ごはんやさん

花守

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ジャック・ザ・リッパー

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 アルビオン連合国の首都ロンディニウムは冬季になると霧がよく出る。今夜もそんな夜だった。
 寒寒とした冬の空気に、真っ白な霧はさらに体感温度を下げる。
 十年程前に起こった第三次産業革命によって隆盛を極めたこの町は全ての道を舗装し上下水道にガス灯が整備された。
 その後次々と諸国が第三次産業革命を起こしたため、世界の絶対的な覇者としての椅子から転げ落ちたものの、それでもアルビオンは世界有数の列強国であることは変わらない。
 冬の深い霧の中でもガス灯の灯りは足元に影を作り、通行人の安全を守ってくれている。
―おや、こんな所に店があっただろうか?
 男は長い仕事を終え、気分転換に歩きながら帰宅している最中だった。
 この霧で普段入らない道に入ったからだろうか?足元に小さな看板を見つけた。
 『レストラン ごはんやさん』とある。
 男は上着のポケットからモノクルを取りだして掛ける。
―この一帯はチュワンの縄張りだったか…
 モノクルを通して見た看板には四隅に蜘蛛が描かれていた。
 ロンディニウムの裏社会を牛耳る組織の一つ、チュワン。ホァンロン国系のマフィアだ。
 他のマフィアもそうだが、マフィアといっても彼らは表社会に生きる力の無い一般人にはさして害はない。一般人を一人二人嵌めたところで搾り取れるモノなどたかがしれているからだ。
 この場合、いわゆるケツ持ち。幾ばくかのみかじめ料を納めることでトラブルが起こった際に助けてもらうといった関係だろう。
 別段珍しいことではないし、このロンディニウムでマフィアの息が掛かった店の方が珍しいくらいだ。
 幸い、男とチュワンとは敵対していない。
 ならば問題ないと男は頷いた。
 それにしても『GOHANYASAN』とは何だろう、と男は頭をかしげた。
 文字の下には腕に盛り付けられたライスがある。東洋風の料理を出す店だろうか。
―ミズホ風の料理だと嬉しいのだが。
 男は図体に似合わずボンサイなる小さな鉢植えを愛していた。
 七十年ほど前の万国博覧会にて紹介された東洋の島国の文化はその物珍しさから、一躍西欧中に流行した。
 男もその流れで紹介された、「見立て」により様々な自然を見出す芸術に魅入られたのだ。
 以来、男はミズホ神国贔屓だ。
 ロンディニウムにはミズホ料理を出す店はいくつもあるが、そのほとんどがアルビオンの属国であったホァンロン国の料理だ。
 美味いことには美味いのだが男はやはり、ミズホ料理が食べたかった。
 そんな切なる願いを抱きながら、男は路地に入る。
 オレンジ色の光がぽっと狭い路地を照らしている。
 珍しい東洋風の引き戸には、切れ込みの入った布が垂れ下がっていた。
 深い藍色で染められたそれには白い文字で同じく「ごはんやさん」と書かれている。おそらくは何処かの言葉を翻字したのだろう。
 ますます期待が高くなる。
 高鳴る鼓動を落ち着かせながら、男は引き戸に手をかけた。

『あら?』
 男が引き戸を開けると店内では一人の女性がテーブルを拭いていた。
―幼い
 一瞬年端もいかない少女のように見えたが男は首を振る。東洋人が幼く見えるのはよく聞く話だ。
 それでも、艶やかな黒髪に滑らかな象牙色の肌。丸い瞳は可愛らしい印象を彼に刻み込んだ。
「いらっしゃいませ」
 一瞬呆けたような顔をした女性ははっと居住まいを正すと男に向かって笑顔を浮かべた。
「ああ、すみません。もう終わっていましたか?」
 この霧だ。客足が遠のいてすでに閉店作業をしていたのだろう。店内をざっと見渡せば彼女一人が働いている様だ。
 そこに自分のような男が来たから彼女も戸惑っているのだ、と男は思った。
 何せ男の身長は192cmと大きく体の厚みもそれにふさわしく分厚い。その上、男の顔は自他共に認める強面だ。固い黒髪に、鉄を思わせる青い目。がっしりした顎に太い眉。極めつけに犬歯が発達している為に笑うと牙が覗くのだ。一つ一つの部位だけみるとどれもこれも野性味こそあれど男性的で魅力的なのだが、それが組み合わさるとどうにも凶暴な熊のようになる。子どもに泣かれる事だってしょっちゅうだ
