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星がふる秘密の場所
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レンは泣き虫だ。
今夜、私たちは、病院の屋上にいた。
こっそり、病室を抜け出して、
屋上から夜空を見ていた。
空には天の川が見えていた。
白鳥座や琴座も。
屋上にいると街の明かりに邪魔されないので、たくさんの星が夜空いっぱいに散らばって見えた。
レンは星を見て泣いた。
レンは悲しくても、嬉しくても、綺麗なものを見て感動しても泣くのだった。
感情がジェットコースターのように波打っていて、
いつも、自分の感情に振り回されていた。
エネルギーの大半を、感情に振り回されることに使ってしまうので、昼間もベッドの上で横になってすごすことが多かった。
この人と、恋をしても、
きっと幸せにはなれない。
きっと、一緒にいると、気持ちをかき乱される。
そして、人生そのものを乱される。
そう分かっているけれど、
私はレンが愛おしかった。
生きづらそうに、一日、一日、精一杯生きているレンがーー。
「今日は何してた?」
と、私はレンに尋ねる。
私は、今日、レンが昼間どのように過ごしたのか知らない。
レンの姿を病棟内で見かけたけれど、言葉を交わしてはいない。
私たちは、今、接近することを禁止されていたからだ。
病院内には、いろいろとルールがある。
患者間の人間関係についても、いろいろ決まり事がある。
恋愛は禁止だとか。
性的な行為を行うと、強制退院になるとか。
私とレンは、病院のルールからはみ出してしまった。
それに気がついた病院のスタッフは、私たちに二人っきりで会話しないようにと命じた。
二人が連絡を取り合わないように、携帯電話も没収されてしまった。
だから、私たちは、一日の終わりに屋上でこっそりと会っていた。
タイミングは、看護師さんの巡視と巡視の間。
時間を決めて、私たちは部屋を抜け出す。
屋上に出るには鍵がいるが、レンはその鍵をもっていた。
鍵を一体どうやって手に入れたのだろう。
私がそれについてレンに尋ねたとき、
「落ちていたのを拾った」とレンは答えた。
絶対に嘘だと思う。
ーー本当はどうやって手にいれたの?
レンはイタズラ好きの子供みたいに笑って、「秘密」と言った。
やれやれだ。
屋上の鍵をなくした守衛は、始末書を書かされたにちがいない。
でも、ともかく、レンが屋上の鍵を手に入れてくれたおかげで、私たちは〝二人の秘密の場所〟を手に入れることができた。
私たちは、毎夜、
ここで密かに会っていた。
親しくなったのが初夏で良かった。
夜の屋上は夏でもひんやりとしていた。
「今日も、昨日と同じ。
なんにもしてないよ」
レンは私の質問にそう答えた。
「食事と作業療法をする以外は、ベッドで横になってた。
リコのことばかり考えてた」
そう言って私を腕に抱きしめた。
ほっそりしているのに筋張っていて、力強いレンの腕。
「本当に私のことばかり考えてた?」
「うん」
私はレンの腕の中で、ほっとしていた。
私たちは、例え集団でも、病棟で会話をすることを避けていた。
だけど私は、病棟の廊下にレンの姿を見つけるたびに、レンを目で追っていた。
レンが笑っているのを見かけると、私も少し嬉しくなった。
でも、その隣に、私以外の女性患者の姿があると、胸をえぐられたみたいに感じた。
そこに姿が見えるのに、
会話ができない。
昼間、私たちは、近くにいるようで透明な壁で隔てられているみたいだった。
私とレンの時間は、別々に流れていく。
さみしい。
さみしい。
さみしい。
私の心は泣いていた。
中庭の花壇では朝顔が花をつけ、
畑には青々としたオクラや枝豆がなっているというのにーー。
病棟では、患者さんと作業療法士さんが、八月に中庭で行う夏祭りの準備を進めており、屋台の看板をつくったり、輪投げのまとをつくったりと、楽しげな雰囲気がただよっているというのにーー。
さみしい。
さみしい。
さみしい。
私は、昨日も今日も、他の患者さんに混じって看板に色を塗ったり、提灯を色画用紙で作ったりしながら、心の中で泣いていた。
でも、今はーー。
私は、星空の下で、
レンの腕に抱き包まれながら、
レンの胸に顔をうずめていた。
胸の中を満たしていたさみしさが溶けていく。
私はレンの背中に腕を回した。
レンの体の厚みや体温を、自分の肌で確かめる。
レンも、私の額や首や肩に唇をつけ、
私の肌の感触を確かめる。
唇をつけられた場所が、熱くなるみたいに感じた。
私は一つ吐息をついて、
星空を見上げた。
そして、今、自分たちがここにいることを不思議に思った。
違う町に生まれて、
病院という場所で出会い、
星空の下で互いの肌の感触を確かめ合っていることを。
私の鎖骨にレンが唇をつける。
唇の感触と一緒に、ひとしずくの涙が鎖骨に落ちるのを感じた。
「どうして泣くの?」
と、私は聞いた。
「分からない」
レンはまた、ひとしずく涙を流した。
「分からないけど、苦しい。
リコと離れていても、そばにいても苦しい」
私はレンを抱きしめた。
この人を幸せにしたいと思った。
泣いてばかりのこの人を。
でも、私にはそんな力がなかった。
私は自分の人生さえ、持て余していた。
私たちは、恋をしても幸せにはなれない。
そう分かっていた。
レンもきっと分かっていた。
だけど、私たちは、明日もきっとこの場所で会うのだろう。
