【完結】想いはピアノの調べに乗せて

衿乃 光希(恋愛小説大賞参加しています)

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番外編 さいごに見る夢は

恵の過去

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 恵に父親はいない。七歳の時に離婚をした。離婚を勧めたのは、恵自身だった。

 五歳の春、父賢二の実家に引っ越した。
 方言のある地方で、標準語を使う桂子と恵に周囲はよそよそしく、馴染めなかった。
 義父母と伯父夫婦は守ってもくれず、それどころか、率先して意地悪だった。
 理不尽な文句を言われ、使用人のようにこき使われても、母は耐え、我慢していた。

 ある事件がきっかけで、恵が抱いていた一家に対する嫌悪感が爆発した。
 守ってくれない父なんていらないと母をたきつけ、離婚届けを置いて二人で家を出た。

 片親はまだ珍しい時代だったけど、恵自身は父の不在を寂しいと感じたことはなかった。
 放課後は学童で友達と過ごし、夕方家に帰ると仕事を終えた母と買い物に行き、一緒に夕食を作った。一部屋に布団を敷いて隣同士で寝た。2DKの社宅は、ちょうどいい狭さだった。

 恵が中学生になると、桂子は昼の仕事に加えて、夜の食堂でも働き始めた。
 帰宅は毎日夜の十時を回る。土日もほとんど休まず出勤。
 そろそろ自分の部屋が欲しいでしょ、と一部屋を恵専用にしてくれた。

 急に変わった環境に、恵はすぐに適応できなかった。

 朝に作り置きしていく食事をレンジでチンするのは味気なかった。
 テレビを見ていても気は紛れない。
 先に風呂に入り、部屋にこもっていると、帰ってきた母が扉の向こうからただいまと声をかけてくる。最初こそ「おかえり」と部屋から出ていたけど、次第に恵は顔を見せなくなった。

 友達には一人で好きなことができるから羨ましいと言われる。一人で過ごす夜の寂しさを理解してもらえない。
 そのうち寂しいのは子供っぽいんだと思うようになり、隠したり強がったりするようになった。

 そんな時、小学校の頃からの友達に誘われて、彼女の家に行くようになった。
 彼女の両親は共働きで、ほとんど家にいない。環境が似ていたこともあって、彼女と過ごす時間が増えていった。ごろごろしてくだらない話をすることが、ただただ楽しかった。

 夜に出歩くようにもなった。
 特に何をするでもなく、繁華街を歩き回り、路上でただ喋るだけ。
 最初は週に一・二回だけだったのが、夏休みに入ると毎日毎夜、出歩くようになった。

 夜は人の顔がよく見えない。だからなのか、昼間は隠しているものがさらけ出される。
 きっちりとしたスーツを着て、ネクタイを締めている人たちが、夜はネクタイを解き、千鳥足で街を行く。
 酔っ払いなんて大嫌いだけど、締まりのなくなった人を嘲笑うと、心がすっとする気がしていた。

 中学生が繁華街を歩いていると、きっちりした大人に見咎められる。補導されたことも一度や二度ではすまない。
 またお前かと何度も呆れられた。
「いつか危険な目にあうよ」
 と心配する言葉をかけられると、そんな社会にしたあんたたちが悪いと悪態を吐き、
「将来どうするの」
 と叱られれば、あんたに関係ないじゃんと鼻で笑った。

 この子はどうしようない、と溜め息をつく大人の姿を見てげらげらと笑った。
 だけど、
「片親だから、悪く育つ」
 と言われたときだけは、本気で腹が立った。

 友達の家は両親揃っていて、自分と同じ行動をしている。
 どうして母親だけだから悪くなると決めつけられるのか、納得がいかなかった。

 母に直接言う無神経な大人もいた。
 何も知らないくせに、正義を振りかざす大人にムカついた。
 へこへこと頭を下げて謝罪しかしない母にも苛立った。
 母子家庭になったのは、母のせいじゃない。父親や父親の一家が悪いのに、どうしてわたしたちが責められないといけないのか。

 何もかもが嫌になって、中二に進級する前の春休み、家出をした。
 お金はなかったから、バスを乗り継いで行けるところまで行って、バスの終点の住宅街をぼんやり歩いていると、自転車の警察官に声をかけられた。

 高校を卒業して警官になったばかりだという彼に興味を覚え、目を向けると、友達のお兄ちゃんにいそうな人だった。
 気が付けば、横をついて歩いてくる警官に話をしていた。

 離婚後、母と二人での生活が落ち着いていて、居心地がよかった。
 母が仕事を増やしてから、落ち着いていた日々の均衡が崩れた。
 勉強は難しくなってついていけない。
 先生もうるさい。
 むくむくと反発心だけが育ち、実際はなにもできない自分にイラつき、母とも話ができない。

 今思えば反抗期だっただけなのに、当時は気持ちを持て余していた。

 優しいお兄ちゃんのような雰囲気の警官にぶちまけるように話を聞いてもらうと、妙にすっきりした。
 わかるよと同情することはなく、友達のように大人が悪いと呷ってくることもない。説教だってなかった。
ただうんうんと話を聞いてくれただけ。

 唐突に帰りたくなり、夜を外で過ごすことなく真っ直ぐ家に帰った。
 母より先に戻り、何食わぬ顔をして出迎えた。
 疲れた顔をしていた母が恵を見たとたん、表情を崩した。母の安心したような笑顔に、今までどれだけ心配をかけていたのかなと、心が痛んだ。

 クラス替えをきっかけに、彼女とは少しずつ距離を置いた。
 夜一人で家にいるのは寂しかったから、誘いに何度か心が動きそうになりながらも断った。

 何か夢中になることを見つけたくて、部活に入った。
 金銭的な負担をさらにかけてしまうけど、放課後を誰かと過ごす時間が、まだ必要だった。

 一年遅れで運動部に入る勇気はなくて、調理実習がきっかけで仲良くなった子の誘いを受けて調理部に入った。料理なら母と一緒に作ったことがあるから、興味がないこともなかった。

 調理部の活動は週二回。
 活動のない日、母に誘われて夕方からのパート先の食堂に行った。
 オーナー兼店長の村井は恵を歓迎して、オムライスを作ってくれた。
 気の良いおじさんという感じだった。

 夕飯時前の忙しい時間の来訪だったのに、にこにこと微笑んで話しかけてくれた。
 それから週一で食堂に通うようになった。

 母以外にもパートさんが二人いて、みんな親切だった。
 料理の仕方も教えてもらって、食堂に行くことが楽しみになった。
 調理部の活動も楽しくなり、母が不在の寂しさは薄れていった。

 今、恵が夫と共に飲食店を経営しているのは、この食堂での体験が原点になっていた。

 村井と母は、恵が高校を卒業してから、パートナーになった。
 村井が父親になるのは実感がなかったけど、村井となら再婚してもいいかなと思っていた。
 でも結局母は、籍を入れなかった。
 村井にも子供がいるから、と断った理由を聞いた。

 二人は今も関係が続いている。
 身の回りの世話は恵がするけど、恵には店と家事もある。
 店のある村井も時間を作って母の見舞いにきてくれていた。
 村井が午前中に来た日は母の機嫌が良かった。つらい治療の日々の助けになってくれていると、恵も村井に感謝していた。
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読みに来てくださり、ありがとうございます。ほっこりじんわり大賞用の現代恋愛を28日から開始する予定です。初恋のドキドキを読みにきていていただけると、嬉しいです。
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