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精神科病棟 〜精神科看護師が向き合う、患者さんの死の話
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病院で、患者さんの死に直面することは、
看護師にとって避けられないことです。
例えば、癌の末期であれば、
患者さんもご家族も、
延命を希望しないことがあります。
そういうときには、
例え、心電図モニターの波形が、
ゆっくりとなだらかになっていっても、
積極的な治療は行わず、
患者さんとご家族と、
ゆっくりと最期のときを過ごしてもらいます。
私たち医療者は、
患者さんとご家族のお別れを、
静かに見守ります。
でも、
精神科病棟での死は、
まったく違った形で、突然訪れることがあります。
これは、
十年も昔の話です。
患者さんに配慮して、疾病の名前も、年齢も伏せてお話します。
患者さんは、
病院に入院して、疾病教育を受けていました。
疾病教育とは、病気の理解を深めるために行うもので、
様々なやり方がありますが、
病気についてグループワークを行ったり、
学びを患者さん同士で発表しあったりするものです。
この疾病教育には、
疾病の理解を深め、治療の動機づけを促すために、大変効果があります。
これのおかげで退院が早まったり、
退院後の治療自己中断を防止できたという例がたくさんあります。
ある患者さんも、
この疾病教育の効果が大変ありました。
その患者さんは、
「自分は病人ではない」とずっと言っていましたが、自分を苦しめていたものは幻覚や妄想だったと気づいたのです。
これできっと治療がスムーズになるはず。
良かった。
私はそう思っていました。
しかし、主治医は、
「こんなときが一番危ないんだから、気をつけて観察してくれよ」
と言いました。
私は、新人だったので、その言葉の意味がわかりませんでした。
「どうして危ないんですか?」
「自分が病気だったんだと、客観的に振り返るようになるからだよ。
自分が周りにどのように見えていたのか、
そして、今後どの程度社会復帰できる可能性があるのか、
冷静に考えられるようになる。
こういうとき、患者さんの中には、
ものすごく落ち込んでしまう人がいるんだ」
私はそれを聞いて、
患者さんのことが心配になりました。
主治医が医局にもどったあと、
私はその患者さんの病室に行きました。
患者さんは、
ベッドに横になっていました。
私が病室に来たのを見て起き上がり、
「もう検温の時間ですか」
と聞きました。
ただ話をしにきたのだと言うと、
患者さんは、テレビで見たサッカーの話をしました。
応援していたチームの誰々という選手がゴールを二回決めて、ニ対一で勝ったと言っていました。
とても良い試合だった、と。
私の目に、患者さんの様子はとても明るく見えました。
私は安心して病室を出ようとしました。
ドアを開け、一歩廊下に出た時、
何かを感じて私は振り返りました。
すると、
患者さんは、じっと私を見つめていました。
さきほどまで明るい顔をしてサッカーの話をしていたのが嘘のように、無表情でした。
目だけが、やけに意思的で、
私を立ち止まらそうとするように、
じっとこちらを見つめていました。
その視線の意味するところが私には分からず、
黙ってその視線を受け止めていると、
他の患者さんに廊下の端から呼ばれました。
私は一礼してから、呼ばれた方へ駆けて行きました。
その夜でした。
患者さんは、病室で自ら命を絶たれました。
どんな手段で、どんなふうに絶たれたのかは、
私には書けません。
それを書くことは、患者さん自身と、患者さんの死を冒涜するようで、私にはできないのです。
ただ、私がお伝えしたいのは、
十年経った今でも、
あの時見た患者さんの目が、
忘れられないということです。
あの時、私が患者さんに何か声をかけていたら、
患者さんは死ななかったのでしょうか。
考えても、答えはでません。
これは、私が一生背負っていく十字架のようなものです。
私は、今日も看護師をしています。
今日向き合う命に、
精一杯、誠実であろうと心に決めて、
看護師をしています。
どんなに悔やんでも、
亡くなった患者さんに、もう一度会うことはできません。
ご家族に患者さんを返してあげることも、
その人にあったのかもしれないその後の人生を、取り戻すこともできません。
今日会う患者さんの命を未来につなぐために、
私はこれからも十字架を背負って、
看護師をしていこうと思います。
看護師にとって避けられないことです。
例えば、癌の末期であれば、
患者さんもご家族も、
延命を希望しないことがあります。
そういうときには、
例え、心電図モニターの波形が、
ゆっくりとなだらかになっていっても、
積極的な治療は行わず、