 本人はむしろ自身の強面を気にしており、泣かれる度に内心しょんぼりするほどに温厚で繊細な性格なのだが…。
 兎も角、それ故に異国の女性を怖がらせて仕舞ったのだろうかと男は内心焦った。
 しかし、店員だろう女性は「いいえ!」と首を振り笑った。
「お腹を空かしている方をそのまま返すのはうちの信条に反します!…ですので、よろしければ食べていってください」
 そう言って女性は雑巾を片付け手を洗うと、男に暖かな手拭いを手渡した。
「どうぞ温まってください。寒かったでしょう?いまお茶を入れますのでカウンター席へどうぞ。上着はそちらに」
 真鍮製のポールハンガーが入り口の近くにあった。
 男が被っていたシルクハットとコートをそちらにかけ、木製の椅子に腰掛けると、ネクタイを緩めて一息ついた。
 そっと目の前に取っ手のついていない東洋風のコップが差し出される。中にある茶は茶色だが、嗅ぎ慣れない香りだ。
「焙じ茶と言います。緑茶を焙煎したものですので、香りは香ばしいですが、苦味がなくて飲みやすいと思いますよ」
 女性がそう説明する。
「では、ありがたく」
 男が例を言って一口口にふくむ。
 香ばしい香りと共に温かさが胃に落ちてきた。
 ふぅ、と知らず知らずため息が出ていた。
 今日の仕事は中々に骨が折れて、その上長丁場だ。
 仲間内からやれ体力バカだの狂戦士だの無駄に図体のでかい熊だのと言われて居ても、それでも疲れるものは疲れる。
「お疲れさまです」
 柔らかい声音で女性は彼を労り、つるりとした木のボウルに具沢山のスープをよそった。
「豚肉と根菜のスープです。温まりますよ」
 手のひらに収まるくらいの木のボウルは、持っているだけでじんわりと温かい。
 大きめのスプーンで掬いながら口をつける。
―美味い。
 それが伝わったのだろうか、女性が嬉しそうに笑う気配がした。
 次に女性は木の桶から真っ白い粒―米だ―を掬うと手のひらで成形し始めた。
 綺麗に三角形になったそれを二つ、黒いソースを塗りながら網の上に乗せて炙る。
 ソースのいい匂いがして、否が応でも食欲をそそった。
 そしてはた、と気づく。
「あの…ご店主は…?」
 男は焦ったように尋ねた。
 だが、女性はぱちくりと目を瞬かせると、困ったように眉根を下げた。
「申し訳ありません。ここは、私が一人でやっている店なのです。…お嫌でしたか?」
 女性が経営者の飲食店は増えてきてはいるが、それでもまだ珍しく、色眼鏡で見られることが多いものだ。
「い、いえ!そんなことは!」
 男は手を振って否定する。
「ですが…女性一人では心細いのではないでしょうか?こんな強面の大男がいきなりやってきて」
 そう言って男は大きな体を丸める。
「ふふ、いえいえ」
 今度は女性が笑う番だった。
「お腹を空かせていたら、王様だろうと乞食だろうとヤクザの親分さんだって等しく私のお客さんです。お腹いっぱいになって帰ってもらうのが父から受け継いだ信条なんです」
 だからお腹いっぱい食べていってください。と女性は微笑んだ。
 ちょうど米が焼き上がり、菜箸で女性は二つばかり四角い皿に盛り付けると、「熱いですからお気をつけください」とフォークを添えて差し出した。
「焼きおにぎり、といいます。お嫌でありませんでしたら両手で持ってお召し上がりください」
 こんがりとついた焼け目が実にうまそうだ。
 男は手拭いで荒っぽく手を拭うと両手で持ってガブリとかぶりついた。
 美味い。
 女性はその間に青菜を湯掻いたり、卵を割ってかき混ぜている。
 四角いフライパンに油を染み込ませた紙でそれを広げ、よく熱した所に卵を流し込む、くるくると器用に卵は生地を重ねて巻かれていく。
 卵が綺麗なブロックになった所に青菜が絞られて、また何かタレをかけられた。
「ほうれん草のおひたしと、だし巻き卵になります」
 切り分けられたオムレツはやはり美しい渦巻きを描いていて、一つ口に含むと魚介だろうか、豊かな風味と優しい甘さが口いっぱいに広がった。
「美味い…」
 甘いオムレツなど生まれて初めてだったが、菓子のような甘さではなく、あくまで素材の味を引き立たせるようなそっと添えられた甘さだった。
 ほうれん草もフォークで刺して食べれば、先ほどのタレのしょっぱさと同時に酸味が舌先に踊った。
 さっぱりとした、言ってしまえば湯がいた青菜にソースを掛けただけなのに、美味い。
「失礼ですが、お生まれはどちらに?」
 男がそう尋ねると、女性は「ミズホ神国です」と答えた。
