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12. 少し近づく距離

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 顔を逸らしつつ、さりげなく小野様を視界に入れる。

 私が作ったどら焼きをぱくり。んーと軽くのけ反って、目を細める。

 美味しいんだ。
 口に合ったみたいで、うふふと頬が緩む。

 まあ、生地もあんこもバターも、私が作ったわけでも材料を選んだわけもないのだけれど。
 でも、最終的には私が合体させたんだし。私の手柄にしてもいいよね。

 ふふんと、一人悦に入って――、合体!? 合体という単語に慌てふためき、顔が熱くなる。
 いやいや、どら焼きのことだから。仕事中に何を考えてるのよ。と自分を叱りつける。

 小野様は、どら焼きを食べ終え、二煎目の玉露を飲んで、ふーと満足そうな笑みを浮かべていた。
 柔らかいほっこりした笑顔に、私は癒される。

 ミステリアスな雰囲気を持っているけれど、お菓子を食べている姿を見ると、意外とそうでもないのかな。とふと思う。

 小野様は本を開いて読み始めた。真剣な顔で文字を追っている姿はクールでかっこいい。

 音楽のない店内には、冷蔵庫の電子音、しとしと降る雨の音、そしてページをめくる音がする。指と紙がこすれる乾いた音。そこに彼の息遣いを感じる。

 彼と私しかいない。

 静かな時間。

 このまま時が止まってしまえばいいのに。

 叶うはずもない希望。

 小野様がぱたりと本を閉じた。30分。彼がここで読書に費やす時間は、いつも30分と決まっている。

「ほうじ茶か煎茶がご用意できますが、お飲みになりますか」
 お盆にはお煎餅が残っていた。

 迷う素振りを見せた彼は、
「それではほうじ茶をいただけますか」
 と静かに言った。

 ほうじ茶を淹れてお持ちすると、お煎餅を半分に割って食べていた。

「どうぞ」
「ありがとうございます。どら焼き、とても美味しかったです」

 感想を伝えられて、私の中にいるもう一人の私が、きゃーと天に昇っていった。

「甘い物に目がないのですが、体重コントロールのために、意識して控えているんです。今日は時代小説を読んでいるので、日本茶が飲みたくて。お茶だけだと口寂しく、お茶請けが欲しくなってしまいました。頼んで正解でした。ご馳走さまでした」

 にっこりと、歯が見える笑顔を向けられた。

 私の心臓はむぎゅっと掴まれ、痛いほど早鐘を打つ。

「いいいいいえ。お口に合って、良かったです」
 どもりながら、なんとか返答する。

「こちらは、ケーキセットや軽食がいただけるんですね。オススメのケーキはありますか」
「オ、オススメですか。えっと、どれもとても美味しいのですが、チーズケーキが私は大好きです」

「チーズケーキの種類は?」
「ニューヨークと、スフレの二種類がございます」

「その日の気分で選べるのは嬉しいですね。また近いうちにいただきにきます」
「お待ちしております」

 会計をして、彼を外まで見送る。
 淡い青色の傘を差し、軽く一礼をくれる。

「ご利用ありがとうございました」
 小野様は住宅街に向けて歩いて行った。

 自宅に戻る電車の中、私は那美ちゃんにメッセージを送る。

 話せたこと、名前を教えてくれたこと、甘いものが好きなこと。

 舞い上がった状態で書いたメッセージはミスだらけで、就業後に読んだ那美ちゃんに指摘されて気がついた。




   次回⇒13. ミステリアス?
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