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46. 9月 初めての訪問
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9月に入った。
残暑は厳しく、突然の雷雨が降ることもあるけど、朝から太陽が照りつける日がほとんど。
ハンカチが手放せなくて、口癖のように暑いを連呼する毎日。
そんな中、俊介さんから引っ越ししましたと、メッセージが届いていた。
8月末に必要な荷物の運び込みは、お父様主導で行われ、いつでも引っ越せる状態だったけど。
誕生日を実家で過ごし、フルーツたっぷりのケーキを作ってお祝いをした数日後のことだった。
「体、大丈夫なんですか?」
びっくりして、出勤前に俊介さんに電話をした。
『夜に動きましたから、大丈夫ですよ。心配してくださってありがとうございます』
「もしかして、わくわくが抑えられなかったんですか?」
『はい。そうです』
かわいい。新生活をこんなに楽しみにしている30代って、いるのかな。
「必要なものがあったら買っていきますから、言ってくださいね」
『今はネット通販で手配できますから、大丈夫だと思うんですが、気づかってくださってありがとうございます。頼みたい物ができたら、お願いします』
「いつでも頼ってください。それじゃ、仕事に行ってきます」
『いってらっしゃい』
一週間後、俊介さんが一人暮らしを始めた新居に行った。
「引っ越しといえば蕎麦! ですよね」と俊介さんからリクエストがあったので、スーパーでお蕎麦とつゆ、天ぷらに必要な食材を買いこんだ。
スマホで地図を見ながら住宅街の中を歩き、たどり着く。
小野、と表札のかかった一軒家。チャイムを鳴らして待っていると、
「どうぞ、玄関の鍵は開けてますので、入ってください」
俊介さんの声で応答があった。
玄関を開けると、
「いらっしゃい、彩綺さん」
日差しを避けるようにして、俊介さんが待っていた。
「迷いませんでした?」
「こんにちは。大丈夫でしたよ。お邪魔します」
俊介さんが買い物袋を持ってくれたので、すべて渡して、上がらせてもらう。
眩しかった小野家と比べると、木の香りが漂う一軒家は落ち着く気がする。
「ひとりの生活には慣れました?」
廊下を歩く俊介さんを追う。
「大変さを実感しています」
「そうですよね。お洗濯、ご飯、買い物。誰もやってくれないですもんね」
「そうなんですよね。四苦八苦しながらなんとかやっています。蕎麦ありがとうございます」
キッチンで袋の中身を取り出していく。
「天ぷらも作りますね」
「いいですね。教えてください」
「じゃ、一緒に作りましょう。普段のご飯は出前ですか?」
「頼む時もありますけど、取りに出られる夜だけですね。朝は自炊で、昼間はインスタントがメインです。まだ電子レンジがないので、冷凍モノは食べられなくて」
「近かったら、ご飯作りにきたいですけど」
「いえ。僕も覚えないといけませんから、たまに甘えさせてください」
「わかりました」
俊介さんと並んで昼食の準備をする。
天ぷらに使う野菜や鶏肉を切りながら、まな板は食中毒予防のために食材ごとに分けた方がいいですよ、とか天ぷらの揚げ方や揚げる順番などを伝えていく。
俊介さんの手つきは危なっかしいけど、とても真剣に取り組んでいる。
一緒にご飯を作れるなんて、楽しい。
ここならご実家よりも、訪問しやすいから、もうちょっと会えるようになるかも。俊介さんの了解を得られたら、だけど。
「ちょっと作り過ぎちゃいましたね」
こんもりとお皿に盛った天ぷらの山。鶏天、海老、山芋、蓮根、かぼちゃ、なすび、ちくわ、舞茸。ふたりで食べきれない量になってしまった。
「あまったら、夜にいただきます」
「天丼がオススメです」
「いいですね」
いただきますと手を合わせて、揚げたてさくさくの天ぷらを食べ、蕎麦をすする。お腹いっぱいの昼食をいただいた。
「僕が洗います。彩綺さんはゆっくりしていてください」
食後、俊介さんがそう言って袖をまくった。
「俊介さん、その腕‥‥‥」
腕が赤くなって、じんましんができている。
「あ、そうでした。気持ち悪いですよね。すみません」
袖を伸ばして隠そうとする手を止める。
「違います。気持ち悪いなんて思わないです。あの、アレルギーが出たんですか」
「はい。うっかりして、袖をめくった状態のまま玄関を開けてしまって。少しの時間だったから平気だと思ったんですけどね。出ちゃいました」
「痛々しい。怖いですね。少しの時間でも紫外線に触れたらこうなってしまうんですね」
「これは、軽い方なので。酷いときは頭痛やめまいも出て、しばらく布団の民になります」
「そんな症状も出るんですか。気をつけないといけないですね」
「気をつけます」
いつも長袖の服を着ていたから、初めて目にした。痛々しい状態を。
「俊介さん、一緒に電子レンジを買いに行こうって約束しましたけど、まだ外に出ちゃダメです。冬になったら行きましょう」
「寒くなるまで電子レンジはなしですか」
落胆したのは電子レンジが買えないからか、私と買い物に行けないからか、どっちかな。
私も二人で出掛けるのを楽しみにしていた。だけど、少しの時間でも症状が出てしまうなんて。一人暮らしなんだから、無理はさせちゃいけない。
「お父様にお願いして、温めるだけのレンジを買ってきていただきましょう」
「それしかないですね。楽しみにしていたのに」
悲しい顔をする俊介さんに、きゅんと心がうずく。
「私も残念です。いつか一緒にお出掛けしましょうね」
お互い残念に思っている。その気持ちを共有できているだけで救われる気がする。
