【完結】想いはピアノの調べに乗せて

衿乃 光希(恋愛小説大賞参加しています)

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番外編 さいごに見る夢は

ピアノへの想い

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 抗がん剤の影響で髪が抜けた母に、ウイッグを買った。
 気に入ってくれたようで、人と会わないときでも被っていた。体調はあまり良くない。

 抗がん剤が効いたら、癌が小さくなるかもしれません。そうなったら手術ができます。
 お医者さんはそう言ったけれど、副作用が出ただけで、効果はなかった。

 抗がん剤をやめると、調子が少し上向いた。
 大量にできた口内炎のせいで食べられなかった固形物が、少しずつ食べられるようになった。
 げっそりと痩せた見かけは戻らなかったけど、笑顔を見せるようになった。

「食べられるようになってきて、よかったね」
 小さく切ってきた梨をタッパーごと差し出すと、母は微笑んでつまんだ。

「瑞々しくて、美味しい」
「もう少ししたらみかんが出るから、甘そうなの買ってくるわね」
「いつもありがとう、恵ちゃん」

「みかんって言えばさ、昔行った旅行覚えてる?」
「旅行? ああ、そうね。恵ちゃんが成人したときに行ったわね」

 西国の島に母と二人で二泊三日の旅行に行った。
 温泉宿だけ予約をして、あとはまったくの無計画。
 適当に電車に乗り、街を練り歩き、美味しいものを食べた。迷子になりながら。

「みかん狩りやってて、いきおいで行っちゃって。みかんお腹いっぱい食べて、おいしくて安かったから二箱も買って家に送って」
「あちこちに配り回ったわねえ」

「そうそう。旅行って普段と違うテンションになるのはどうしてなんだろうね」
「非日常になれるのがいいんでしょうね。誰の目も気にしなくてよくって」

「愛実がね、就活疲れるって。どっか行きたいってぼやいていたから、元気になったら旅行行こうよ」
「私も連れて行ってくれるの?」
「もちろんよ。あの時以来行かなかったから。母さんはどこに行きたい?」

「行きたい所ねぇ、そうねぇ……あ、恵ちゃん、前にもお願いしたでしょ。私あのストリートピアノに会いに行きたいの」
 ピアノのことはもう忘れているだろうと思って、どこかの駅に設置されているというピアノは探していなかった。

「ピアノならこの病院にもあるらしいわよ。お願いして弾かせてもらいましょうよ」
 母が病室から消えたあの日、帰りにナースに確認をした。見ていた番組はわからないけど、ピアノなら院内にありますよと教えてもらった。

「あのピアノじゃないとだめだの」
 いつになく頑固な母に面食らう。

「ピアノなんてどれでも一緒でしょ?」
「違うのよ。違うの」
「どうしてそのピアノにこだわるの?」
「あのピアノはね、私を救ってくれたピアノなのよ」
 母は子供の頃の思い出を語ってくれた。思えば恵が生まれる前の、母の人生を聞いたことはなかった。
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読みに来てくださり、ありがとうございます。ほっこりじんわり大賞用の現代恋愛を28日から開始する予定です。初恋のドキドキを読みにきていていただけると、嬉しいです。
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