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14. 本と飲み物
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この日は正午を越えてから、二週間ぶりに雨が降った。
その間、小野様の来店はやはりなく、今日久しぶりに小野様の姿を見られた。
彼がいつも座る席にはご高齢のご婦人がいて、玉露を楽しんでいる。
その接客に美鈴さんがついていたので、小野様はレジの真向かいに座った。
「お待たせいたしました。紅茶とイチゴショートでございます」
「ありがとうございます。美味しそうですね」
小野様の前に、ティーポットとケーキを用意する。彼の目線はやっぱりケーキ。
血色のいい唇がにこりと上がる。
「今日は甘酸っぱいケーキなんですね」
「今は、恋愛小説を読んでいるんですよ」
本の表紙を見せてくれる。
「恋愛小説だから、甘酸っぱい物が食べたくなるんですか?」
「いえ。この本の世界に浸りたくて、恋愛っぽいものを食べるんです」
恋愛の甘酸っぱさを、イチゴショートで疑似体験しているってことかな?
かつての私なら、恋愛が甘酸っぱいなんて理解できなかった。でも、今なら少しわかる。
小野様に会えるかもしれないと思うと、仕事に来るのが楽しい。でも、会えない日が続いて、寂しくて。毎日、小野様のことを考えていた。クッションを抱きかかえて。
「その日の飲みたい物ではなくて、本によって、変えるんですか?」
「そうなんですよ。こんなことしているのは、僕ぐらいかもしれませんけど」
そろそろかな、と紅茶をティーポットからカップに注ぐ。湯気とともに紅茶の香りがふわりと立ち上がる。
「そういうの、おもしろそうですね。私、本を読む習慣があまりなくて。何を読んだらいいのかわからなくて。その日の飲みたいもの、食べたいもので、読む本を選ぶのもおもしろそうだなって思いました」
「僕はジャンルに飲み物を合わせるタイプですけど、飲みたいものに本を合わせるのも、良さそうですね」
小野様はカップの持ち手をつまむようにして持ち上げ、紅茶を一口。
優雅に見える持ち方に、ついうっとりと見惚れしまう。それに指がほっそりとしていて、きれい。
「二杯目はミルクと合わせたいので、後で用意していただいてもいいですか」
「かしこまりました。ごゆっくりどうぞ」
私はティーポットにカバーをかぶせてから、テーブルを離れた。
離れたけれども、受付の真向かいに小野様がいるので、落ち着かない。
じっと見つめているわけにはいかないのに、つい目をやってしまう。
ケーキを食べ終わるのと同時に一杯目の紅茶を飲み干した。温めたミルクをお持ちすると、二杯目をミルクティーにした。そして本の世界に没入。
私はときどき外に目をやって、小野様を見ていないフリをした。
そして、たまにさりげなく視線を向けるに留めた。意識しないとずっと見てしまうから。
彼の性格はほとんどわからない。容姿や雰囲気に惹かれていいのかなと思いはしたけれど、好きになってしまった。気持ちを抑えることはできない。
彼が妻帯者か、よっぽどひどいフラれ方でもしない限り、想いを断ち切ることはできそうにない。
本を読む手をこっそりと見る。どの指にもアクセサリーはついていなかった。
那美ちゃんが言うには、指輪をしない結婚していることを言わないで、声をかけてくる男性が世の中にはいるらしい。
指輪をしていなかったら知りようがない。でも、たぶん小野様は未婚だと思う。
希望を込めて見つめていると、小野様が本を閉じた。腕時計を見る。
30分。今日もこれでさようなら。
以前に比べると、小野様との距離は進展した。だけど、ここから先の関係に進むには、どうすればいいんだろう。
荷物をまとめた小野様が席を離れた。
支払いを終えたとき、
「本、お貸ししましょうか?」
小野様から、話しかけられた。
びっくりして、声が出ない。
「さっき、何を読んだらいいのかわからないとおっしゃっていたので、好みの飲み物に合いそうな本をお貸ししようかなと、ふと思って」
「あの‥‥‥ありがとうございます」
なかば呆然としながら、なんとか答えた。
「一度家に帰って、何冊か持ってきます。よく飲むものはなんですか?」
「なんでも飲みますけど‥‥‥あの、そんなの、悪いですよ」
「いえ、本だけはたくさんあるんです。母から床が抜けそうだと言われるぐらい。家族三人とも、読書が好きなので。本好きが増えるかもしれないお手伝いは、喜んでしたいです」
ああ、これが尊いという感情なんだ。本に向けられた純粋な思いに触れ、なんだか彼が眩しく見える。
「貸していただけるのは、とても嬉しいです。でも、本は重いのに、往復なんて。次ご来店の時にお持ちいただいても」
「僕は雨の日にしか来られないので、いつになるか」
遠慮が二人の間で行ったり来たり。
え、どうしようと思っていると、
「滝川さん、今日はもう上がってください」
美鈴さんが間に入ってきた。
顔を向けると、うんうんと頷いている。
「あの、差し支えなければ、お家に出向かせてもらってもいいですか? 私は外で待っていますので」
「僕は構いませんが、いいんですか?」
「小野様が良ければ。着替えてきますので、少しだけ待っていてもらえますか」
「ええ。では、外で待っています」
「中でお待ちになって、大丈夫ですよ。まもなく閉店ですので」
と美鈴さんが小野様に伝えてくれる。
私は大急ぎで制服を脱いだ。
今日はパンツスタイルで来てしまった。
こんなことになるんなら、もっとかわいい服を着てくればよかった。
次回⇒15. 並んで歩く雨の道
その間、小野様の来店はやはりなく、今日久しぶりに小野様の姿を見られた。
彼がいつも座る席にはご高齢のご婦人がいて、玉露を楽しんでいる。
その接客に美鈴さんがついていたので、小野様はレジの真向かいに座った。
「お待たせいたしました。紅茶とイチゴショートでございます」
「ありがとうございます。美味しそうですね」
小野様の前に、ティーポットとケーキを用意する。彼の目線はやっぱりケーキ。
血色のいい唇がにこりと上がる。
「今日は甘酸っぱいケーキなんですね」
「今は、恋愛小説を読んでいるんですよ」
本の表紙を見せてくれる。
「恋愛小説だから、甘酸っぱい物が食べたくなるんですか?」
「いえ。この本の世界に浸りたくて、恋愛っぽいものを食べるんです」
恋愛の甘酸っぱさを、イチゴショートで疑似体験しているってことかな?