よしよしとハグしたい気持ちを堪えて、俊介さんの手を包みこんだ。
次回⇒47. 不審な手紙
残暑は厳しく、突然の雷雨が降ることもあるけど、朝から太陽が照りつける日がほとんど。
ハンカチが手放せなくて、口癖のように暑いを連呼する毎日。
そんな中、俊介さんから引っ越ししましたと、メッセージが届いていた。
8月末に必要な荷物の運び込みは、お父様主導で行われ、いつでも引っ越せる状態だったけど。
誕生日を実家で過ごし、フルーツたっぷりのケーキを作ってお祝いをした数日後のことだった。
「体、大丈夫なんですか?」
びっくりして、出勤前に俊介さんに電話をした。
『夜に動きましたから、大丈夫ですよ。心配してくださってありがとうございます』
「もしかして、わくわくが抑えられなかったんですか?」
『はい。そうです』
かわいい。新生活をこんなに楽しみにしている30代って、いるのかな。
「必要なものがあったら買っていきますから、言ってくださいね」
『今はネット通販で手配できますから、大丈夫だと思うんですが、気づかってくださってありがとうございます。頼みたい物ができたら、お願いします』
「いつでも頼ってください。それじゃ、仕事に行ってきます」
『いってらっしゃい』
一週間後、俊介さんが一人暮らしを始めた新居に行った。
「引っ越しといえば蕎麦! ですよね」と俊介さんからリクエストがあったので、スーパーでお蕎麦とつゆ、天ぷらに必要な食材を買いこんだ。
スマホで地図を見ながら住宅街の中を歩き、たどり着く。
小野、と表札のかかった一軒家。チャイムを鳴らして待っていると、
「どうぞ、玄関の鍵は開けてますので、入ってください」
俊介さんの声で応答があった。
玄関を開けると、
「いらっしゃい、彩綺さん」
日差しを避けるようにして、俊介さんが待っていた。
「迷いませんでした?」
「こんにちは。大丈夫でしたよ。お邪魔します」
俊介さんが買い物袋を持ってくれたので、すべて渡して、上がらせてもらう。
眩しかった小野家と比べると、木の香りが漂う一軒家は落ち着く気がする。
「ひとりの生活には慣れました?」
廊下を歩く俊介さんを追う。
「大変さを実感しています」
「そうですよね。お洗濯、ご飯、買い物。誰もやってくれないですもんね」
「そうなんですよね。四苦八苦しながらなんとかやっています。蕎麦ありがとうございます」
キッチンで袋の中身を取り出していく。
「天ぷらも作りますね」
「いいですね。教えてください」
「じゃ、一緒に作りましょう。普段のご飯は出前ですか?」
「頼む時もありますけど、取りに出られる夜だけですね。朝は自炊で、昼間はインスタントがメインです。まだ電子レンジがないので、冷凍モノは食べられなくて」
「近かったら、ご飯作りにきたいですけど」
「いえ。僕も覚えないといけませんから、たまに甘えさせてください」
「わかりました」
俊介さんと並んで昼食の準備をする。
天ぷらに使う野菜や鶏肉を切りながら、まな板は食中毒予防のために食材ごとに分けた方がいいですよ、とか天ぷらの揚げ方や揚げる順番などを伝えていく。
俊介さんの手つきは危なっかしいけど、とても真剣に取り組んでいる。
一緒にご飯を作れるなんて、楽しい。
ここならご実家よりも、訪問しやすいから、もうちょっと会えるようになるかも。俊介さんの了解を得られたら、だけど。
「ちょっと作り過ぎちゃいましたね」
こんもりとお皿に盛った天ぷらの山。鶏天、海老、山芋、蓮根、かぼちゃ、なすび、ちくわ、舞茸。ふたりで食べきれない量になってしまった。
「あまったら、夜にいただきます」
「天丼がオススメです」
「いいですね」
いただきますと手を合わせて、揚げたてさくさくの天ぷらを食べ、蕎麦をすする。お腹いっぱいの昼食をいただいた。
「僕が洗います。彩綺さんはゆっくりしていてください」
食後、俊介さんがそう言って袖をまくった。
「俊介さん、その腕‥‥‥」
腕が赤くなって、じんましんができている。
「あ、そうでした。気持ち悪いですよね。すみません」
袖を伸ばして隠そうとする手を止める。
「違います。気持ち悪いなんて思わないです。あの、アレルギーが出たんですか」
「はい。うっかりして、袖をめくった状態のまま玄関を開けてしまって。少しの時間だったから平気だと思ったんですけどね。出ちゃいました」
「痛々しい。怖いですね。少しの時間でも紫外線に触れたらこうなってしまうんですね」
「これは、軽い方なので。酷いときは頭痛やめまいも出て、しばらく布団の民になります」
「そんな症状も出るんですか。気をつけないといけないですね」
「気をつけます」
いつも長袖の服を着ていたから、初めて目にした。痛々しい状態を。
「俊介さん、一緒に電子レンジを買いに行こうって約束しましたけど、まだ外に出ちゃダメです。冬になったら行きましょう」
「寒くなるまで電子レンジはなしですか」
落胆したのは電子レンジが買えないからか、私と買い物に行けないからか、どっちかな。
私も二人で出掛けるのを楽しみにしていた。だけど、少しの時間でも症状が出てしまうなんて。一人暮らしなんだから、無理はさせちゃいけない。
「お父様にお願いして、温めるだけのレンジを買ってきていただきましょう」
「それしかないですね。楽しみにしていたのに」
悲しい顔をする俊介さんに、きゅんと心がうずく。
「私も残念です。いつか一緒にお出掛けしましょうね」
お互い残念に思っている。その気持ちを共有できているだけで救われる気がする。
よしよしとハグしたい気持ちを堪えて、俊介さんの手を包みこんだ。
次回⇒47. 不審な手紙
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