 やはりそうか、と男は頷く。
 ミズホの料理は素材の味を引き出す事をよしとしていると聞いた通り、確かにこれらの料理は素材の良さを一つ一つ引き立てている。
「おかわりはいかがですか?」
 焙じ茶はいつの間にか取り替えられており、男は温かなそれを喉から胃へと収めた。
「いいえ、そろそろ」
「でしたら、最後に一品お出ししましょうか?」
 気遣いの細やかさに内心驚いていると、女性にそう提案された。
「お願いします」
  女性はにこっと微笑むと、調理に取りかかった。
 先ほどからそうであったが、男はもとより口数が多い方ではない。
 会食などの社交が必要である場合であればいくらか話もするし、邸宅に帰っても食事に際に報告を受ければ指示を飛ばすために口を開く。
 だから、全くの無言で食事をするなど久々だった。
 だが、何もしゃべらなくても此処での食事は居心地が良かった。
 懐中時計を取り出せば、どこのバーであってももう閉店する時間だ。
 だのに、女性は急かすこともなければ、何かを勧めることもない。
 ただただ彼がゆっくりと食事が取れるように、さりげなく料理を出して食器を下げる。
 無言であることによって起こる緊張などどこにもないようで、気付けば男はとても安心していた。
 とてつもなく、居心地が良かった。
 ずっと彼を悩ませていた仕事の内容も、気付けば忘れていた。
 女性はただ、穏やかに微笑んでいる。
 失礼だとは分かっているが、つい目で彼女を男は追っていた。
 男にはやや手狭に感じる調理場の中を小柄な女性はくるくると器用に動いている。
 その後ろの棚に、おそらくは酒瓶だろう、異国の文字で書かれたラベルの瓶が並んでいることを男は認めた。
 手際良く料理を作る手のひらも指先もやはり小作りで、ミズホ人は手先が器用だという話を思い出す。
 二百年ほど一部の国を除いて国交を絶ち、万博で紹介されるまでは未開の島国であったはずなのに、ほんの五十年足らずで世界に追いつき、第三次産業革命さえ起こした東洋の小さな巨人。
 女系の皇帝を頂き、その皇帝は神の血を引くとされることから神国と自称する。
 実際あの国で信じられている宗教の最高司祭は皇帝とであり、多くの神事を行い、幾つもの逸話が残るという。
 数年前に首都に大きな地震があり、多くの死傷者がでたが同時期に起こった第二次産業革命によって一気に復興を遂げた国だ。
 いつかは行ってみたいと男が願っている遠い島国。
「はい、出来ましたよ。こちら、鶏つくねの餡かけです」
 とろりとしたソースの掛かったミートボールだ。ネギを刻んだモノが散らされている。このピリッとした香りは生姜だろうか。
 湯気立つそれがテーブルに置かれる。それなりに腹くちくであったはずなのに、食欲がそそられた。
 フォークで刺して肉を口に運ぶ。
 丸められた鶏肉には軟骨だろうか、こりこりと歯触りの良い物も練り込まれて食感が楽しく、ソースとネギと一緒に頂くと、温かな温度のまま胃に落ちていった。
 胃と一緒に心まで満ちていく様だった。
 最後に焙じ茶を啜ると、運動した後の様に体が温かかった。
「お勘定を」
「はい」
 告げられた金額は驚くほど少なかった。目を見開いて女性を見ると、彼女は穏やかな微笑を浮かべたままこういった。
「また来て下さい。今日は食材が少なくてたいした料理が出せませんでしたから」
 霧に濡れたコートは既に乾いていて、真鍮のポールハンガーの近くに隅を淹れた鉢植えの様な物が置かれている事に男は気付いた。
「外は寒いでしょうから、どうぞ、お気を付けて」
  女性は、一度も男に酒を勧めなかった。
 その方が手っ取り早く男の体を温め、早く帰す理由になっただろうに。
 ただ、外は霧が出ていて、危ないから。寒いから。
 だから最後に体の温まる料理を出して、温かいまま帰って欲しい。
 そういった気遣いを男は理解した。
 かぶり掛けた帽子を男は脱いで、居住まいを正すと彼は女性に対し大きな体を丸めるようにして礼をした。
「最後までお心遣い、感謝します。私はテオドルフ・フォン・フォルシュテッカーと申します。どうかレディ、貴女のお名前を教えては下さいませんか」
 女性は一瞬目を見開くと、またほんわりした笑顔を浮かべて答えた。
「サキと申します。蔦木咲です。どうぞ、また要らして下さい。フォルシュテッカー様」
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