かつての私なら、恋愛が甘酸っぱいなんて理解できなかった。でも、今なら少しわかる。
小野様に会えるかもしれないと思うと、仕事に来るのが楽しい。でも、会えない日が続いて、寂しくて。毎日、小野様のことを考えていた。クッションを抱きかかえて。
「その日の飲みたい物ではなくて、本によって、変えるんですか?」
「そうなんですよ。こんなことしているのは、僕ぐらいかもしれませんけど」
そろそろかな、と紅茶をティーポットからカップに注ぐ。湯気とともに紅茶の香りがふわりと立ち上がる。
「そういうの、おもしろそうですね。私、本を読む習慣があまりなくて。何を読んだらいいのかわからなくて。その日の飲みたいもの、食べたいもので、読む本を選ぶのもおもしろそうだなって思いました」
「僕はジャンルに飲み物を合わせるタイプですけど、飲みたいものに本を合わせるのも、良さそうですね」
小野様はカップの持ち手をつまむようにして持ち上げ、紅茶を一口。
優雅に見える持ち方に、ついうっとりと見惚れしまう。それに指がほっそりとしていて、きれい。
「二杯目はミルクと合わせたいので、後で用意していただいてもいいですか」
「かしこまりました。ごゆっくりどうぞ」
私はティーポットにカバーをかぶせてから、テーブルを離れた。
離れたけれども、受付の真向かいに小野様がいるので、落ち着かない。
じっと見つめているわけにはいかないのに、つい目をやってしまう。
ケーキを食べ終わるのと同時に一杯目の紅茶を飲み干した。温めたミルクをお持ちすると、二杯目をミルクティーにした。そして本の世界に没入。
私はときどき外に目をやって、小野様を見ていないフリをした。
そして、たまにさりげなく視線を向けるに留めた。意識しないとずっと見てしまうから。
彼の性格はほとんどわからない。容姿や雰囲気に惹かれていいのかなと思いはしたけれど、好きになってしまった。気持ちを抑えることはできない。
彼が妻帯者か、よっぽどひどいフラれ方でもしない限り、想いを断ち切ることはできそうにない。
本を読む手をこっそりと見る。どの指にもアクセサリーはついていなかった。
那美ちゃんが言うには、指輪をしない結婚していることを言わないで、声をかけてくる男性が世の中にはいるらしい。
指輪をしていなかったら知りようがない。でも、たぶん小野様は未婚だと思う。
希望を込めて見つめていると、小野様が本を閉じた。腕時計を見る。
30分。今日もこれでさようなら。
以前に比べると、小野様との距離は進展した。だけど、ここから先の関係に進むには、どうすればいいんだろう。
荷物をまとめた小野様が席を離れた。
支払いを終えたとき、
「本、お貸ししましょうか?」
小野様から、話しかけられた。
びっくりして、声が出ない。
「さっき、何を読んだらいいのかわからないとおっしゃっていたので、好みの飲み物に合いそうな本をお貸ししようかなと、ふと思って」
「あの‥‥‥ありがとうございます」
なかば呆然としながら、なんとか答えた。
「一度家に帰って、何冊か持ってきます。よく飲むものはなんですか?」
「なんでも飲みますけど‥‥‥あの、そんなの、悪いですよ」
「いえ、本だけはたくさんあるんです。母から床が抜けそうだと言われるぐらい。家族三人とも、読書が好きなので。本好きが増えるかもしれないお手伝いは、喜んでしたいです」
ああ、これが尊いという感情なんだ。本に向けられた純粋な思いに触れ、なんだか彼が眩しく見える。
「貸していただけるのは、とても嬉しいです。でも、本は重いのに、往復なんて。次ご来店の時にお持ちいただいても」
「僕は雨の日にしか来られないので、いつになるか」
遠慮が二人の間で行ったり来たり。
え、どうしようと思っていると、
「滝川さん、今日はもう上がってください」
美鈴さんが間に入ってきた。
顔を向けると、うんうんと頷いている。
「あの、差し支えなければ、お家に出向かせてもらってもいいですか? 私は外で待っていますので」
「僕は構いませんが、いいんですか?」
「小野様が良ければ。着替えてきますので、少しだけ待っていてもらえますか」
「ええ。では、外で待っています」
「中でお待ちになって、大丈夫ですよ。まもなく閉店ですので」
と美鈴さんが小野様に伝えてくれる。
私は大急ぎで制服を脱いだ。
今日はパンツスタイルで来てしまった。
こんなことになるんなら、もっとかわいい服を着てくればよかった。
次回⇒15. 並んで歩く雨の道
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