いたい。というか今言った。次はアンタの番だって、たぶんみんな思ってる」
「……ごめん」
「総務課の課長補佐、防災担当になって二年。あの〈黄昏の危機〉とかいうサイバーテロのせいで、アンタの部署は危機管理課に格上げされたって聞いた」
「うん。そうだね」
「正直に答えて。アンタ、本当に――」
室内に緊張が走る。お父さんの答えによっては、夫婦ゲンカ一直線だ。固唾を飲んで見守るあたしとルナールの前で、お母さんが再び口を開いた。
「人事からロクに説明もないまま庁舎外に左遷されて、サッカーチームの運営事務局入って、駅前でグッズとチケット売りさばいてんの?」
「はぇ?」
えーと……何ですと、母上?
名前どおりマジメ一徹で平々凡々、うだつが上がらないうちの父上が、今どこで何してるって?
「売りさばいてませーん。売る準備してるだけでーす」
「すっかり民間に染まってんじゃねーか!」
「ご安心ください。災害とは程遠い、エキサイティングな町おこしに従事しております。疑うなら事務所においでよ、やましいことなんてないもんね!」
本人いわく、この四月から町内に拠点を置く新興eスポーツ、バーチャルサッカーのプロクラブ〝FC逢桜ポラリス〟の運営事務局へ町の代表として派遣されたんだって。
口が裂けても言えないけど、本当の理由は察しがつく。だって……家族にすら頭の上がらない優男が、町の防災責任者では……ね?
「総務課には同格の人がいたけど、今はいない。より大きな仕事を任せてもらえてるってことだよ。もっと喜んでよ二人とも」
「あーはいはい、おめでとうございま~す。夕飯はお祝いがてらアンタの好物にしよう」
「雑ゥ! テキトー! そして唐揚げ作るの僕なんですけど!」
「よく分かってんじゃん」
「でも、人のことなまらボロカスに叩いておいて閉店間際の酒屋に駆け込み、賞味期限間際で値引きされたシャンパン買ってきてくれるツンデレドS良妻が流華さんなんだよなぁ。そういうところ大好き」
「だっ……靴ベラで引っぱたくぞオラァ!」
「いやー! 体罰反対ー!」
仕事のデジタル化が進んだとはいえ、頭の固い日本の教育現場はまだまだ過酷で、働き過ぎといわれる職業のひとつ。特に新学期はサービス残業で、夜の九時十時に帰ってくることなんかザラにある。
そうなると平日の夜、我が家のキッチンに立つのは比較的帰りの早いお父さんだ。
北海道は帯広の牧場が実家かつ農業高校の出で、大量の野菜を苦もなく食わせる調理法を体得してるから、あたしは好き嫌いがほとんどない。
お母さんも不規則な生活なのに、肌荒れもなく体型を維持できている。これは明らかに総料理長の功績だね。
「ところで、バーチャルサッカーってのは要するにゲームなんでしょ?」
「そこはeスポーツって言ってほしいなあ」
「選手がイケメン揃いでも試合内容がクソ、実況が下手、詳しすぎて一見さんお断り……スタートダッシュでコケるイメージしか思い浮かばない、町長肝入りの地雷プロジェクト運営とか大草原なんだけど」
「草生やさないでよ、ちゃんとした事業計画あるんだから! その一つが現役Jリーガーの起用。ポラリスには親会社を同じくするJ3のクラブから二人も――」
「ああやだ、もうこんな時間! 一徹、帰ったらアタシと澪に詳しく教えなさいよ。これから注目を集めそうな話題だしね」
「はいはい。承知しました、流華先生」
そう言うと、お母さんは弁当の入ったバッグを受け取り、玄関のドアノブへ手をかけた。後ろからルナールが【行ってらっしゃい!】と吠える。
ところが、取っ手をひねる前に扉が開いて、バランスを崩した拍子に脱げたお母さんの靴が後ろに立つあたしの額にクリーンヒット。
廊下に転がり悶絶する娘に父は呆然、ビビりな弟は尻尾を巻いてリビングへ飛んでいった。
「あいったぁぁぁぁぁぁ!」
「澪! うるさい!」
「靴脱ぎ散らかしたのはお母さんでしょ!」
「あーあー、二人とも落ち着いて! そもそもなんで玄関が……」
「お父さんは黙ってて!」
女二人に一喝され、お父さんはすっかり縮み上がってしまった。あたしの茶碗に白米をよそいながら「ルナール! 助けて~!」と泣き言をこぼす。
そんなお騒がせドタバタ劇の渦中に、颯爽と現れたのが――
* * * * * * *
女教師は急に顔を曇らせ、玄関の土間からきょとんとする夫を見つめる。その首元で少しくたびれたネクタイは、今日「も」黒無地だった。
「鈴木くん、だっけ。教育総務課の」
「うん。南小にも時々顔出してた『スズキなのにカワサキ乗り』が持ちネタの学習指導員。十時に正面玄関前でお見送りするんだ」
お父さんは淡々と言葉を続ける。彼は運が悪かった、と。致命傷受けたらそりゃ死ぬよ――と、自分へ言い聞かせるように。
返すお母さんの声は、気丈だけど少し震えていた。明日、無言で役場に出勤する職員は、うちのお父さんかもしれないのだから。
「これで何人目? 上司、後輩、共通の知人。アンタの同僚、何人死んだ?」
「ごめん、流華さん。守秘義務があるから家族でも言えない」
「そんなこと分かってる!」
〝じきたん〟のサービス提供を始めてから、町は毎日〈特定災害〉による町民の死傷者数を公表している。
ただ、年代や職業、被害に遭った場所などの詳しい情報は、個人(故人)のプライバシー保護を理由に教えてもらえない。
そうして不安ばかりが増していく中、あたしは不穏な噂を聞いた。
あの日から役場と警察署、消防署、宮城県の合同庁舎にはずっと半旗が掲げられ、毎日のようにそのどこかから霊柩車の警笛が聞こえると。
「本当は、役場なんて今すぐ辞めちまえって言いたい。というか今言った。次はアンタの番だって、たぶんみんな思ってる」
「……ごめん」
「総務課の課長補佐、防災担当になって二年。あの〈黄昏の危機〉とかいうサイバーテロのせいで、アンタの部署は危機管理課に格上げされたって聞いた」
「うん。そうだね」
「正直に答えて。アンタ、本当に――」
室内に緊張が走る。お父さんの答えによっては、夫婦ゲンカ一直線だ。固唾を飲んで見守るあたしとルナールの前で、お母さんが再び口を開いた。
「人事からロクに説明もないまま庁舎外に左遷されて、サッカーチームの運営事務局入って、駅前でグッズとチケット売りさばいてんの?」
「はぇ?」
えーと……何ですと、母上?