星が降る、二人だけの秘密の場所でーー。
続く~
今夜、私たちは、病院の屋上にいた。
こっそり、病室を抜け出して、
屋上から夜空を見ていた。
空には天の川が見えていた。
白鳥座や琴座も。
屋上にいると街の明かりに邪魔されないので、たくさんの星が夜空いっぱいに散らばって見えた。
レンは星を見て泣いた。
レンは悲しくても、嬉しくても、綺麗なものを見て感動しても泣くのだった。
感情がジェットコースターのように波打っていて、
いつも、自分の感情に振り回されていた。
エネルギーの大半を、感情に振り回されることに使ってしまうので、昼間もベッドの上で横になってすごすことが多かった。
この人と、恋をしても、
きっと幸せにはなれない。
きっと、一緒にいると、気持ちをかき乱される。
そして、人生そのものを乱される。
そう分かっているけれど、
私はレンが愛おしかった。
生きづらそうに、一日、一日、精一杯生きているレンがーー。
「今日は何してた?」
と、私はレンに尋ねる。
私は、今日、レンが昼間どのように過ごしたのか知らない。
レンの姿を病棟内で見かけたけれど、言葉を交わしてはいない。
私たちは、今、接近することを禁止されていたからだ。
病院内には、いろいろとルールがある。
患者間の人間関係についても、いろいろ決まり事がある。
恋愛は禁止だとか。
性的な行為を行うと、強制退院になるとか。
私とレンは、病院のルールからはみ出してしまった。
それに気がついた病院のスタッフは、私たちに二人っきりで会話しないようにと命じた。
二人が連絡を取り合わないように、携帯電話も没収されてしまった。
だから、私たちは、一日の終わりに屋上でこっそりと会っていた。
タイミングは、看護師さんの巡視と巡視の間。
時間を決めて、私たちは部屋を抜け出す。
屋上に出るには鍵がいるが、レンはその鍵をもっていた。
鍵を一体どうやって手に入れたのだろう。
私がそれについてレンに尋ねたとき、
「落ちていたのを拾った」とレンは答えた。
絶対に嘘だと思う。
ーー本当はどうやって手にいれたの?
レンはイタズラ好きの子供みたいに笑って、「秘密」と言った。
やれやれだ。
屋上の鍵をなくした守衛は、始末書を書かされたにちがいない。
でも、ともかく、レンが屋上の鍵を手に入れてくれたおかげで、私たちは〝二人の秘密の場所〟を手に入れることができた。
私たちは、毎夜、
ここで密かに会っていた。
親しくなったのが初夏で良かった。
夜の屋上は夏でもひんやりとしていた。
「今日も、昨日と同じ。
なんにもしてないよ」
レンは私の質問にそう答えた。
「食事と作業療法をする以外は、ベッドで横になってた。
リコのことばかり考えてた」
そう言って私を腕に抱きしめた。
ほっそりしているのに筋張っていて、力強いレンの腕。
「本当に私のことばかり考えてた?」
「うん」
私はレンの腕の中で、ほっとしていた。
私たちは、例え集団でも、病棟で会話をすることを避けていた。
だけど私は、病棟の廊下にレンの姿を見つけるたびに、レンを目で追っていた。
レンが笑っているのを見かけると、私も少し嬉しくなった。
でも、その隣に、私以外の女性患者の姿があると、胸をえぐられたみたいに感じた。
そこに姿が見えるのに、
会話ができない。
昼間、私たちは、近くにいるようで透明な壁で隔てられているみたいだった。
私とレンの時間は、別々に流れていく。
さみしい。
さみしい。
さみしい。
私の心は泣いていた。
中庭の花壇では朝顔が花をつけ、
畑には青々としたオクラや枝豆がなっているというのにーー。
病棟では、患者さんと作業療法士さんが、八月に中庭で行う夏祭りの準備を進めており、屋台の看板をつくったり、輪投げのまとをつくったりと、楽しげな雰囲気がただよっているというのにーー。
さみしい。
さみしい。
さみしい。
私は、昨日も今日も、他の患者さんに混じって看板に色を塗ったり、提灯を色画用紙で作ったりしながら、心の中で泣いていた。
でも、今はーー。
私は、星空の下で、
レンの腕に抱き包まれながら、
レンの胸に顔をうずめていた。
胸の中を満たしていたさみしさが溶けていく。
私はレンの背中に腕を回した。
レンの体の厚みや体温を、自分の肌で確かめる。
レンも、私の額や首や肩に唇をつけ、
私の肌の感触を確かめる。
唇をつけられた場所が、熱くなるみたいに感じた。
私は一つ吐息をついて、
星空を見上げた。
そして、今、自分たちがここにいることを不思議に思った。
違う町に生まれて、
病院という場所で出会い、
星空の下で互いの肌の感触を確かめ合っていることを。
私の鎖骨にレンが唇をつける。
唇の感触と一緒に、ひとしずくの涙が鎖骨に落ちるのを感じた。
「どうして泣くの?」
と、私は聞いた。
「分からない」
レンはまた、ひとしずく涙を流した。
「分からないけど、苦しい。
リコと離れていても、そばにいても苦しい」
私はレンを抱きしめた。
この人を幸せにしたいと思った。
泣いてばかりのこの人を。
でも、私にはそんな力がなかった。
私は自分の人生さえ、持て余していた。
私たちは、恋をしても幸せにはなれない。
そう分かっていた。
レンもきっと分かっていた。
だけど、私たちは、明日もきっとこの場所で会うのだろう。
星が降る、二人だけの秘密の場所でーー。
続く~
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