患者さんとご家族と、
ゆっくりと最期のときを過ごしてもらいます。
私たち医療者は、
患者さんとご家族のお別れを、
静かに見守ります。
でも、
精神科病棟での死は、
まったく違った形で、突然訪れることがあります。
これは、
十年も昔の話です。
患者さんに配慮して、疾病の名前も、年齢も伏せてお話します。
患者さんは、
病院に入院して、疾病教育を受けていました。
疾病教育とは、病気の理解を深めるために行うもので、
様々なやり方がありますが、
病気についてグループワークを行ったり、
学びを患者さん同士で発表しあったりするものです。
この疾病教育には、
疾病の理解を深め、治療の動機づけを促すために、大変効果があります。
これのおかげで退院が早まったり、
退院後の治療自己中断を防止できたという例がたくさんあります。
ある患者さんも、
この疾病教育の効果が大変ありました。
その患者さんは、
「自分は病人ではない」とずっと言っていましたが、自分を苦しめていたものは幻覚や妄想だったと気づいたのです。
これできっと治療がスムーズになるはず。
良かった。
私はそう思っていました。
しかし、主治医は、
「こんなときが一番危ないんだから、気をつけて観察してくれよ」
と言いました。
私は、新人だったので、その言葉の意味がわかりませんでした。
「どうして危ないんですか?」
「自分が病気だったんだと、客観的に振り返るようになるからだよ。
自分が周りにどのように見えていたのか、
そして、今後どの程度社会復帰できる可能性があるのか、
冷静に考えられるようになる。
こういうとき、患者さんの中には、
ものすごく落ち込んでしまう人がいるんだ」
私はそれを聞いて、
患者さんのことが心配になりました。
主治医が医局にもどったあと、
私はその患者さんの病室に行きました。
患者さんは、
ベッドに横になっていました。
私が病室に来たのを見て起き上がり、
「もう検温の時間ですか」
と聞きました。
ただ話をしにきたのだと言うと、
患者さんは、テレビで見たサッカーの話をしました。
応援していたチームの誰々という選手がゴールを二回決めて、ニ対一で勝ったと言っていました。
とても良い試合だった、と。
私の目に、患者さんの様子はとても明るく見えました。
私は安心して病室を出ようとしました。
ドアを開け、一歩廊下に出た時、
何かを感じて私は振り返りました。
すると、
患者さんは、じっと私を見つめていました。
さきほどまで明るい顔をしてサッカーの話をしていたのが嘘のように、無表情でした。
目だけが、やけに意思的で、
私を立ち止まらそうとするように、
じっとこちらを見つめていました。
その視線の意味するところが私には分からず、
黙ってその視線を受け止めていると、
他の患者さんに廊下の端から呼ばれました。
私は一礼してから、呼ばれた方へ駆けて行きました。
その夜でした。
患者さんは、病室で自ら命を絶たれました。
どんな手段で、どんなふうに絶たれたのかは、
私には書けません。
それを書くことは、患者さん自身と、患者さんの死を冒涜するようで、私にはできないのです。
ただ、私がお伝えしたいのは、
十年経った今でも、
あの時見た患者さんの目が、
忘れられないということです。
あの時、私が患者さんに何か声をかけていたら、
患者さんは死ななかったのでしょうか。
考えても、答えはでません。
これは、私が一生背負っていく十字架のようなものです。
私は、今日も看護師をしています。
今日向き合う命に、
精一杯、誠実であろうと心に決めて、
看護師をしています。
どんなに悔やんでも、
亡くなった患者さんに、もう一度会うことはできません。
ご家族に患者さんを返してあげることも、
その人にあったのかもしれないその後の人生を、取り戻すこともできません。
今日会う患者さんの命を未来につなぐために、
私はこれからも十字架を背負って、
看護師をしていこうと思います。
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初めまして。私も精神科病棟に入院したことがあります。残念でしたね。お悔やみ申し上げます。頑張ってくださいね。
初めまして!
えみさん、返信ありがとうございます^ ^
このお話はフィクションですが、看護師である以上、日々命と向き合ってお仕事をさせていただいています。少しの気づきの遅れが、後悔をうむことがあります。
悔いがないよう、看護師として精一杯患者さんと向き合えていけたらと思っています。
また、患者さんの人生や患者さんの命を見つめて毎日過ごす中で、命の大切さを痛感しました。
そういった経験や思いをお話という形にかえて、いろんな人に届けられたらと思っています。
今回は、返信をいただき、本当にありがとうございました^ ^
えみさんのご健康をお祈りしています!