死にたがりの少女 〜 夕空を見上げる

あらき恵実

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生きている痛み

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今から二ヶ月前。

七月になり、梅雨が明けた。

夏はさわやかなにおいがする。
窓の隙間から舞い込む風が、病室に外の気配を連れてくる。
庭に植った背の高いけやきの木の枝が風に揺れ、サワサワと緑の葉を震わせている。
じわじわと鳴く蝉の声と、ガタンゴトンというのどかな電車の音。

私は時々、死にたくなる。

死にたい、というか、
生きていることを手放したくなる。

風がこんなにも、さわやかなにおいをしている日でも。

憂うつな気持ちは、私を毎日追いかけてくる。

朝ベッドで目を覚ましたら、憂うつな気持ちが私の隣で目を覚ます。

昼間も、私の胸の中に、憂うつはグズグズとわだかまる。

そして、夜、眠りにつくまで、ずっと私を追いかけてくる。

そんな毎日だけど、
たまに、憂うつな気分を忘れていることがある。

テレビを見て、笑っていて、
〝あ、今、私、普通に笑えてるな〟と思う瞬間がある。
でも、そう意識してしまったらもうダメだ。
意識した瞬間、憂うつな気分は私の中に戻ってくる。

どうして、憂うつは私のそばから離れないのか、考えてみたことがある。
生い立ちだとか、家族のこととか、
悩みはいろいろあるけれど、
毎日そんなことばかりを考えているわけじゃない。

むしろ、私は頭の中がぼうっとしていることが多い。
何か考える気力がない時もあるし、
頭の中のネジが回らなくなったみたいに、
何にも考えられなくなる時もある。

それでも私は、なんとか受け持ち看護師さんと話し合って決めたスケジュールを、毎日守っている。

ここでは、
消灯時間が決まっている。
おやつの時間も決まっている。
朝起きる時間も。
なぜか、毎朝ラジオ体操をしないといけなくて、
食事は患者全員で大広間に集まって食べないといけない。
受けないといけない作業療法という治療がある。日中は、作業療法を二時間ほどこなしている。 

作業療法では、絵を描いたり、音楽を聴いたり、畑仕事をしたり、いろんな作業を行なう。
どんな作業を行うかは、患者さんの病状によって異なるので、作業療法士さんが一人ひとりにあったプログラムを考えてくれる。

私のプログラムはこんなふう。

月・水  ちぎり絵の制作
火・木  ウォーキング
金    陶芸

作業療法士さんいわく、作業療法は、作業を通して気持ちを安定させたり、生活リズムを整えたり、社会生活を送るための練習をしたりするものだそうだ。

気持ちが沈んでいる時は、
足を一歩持ち上げることすらしんどいと思うことがあるので、
正直なところ、作業療法に参加するのには努力がいる。

でも、「さくら園」での暮らしも似たようなものだったから、
私の生活は入院前とさほど変わらない。

気持ちの沈み具合も変わらない。
入院したけれど、自分の状態にあまり変化がないので、焦りを感じることもある。

薬も飲んで、
看護師さんやお医者さんや、心理士さんの言うことを、真面目に聞いているつもりだけれど、
一向に楽にならない。
ずっと、このままだったらどうしよう。

もう、治らないのかもしれない。

そう思うと気持ちがズンと重たくなる。

もう治らないのかもしれないーー。

そう思うたび、
なぜ、ここまで生きてきちゃったんだろうと考えてしまう。

ここまで、歯を食いしばって、踏ん張って生きてきたけど、
もっと早く〝カタ〟をつけていたら良かったのに。

そんな気持ちがわいてくると、わたしは自分の体を痛めつけたくなる。

ーーなんで、こんなことをするの?

自分の体を傷つけるたび、看護師さんからそう聞かれる。
縫合された傷の上にガーゼを当て、包帯を巻く看護師さんは、少し怒ったような顔をしている。

ーーもうしないって約束したのに、どうしてなの?

私はその問いにうまく答えられない。

死にたいから?
つらいから?

考えようとしても、自分でもよくわからない。

〝死にたい〟と、

〝生きたい〟と、

〝助けて〟を、

同じくらい大きな声で叫びたい。

そんな気持ち。

七月。
毎日、空は青い。
空に向かってその三つの言葉を叫んで、
次の日から心の中がカラッと晴れていたらどれだけいいだろう。

私は空に焦がれるように、窓枠に手をついて窓の外を眺める。

病棟の窓は五センチくらいしか開かない。
隙間から入る微風が、髪をサワサワと顔の脇で揺らす。

庭のけやきの木の下で、スケッチをしている患者さんが数人いる。
作業療法士さんがそのそばに立っていた。

スケッチをする患者さんの中に、レンがいた。

庭の風景を眺めながらスケッチブックの上で鉛筆を動かすレンを、窓辺からじっと眺める。
すると、レンがふとスケッチブックから顔を上げ、こちらを見た。

木漏れ日がレンの顔におちる。

まぶしそうに目を細めるレンと目が合った。

痩せっぽっちのレン。
私と話している時はそうでもないけれど、他の患者さんと接する時には、小動物みたいに警戒心の強い目をしているレン。
どこか、いつもさみしそうなレン。

そんなレンが、窓辺にいる私を見て微笑んだ。
嬉しそうに手を振る。

私もレンに手を振り返した。

夏の日差しの差し込む窓辺と、けやきの木の下。
七月。
夏は、さわやかなにおいがする。

手を振ると、真っ白い包帯を巻いた腕が、ズキズキと傷んだ、
〝生きている痛みだ〟と私は思った。


続く~
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