統合失調症〜百人に一人がかかる病い

あらき恵実

文字の大きさ
上 下
9 / 14
9

生きるための処世術 〜空気の張りつめた居間と幼い兄

しおりを挟む
処世術、という言葉がある。

今日、兄が口にした言葉だ。

処世術、と私はつぶやいてみる。
電車の窓にもたれ、流れていく外の景色を眺めながら。

私は、今日、兄を見舞った。
そして、兄と一時間ほど話をした。

私はなるべく明るい話題ばかりを選んで話すようにしていた。
兄は、私の話をニコニコしながら聞いていた。
兄はいつだって人の話をにこやかに聞くのだ。

私は無言になるのを恐れるように、絶え間なく話をし、兄はひたすら相槌をうっていた。

なんだか、二人して壊れた人形になったみたいだった。
スイッチが切れない〝おしゃべり人形〟と、〝首振り人形〟。

私は疲れてしまって少し黙った。

「無理して明るい話ばかりしなくていいよ」
と兄は言った。

労わるような笑みを浮かべている。
無理をしていると、兄に見透かされていたのだ。
そして、逆に気遣われてしまった。

「桜良こそ、ニコニコ笑ってばっかりで無理してるわ」 
と言った。
これまでの人生、兄は他人を気遣って無理をしっぱなしだ。

「そうだね」
と兄は言った。

「だけど、笑うことは僕の処世術だからね」

「処世術?」

「そう、幼い頃に身につけた処世術」

兄はそう言って、自分の影に目を落とした。
影は、兄の足元に空いた落とし穴のように見えた。

窓の外には、
目がくらむような真っ青な空が見えていた。
庭には、ひまわりがたくさん揺れていた。それは、くったくなく笑った子供が整列しているみたいに見えた。

電車に揺られながら、
私は兄の言葉を反芻していた。

〝幼い頃に身につけた処世術〟。

私は兄が言わんとしていることが、なんとなくわかる気がした。

私は幼い兄を思い浮かべてみる。
それから、我が家の居間を。

ーー薄暗く、空気の張りつめた居間。
ーーいつ爆発するか分からないような、
  気難しい父。
ーー血のつながらない母。
ーーそして、そこにいる幼い兄。

幼い者は、
大人の機嫌をとらないことには生きていかれない。

兄は笑いたくてニコニコしているのではなく、
ニコニコしないと生きていかれなかったんじゃないんだろうか。

処世術とは、そういう意味だったんじゃないのか。

でも兄は、今、自分の処世術によって、自らの首をしめている。
あんな生き方をしていては、気の休まる時がない。
ちっとも療養になっていない。

処世術なんてなくても生きられるなら、
それがずっと幸せなのかもしれない。

処世術という言葉に、急に堆積した不幸を感じた。
生きながら積み上げてきた不幸。
まるで根雪のように降り積もり、カチカチに踏み固められている。

兄は笑わないと生きられないのだ。

私は兄を思い、ため息をついた。
電車のアナウンスに、ため息の音はかき消された。

~続く








 
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

精神科閉鎖病棟

あらき恵実
現代文学
ある日、研修医が、 精神科閉鎖病棟に長期的に入院している患者に、 「あなたの夢は何ですか」 と尋ねました。 看護師である私は、その返答に衝撃を受けます。 精神科閉鎖病棟の、 今もなお存在する課題についてつづった短編。

六華 snow crystal 2

なごみ
現代文学
雪の街、札幌を舞台にした医療系純愛小説。part 2 彩矢に翻弄されながらも、いつまでも忘れられずに想い続ける遼介の苦悩。 そんな遼介を支えながらも、報われない恋を諦められない有紀。 そんな有紀に、インテリでイケメンの薬剤師、谷 修ニから突然のプロポーズ。 二人の仲に遼介の心も複雑に揺れる。

白衣の下 先生無茶振りはやめて‼️

アーキテクト
恋愛
弟の主治医と女子大生の恋模様

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

ぬくもり

氷上ましゅ。
現代文学
友達が家に遊びに来るので迎えに行った時に思いついた話に加筆してます。 同名の小説が自分のLINEVOOMにありますがそれに加筆してます。何卒。

【完結】カワイイ子猫のつくり方

龍野ゆうき
青春
子猫を助けようとして樹から落下。それだけでも災難なのに、あれ?気が付いたら私…猫になってる!?そんな自分(猫)に手を差し伸べてくれたのは天敵のアイツだった。 無愛想毒舌眼鏡男と獣化主人公の間に生まれる恋?ちょっぴりファンタジーなラブコメ。

小橋寿人の音楽史~50Years~

森田金太郎
現代文学
50年、音楽に寄り添われ生きた男、小橋寿人の物語。

その男、人の人生を狂わせるので注意が必要

いちごみるく
現代文学
「あいつに関わると、人生が狂わされる」 「密室で二人きりになるのが禁止になった」 「関わった人みんな好きになる…」 こんな伝説を残した男が、ある中学にいた。 見知らぬ小グレ集団、警察官、幼馴染の年上、担任教師、部活の後輩に顧問まで…… 関わる人すべてを夢中にさせ、頭の中を自分のことで支配させてしまう。 無意識に人を惹き込むその少年を、人は魔性の男と呼ぶ。 そんな彼に関わった人たちがどのように人生を壊していくのか…… 地位や年齢、性別は関係ない。 抱える悩みや劣等感を少し刺激されるだけで、人の人生は呆気なく崩れていく。 色んな人物が、ある一人の男によって人生をジワジワと壊していく様子をリアルに描いた物語。 嫉妬、自己顕示欲、愛情不足、孤立、虚言…… 現代に溢れる人間の醜い部分を自覚する者と自覚せずに目を背ける者…。 彼らの運命は、主人公・醍醐隼に翻弄される中で確実に分かれていく。 ※なお、筆者の拙作『あんなに堅物だった俺を、解してくれたお前の腕が』に出てくる人物たちがこの作品でもメインになります。ご興味があれば、そちらも是非! ※長い作品ですが、1話が300〜1500字程度です。少しずつ読んで頂くことも可能です!

処理中です...