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警察からの一報  〜 700km離れた地で、妻は……。

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大晦日の商店街は、朝からにぎわっていた。
商店街を行き交う人の足は速く、年の瀬の慌ただしさを感じられた。
同時に、僕のそばをすれ違っていく人々の表情には、正月を迎える明るく晴れやかな気持ちが感じられた。

「あんた、いつまで孫を預けっぱなしでいるつもりなの?
パパもママもいなくてさみさがってるよ」

耳に当てた携帯電話から、母親の声が聞こえる。
僕は商店街をぶらぶら歩きながら、
「分かってるよ」
と答えた。

「でも、たまには夫婦でのんびりしてもいいだろ。
甘えさせてくれよ」

「そりゃね、ダメとは言わないわよ。
可愛い孫とすごせるしね。
でも、パパもママもいない正月なんてマナトとユズがかわいそうでしょ。
せめて、明日にはこっちへ来てちょうだい」

「わかったよ」

そう答えながら、僕は舌打ちしたい気分だった。
僕だって、そうできるもんなら、そうしたいんだ。でも、リナは依然として行方が知れないままだった。

一二月二九日にリナが失踪したことを、
両家の両親には黙っていた。
子供たちにも内緒にしていた。
不安にさせたくないという理由もあったし、なぜ失踪したのかと問われた時に、どう答えたらいいのか分からなかったからだ。

警察に捜索願は出した。
リナの友人関係を僕は把握していないので、二九日の昼過ぎから今日まで、僕はひたすら近所や最寄りの駅などをうろうろとして、リナの姿を探していた。

疲れたら家に帰り、静かな家でリナの帰りをひたすら待っていた。
カチコチと時計が時間を刻む。その音がやけに耳についた。
僕は不安と焦燥を抱え、ソファに腰掛けて頭を抱える。

足がだるい。

少しベッドで休めば疲れはとれるだろうが、気持ちがピリピリとして、休む気にもなれなかった。
それで、数十分ソファで休んだら、また家の外に出て、あてもなく近隣を歩き回っていた。

食事をとる気にもならなかったので、昨日は一食しか食べなかった。
今朝も食べていない。
しかし、歩き回っていると腹が減りすぎてめまいと吐き気がしてきたので、僕はコンビニに寄ってオニギリを一つ買った。

コンビニの駐車場でオニギリを立ったまま食べた。
いい大人がいったい何をしているんだろう。
少し腹は満たされたが、今の自分の状況がこっけいに思えてきて、急に物悲しくなった。

リナ、帰ってきてくれ。

僕はオニギリを食べながら、心の中でつぶやいた。

コンビニの自動ドアが開き、サラリーマン風の中年男性が二人、駐車場へ出てくる。
二人の指には結婚指輪がはまっていた。

こいつらには、帰る家があって、帰りを待っている家族がいるんだなと思った。

一二月二八日より以前、僕は自分に家庭があることを、少し不自由に思っていた。
独身男性の自由さがうらやましかった。
でも、今ではその不自由さが懐かしかった。

コンビニのオニギリを食べながら、リナがにぎったオニギリの方が、自分の舌になじんでいることに気づく。

僕は今まで、リナが弁当箱につめてくれたオニギリの数がどれくらいか想像してみようとした。
結婚してから七年。
週休二日。月に平均二十二日勤務として、年に二百何十個。
おおざっぱに考えても、七年で、一四〇〇は有に超える数の弁当を作ってもらっている。
その中に、入っていたオニギリの数は……。
果たしてどのくらいの数だろう。

毎朝、眠い目をこすりながら早起きして、朝日が白々とさしこむキッチンで弁当を作るリナを想像した。
粒だって炊かれたご飯。
白い指がにぎるオニギリ。
焼きたての卵焼き。

口の中に、じんわりと食べ慣れた弁当の味が広がる。
その味を思い出した時、幸せってこういう身近にあるもののことだったんだなと思った。
雑誌や携帯の画面を見ながら、じっくり眺めることもせずに食べていたもののことだったんだな、と。

