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8. 初恋の足音

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「それは、恋だね。恋」
 レモンチューハイのグラスをテーブルにどしんと置いて、確信のある口調で、那美ちゃんが言う。

「やっぱりそうなのかなあ? まだ数回しかお店に来てないのに」
 私は汗の流れる青りんごチューハイのグラスを、意味なくお手拭きで拭う。

「一目惚れだね」
「一目惚れ、かあ」

 恋愛経験のある那美ちゃんが言うんだからと、私はすんなり受け入れた。

 美鈴さんが『雨の君』と呼ぶあの男性がお店に来て一カ月ほどが経った。来店があったのは初めて私が会った日を入れて3回。すべて雨の日。

 青い傘を見かけるとはっとしてしまうほど、意識してしまっている。
 窓から見えないかなと、つい姿を追ってしまうし、庭から喫茶店のドア開くと、どきどきしてしまう。

 まさか私が恋なんて。
 違うと思っていたけれど、やっぱり恋に落ちているみたい。

「気がつけば姿を追ってるのは、気になってる証拠。あたしがあの男子良いと思わない? って言ったのと同じだよ」
「そっか。同じなんだ」

 那美ちゃんとの付き合いは、小学校三年生からと、とても長い。その頃から恋多き女子だった。
 小学校六年生の時から彼氏がいたし、一途というよりは、いろんな人と付き合っていた。時期は被ってなかったと思うけど。

 私は自分の体の反応に戸惑い、休みが合った今日、那美ちゃんに相談に乗ってもらった。
 那美ちゃんは四年目の美容師。技術の練習で忙しくしているのに、夜、時間を空けてくれた。
 個室のある居酒屋で、二人でご飯を食べている。
 テーブルにはシーザーサラダ、チヂミ、たこの唐揚げ、だし巻き卵が並んでいる。

「失礼しまーす。冷やしトマトおまたせでーす」
 居酒屋の男性スタッフが顔を出し、注文の品をテーブルに置いていった。

「いまのお兄さん、けっこうイケメンだけど、何も思わない?」
「え? うん。何も」

 那美ちゃんに言われて、私は男性スタッフを目で追う。
 お兄さんは、爽やかな笑顔で女性客と話している。でも、私は何も思わない。イケメンなのかどうかも、よくわからない。

「わかりやすい爽やかイケメンで、モテるだろうねえ。声かけてこよっかな」
「那美ちゃんは気が多すぎ」

「いい人がいたら縁繋いでおきたいじゃん」
 那美ちゃんには、たしか彼氏がいたはずだけど。

「あの人とは別れたの?」
「うん。別れた。男友達、全部切れって言ってくるからさあ、じゃお前を切ってやんよって」

 明るくけらけらと笑う。
 私はため息をつく。

「那美ちゃんが好きだからだよ」
「束縛男は嫌なんだよね」

 那美ちゃんは男女関わらず付き合う人が多いから、なかには嫉妬をする人もいるんだろう。
 つくづく同性で良かったと思う。同性なら頼もしい相談相手だから。

「それで、その人とどうなりたいの? 付き合いたい?」
 那美ちゃんはトマトをぱくっと口に入れる。

「まだ、よくわかんなくて」
 私はだし巻き卵をぱくり。わ、美味しい。ふんわり柔らかいのに、卵と出汁の味はしっかりしている。

「お店にこなくなったら、もう会えなくなるかもしれないじゃん。それ、嫌じゃない?」
 出勤日は天気予報と空をチェックする癖がついた。雨以外だと、落胆してしまう。

「そうだね。雨の日が待ち遠しくって」
「雨が待ち遠しいって‥‥‥乙女だね」

 一瞬口を閉じた那美ちゃんは、にやりと右側の口角を上げた。

「からかわないで」
 むううと私が唇を尖らせると、那美ちゃんがまたけらけらと笑う。

「かわいいって言ってんの。それって会いたいってことでしょ。お店以外の繋がりがあれば、安心じゃない?」
「そうだけど‥‥‥お客さんに連絡先教えたり、聞いたりって、ハードル高いよ」

「まあ、さいちゃんには難しいだろうなあ」
「私にも恋ができるってわかっただけで、今は十分かなあ」
 青りんごチューハイをこくり。

「あたしは自分で縁を繋ぎに行くタイプだけど、彩ちゃんは、縁を待つタイプなんだろうね」
 縁を待つタイプと言われて、納得した。

「そうだと思う。今のアルバイトもお母さんからの縁だし」

 チヂミをレモンチューハイでごくりと流し込んだ那美ちゃんに、

「何かきっかけがあったら、話しかけてみなよ。連絡先の交換は先でも、その人に彩綺っていう人間を認識してもらわないと、縁も繋がりようがないし」
 と背中を押された。

「そうだね。美鈴さんがお休みで、他にお客さんがいない時とかに、勇気出してみようかなあ」

「そうしなよ。どんな本読んでるんですかとか、好きな植物はあるんですかとか」

「やってみる」

 那美ちゃんにアドバイスをもらって、頑張ってみようかなという気になった。


   次回⇒9. きれいな瞳
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