名前どおりマジメ一徹で平々凡々、うだつが上がらないうちの父上が、今どこで何してるって?
「売りさばいてませーん。売る準備してるだけでーす」
「すっかり民間に染まってんじゃねーか!」
「ご安心ください。災害とは程遠い、エキサイティングな町おこしに従事しております。疑うなら事務所においでよ、やましいことなんてないもんね!」
本人いわく、この四月から町内に拠点を置く新興eスポーツ、バーチャルサッカーのプロクラブ〝FC逢桜ポラリス〟の運営事務局へ町の代表として派遣されたんだって。
口が裂けても言えないけど、本当の理由は察しがつく。だって……家族にすら頭の上がらない優男が、町の防災責任者では……ね?
「総務課には同格の人がいたけど、今はいない。より大きな仕事を任せてもらえてるってことだよ。もっと喜んでよ二人とも」
「あーはいはい、おめでとうございま~す。夕飯はお祝いがてらアンタの好物にしよう」
「雑ゥ! テキトー! そして唐揚げ作るの僕なんですけど!」
「よく分かってんじゃん」
「でも、人のことなまらボロカスに叩いておいて閉店間際の酒屋に駆け込み、賞味期限間際で値引きされたシャンパン買ってきてくれるツンデレドS良妻が流華さんなんだよなぁ。そういうところ大好き」
「だっ……靴ベラで引っぱたくぞオラァ!」
「いやー! 体罰反対ー!」
仕事のデジタル化が進んだとはいえ、頭の固い日本の教育現場はまだまだ過酷で、働き過ぎといわれる職業のひとつ。特に新学期はサービス残業で、夜の九時十時に帰ってくることなんかザラにある。
そうなると平日の夜、我が家のキッチンに立つのは比較的帰りの早いお父さんだ。
北海道は帯広の牧場が実家かつ農業高校の出で、大量の野菜を苦もなく食わせる調理法を体得してるから、あたしは好き嫌いがほとんどない。
お母さんも不規則な生活なのに、肌荒れもなく体型を維持できている。これは明らかに総料理長の功績だね。
「ところで、バーチャルサッカーってのは要するにゲームなんでしょ?」
「そこはeスポーツって言ってほしいなあ」
「選手がイケメン揃いでも試合内容がクソ、実況が下手、詳しすぎて一見さんお断り……スタートダッシュでコケるイメージしか思い浮かばない、町長肝入りの地雷プロジェクト運営とか大草原なんだけど」
「草生やさないでよ、ちゃんとした事業計画あるんだから! その一つが現役Jリーガーの起用。ポラリスには親会社を同じくするJ3のクラブから二人も――」
「ああやだ、もうこんな時間! 一徹、帰ったらアタシと澪に詳しく教えなさいよ。これから注目を集めそうな話題だしね」
「はいはい。承知しました、流華先生」
そう言うと、お母さんは弁当の入ったバッグを受け取り、玄関のドアノブへ手をかけた。後ろからルナールが【行ってらっしゃい!】と吠える。
ところが、取っ手をひねる前に扉が開いて、バランスを崩した拍子に脱げたお母さんの靴が後ろに立つあたしの額にクリーンヒット。
廊下に転がり悶絶する娘に父は呆然、ビビりな弟は尻尾を巻いてリビングへ飛んでいった。
「あいったぁぁぁぁぁぁ!」
「澪! うるさい!」
「靴脱ぎ散らかしたのはお母さんでしょ!」
「あーあー、二人とも落ち着いて! そもそもなんで玄関が……」
「お父さんは黙ってて!」
女二人に一喝され、お父さんはすっかり縮み上がってしまった。あたしの茶碗に白米をよそいながら「ルナール! 助けて~!」と泣き言をこぼす。
そんなお騒がせドタバタ劇の渦中に、颯爽と現れたのが――
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