コンビニのゴミ箱にオニギリの包装フィルムを捨てる。カコンとゴミ箱の蓋が開閉する音がした。

僕はその音を聞きながら、
ーーリナ、帰ってきてくれーー
と、心の中でつぶやいた。

僕はまだ、一四〇〇回以上、弁当の礼を言わなきゃならないんだ。

「とにかく……」
と、母の声が電話越しに聞こえる。
僕の意識は、回想から引き戻される。

「正月には、夫婦そろってこっちに来てちょうだいね」

「分かったよ」

「必ずよ」

「しつこいな。もう切るよ」

僕は電話を切ってため息をついた。
母との約束を守れる可能性は低かった。

明日、僕は母からなんと言われるだろう。

今からそれを考えて胃が痛かった。

携帯を握ったまま、商店街をいくあてもなく、僕はうろついた。
朝の商店街は本当に活気がある。
にぎやかな景色と裏腹に、僕の心は暗かった。

魚屋には、刺身用の魚を物色している人がいた。
来年もまた、ごひいきに、と店主が客ににこやかな笑みを浮かべてぺこぺこと頭を下げている。

僕は見るともなしに、商店街の景色を眺めながら歩く。

「あれ、綿谷じゃん」

雑踏の中で、急に声をかけられて僕は振り返った。

そこにいたのは大学の同級生だった。
偶然の再会に、僕は驚いた。
こんなタイミングでなければ、とても嬉しかったにちがいない。

「久しぶり、何やってんの?」

「何って……、か、買い物だよ。
嫁に頼まれてさ」

僕はとっさに嘘をついた。

「大変だな
うちもだよ。
俺の両親が明日から泊まりにくるからさ、食材の買い出しを頼まれたんだ」

そう言って、メモ用紙にびっしりと書かれた食材の買い出しリストを見せてくる。

「年末くらいゆっくりしたいよな」

同級生はそう言って苦笑した。

「本当だよな」

そう答えてぎこちなく笑った。

何が、〝本当だよな〟だ。
僕はもう、嫁から用事を頼まれたり、家族のためにあくせくしたりするなんていう、普通の生活を失っているのに。

みじめだな。
同級生に嘘をついて、何事もない幸せな家庭で生きているみたいに見せかけて。

「じゃあな」

そう言って同級生が手を振った。
せめて、手を振る僕の笑顔が、同級生の目にぎこちなく映ってなければいいと思った。

       ・・・

同級生と別れた途端、携帯電話がプルルルと鳴った。

誰からだ?
ひょっとして、また母からじゃないだろうな。

携帯の画面をみると、
知らない番号が表示されていた。

出ようかどうしようかしばらく迷っていたが、着信音は鳴り続ける。

僕は恐る恐る電話にでた。

「……はい」

「綿谷シュンさんの携帯電話でしょうか?」

「そうですが……。
どなたですか?」

「香川県警の角田です」

香川県警?

「あの……、電話をかける相手を間違えってませんか? 
僕、香川には縁もゆかりもないし、行ったこともないんですが……」

「東京都練馬区在住の綿谷シュンさんですよね?」

「ええ、そうです……」

「妻は綿谷リナさん」

「はい……」

「そのリナさんのことでご連絡したんですが……」

僕はそこまで聞いて、背中に冷や汗をかいた。

リナは車で家を飛び出していった。
部屋着で、サンダル履きで、鞄も財布も持たずに。
僕から逃げ出すように、家から出て行った。
平静な気持ちで運転しているとは思えなかった。

もしかしたら、リナは香川で交通事故を起こしたんじゃないのか。それで、警察から電話がかかってきたんじゃないのか。

そんな不安がこみあげた。

しかし、
警察の口から聞いたのは、もっと予想外の言葉だった。

「奥さんは、香川の高速道路の路肩で車を停め、高速道路の路側帯を歩いていました。
通報があり、警察がパトカーでかけつけた時には、奥さんは高速道路の真ん中に座り込んでいて、たくさんの車からクラクションを浴びていました。
危ないからそこをどいて、一旦路側帯まで移動してもらうように指示を出しましたが、
〝誰かに命令されてやっている〟だとか、〝私の意図でやっているんじゃないんだ〟とか、
〝あなたたちは偽警官だ〟とか、
〝あなたたちはシュンの指示であやつられている〟とか、
理解できないようなことを言ってそこから立ち退こうとしませんでした。
警察の手で強制的にどかせようとすると興奮して暴れ出したので、警察署で保護させてもらっています」

僕は携帯電話をもつ手が震えた。
本当のことと思えなかった。

二九日ーー、僕が最後に見たリナは、
少し様子がおかしかったが、ここまで理解不能な状態ではなかった。

本当にリナのことなのか、信じられなかったし、信じたくもなかった。

毎日隣で寝ていた安らかなリナの寝顔を思い出す。
そっくりの顔で寝る子供たちのことも。
静かな寝室。
こっそりと玄関先でタバコを吸ってから、もぐりこむ温かなベッド。

「もしもし?
聞こえていますか?」

「あ……、はい、聞こえています」

「どうされますか? ご自宅はかなり遠いようですが」

僕は迷わずこう言った。

「これから、迎えにいきます」

「何で迎えに来られますか?
車だと、高速道路を使っても九時間はかかります。
新幹線や電車を乗り継ぐのであれば、七時間くらいというところでしょうか……」

どちらにせよ、七時間から九時間はかかるのか……。
今は午前九時。
着く頃には、夕方だな。

それでも、迎えにいくしかない。
どうしても、行かなきゃならない。
失いかけているものを、しっかりとこの手につなぎとめるために。

「迎えに行ってこちらに帰るまでに日をまたぎそうなので、僕と妻の着替えなどを準備したら、すぐにそちらへ出発します。
どこに迎えに行けばいいのか、場所と連絡先を教えてください」

何が待ち受けていても、僕は妻を連れて帰る。
そう覚悟を決めた瞬間だった。

続く~


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