【完結】想いはピアノの調べに乗せて

衿乃 光希(恋愛小説大賞参加しています)

文字の大きさ
上 下
7 / 70
第一話 冴木 柚羽 ~目覚め~

夏休み2

しおりを挟む
「ここの生徒?」
 ピアノに近づきながら女の子に尋ねた。

「転校してきて、明日から通うの。今日はお母さんとあいさつに」
「そうなんだ。学童に通ってて、お祖母ちゃんを待ってたらきれいなピアノが聴こえてきたから。勝手に聴いててごめんね」

「ううん。夏休みに生徒がいたのはびっくりしたけど、聴いてくれてうれしい。拍手までしてくれて」
「すごく良かったから。感動しちゃった。あ、三年二組の冴木さえき柚羽ゆずは。あなたは?」

「わたしは三年一組になるみたい。峯村ユリです。よろしくね」
「同じ学年だったんだ。大人っぽいから四年生か五年生かなって思ってた」

「そうかな? 親戚からはしっかりしてるってよく言われるけど。弟がいるからじゃないかな。ねえ、柚羽ちゃんって呼んでもいい? わたしも学童に入るんだ」
「あ、うん。いいよ。それじゃ、ユズもユリちゃんって呼んでも?」
「いいよいいよ。クラスも一緒だったらよかったのに」

「ほんとだね。ユリちゃんはピアノすごく上手だね。最初に弾いてた曲気に入っちゃって、リクエストしたらダメかな?」
「いいよ。あの曲はショパンのエチュード、練習曲のひとつでエオリアンハープっていうの」
 言いながら、ユリちゃんはピアノに向き直った。

「柚羽ちゃん、聴きながら想像してみて。羊飼いの少年が、暴風雨を避けて洞窟に避難しました。外は強い雨と風。少年は笛を取り出して美しい旋律を奏でます。弾くね」

 そっと鍵盤におろしたユリちゃんの細い指が動きだす。なめらかに。流れるように。強弱をつけながら、きれいな旋律が紡がれる。

 台風の日。窓が割れるんじゃないか、家が飛ぶんじゃないかと不安だった日を思い出した。
 ガンガンと音をならして吹きつけてくる強い風と、叩きつけてくるようなどしゃぶりの雨。
 怖くてずっとお祖母ちゃんにしがみついていた。

 あのときこの曲が聴けていたら、不安や恐怖はすぐにかき消されたと思う。
 最初聴いたときに感じた暖かさを再び感じた。心がじんわり温かくなって全身に広がっていく。

 演奏はあっという間に終わってしまった。何度も繰り返して欲しいくらい。いつまでも聴いていたかった。

「ユリちゃんすごいよ。とってもきれい」
「ありがとう。大好きな曲なんだけど全然上手く弾けなくて」

「とっても上手だと思ったんだけど、ユリちゃんは納得してないんだ」
「ぜんぜんダメ。もっと練習しないと。柚羽ちゃんピアノ経験は?」

「ないよ。こんなすごいのユズに弾けるわけないもん」
「練習いっぱいしたらいつか弾けるようになるよ」

「無理だよ」
「わたし憧れてる曲がたくさんあるんだ。いつか弾けるようになりたいって思って、そのためにいろんな曲を練習してるの」

「こんなに上手に弾けるのに、弾けない曲があるの?」
「たくさんあるよ。難しいけどすてきな曲が。エオリアンハープだってそう。わたしのレベルじゃまだ早いんだけどね。柚羽ちゃんは音楽好き?」

「うん。好き。パパとママと一緒にコンサートに行ったよ」
「すてきな音楽を自分の手で紡ぎたいって思わない?」
「え……」

 できるの? そう思ったのは初めて。演奏を聴くのは好きだけど、自分が演奏する側に回るなんて考えてもみなかった。あんなきれいな曲を奏でられたら、とてもすてきだなと思えた。でもユズにできるのかな。

「柚羽ちゃん、座って」

 手招きをされるまま、ユリちゃんの隣に座った。
 鍵盤の端と端はユズが精いっぱい手を伸ばしてもきっと届かない。
 黒く白く光るピアノがすごく圧倒的な存在に思える。

「ドレミの歌は知ってるでしょ」
「うん」
「ここがドの場所。右手の親指で押してみて」

 心臓がドキドキしてる。鍵盤を押したら、音が出るんだ。ユズが立てる音。

 恐る恐る手を伸ばし、白鍵に親指を乗せた。押す。ポーンとポスンの間の弱々しい音が出た。

「出た。音が出たよ、ユリちゃん」
 ユリちゃんが出す意志をもっているような音とは比べものにならないけど、テンションが上がった。

「次は隣の鍵盤を人差し指で」
「うん」
 レの音、次は中指でミの音。
「この三つでドーナツのドまで演奏してみようか。弾いてみるね」
 ユリちゃんが手本を見せてくれる。
「ゆっくりでいいから弾いてみて」
「う、うん」

 ドレミの歌は知っている。なのに頭で考えたようには指が動かない。
「難しいよ」
「繰り返せば絶対弾けるよ」
 言われるがまま、ドーナツのドだけを何度も繰り返す。そのうちに、リズム通り指が動くようになってきた。
「柚羽ちゃんすごい。弾けるようなってきたよ」

 ユリちゃんに褒められたのが恥ずかしくて、だけどとても嬉しかった。
「楽しくない?」
「楽しい」

 聞かれて素直に頷いた。思うように弾けないことが悔しくて、何度も何度も繰り返す。ぜんぜん嫌じゃなかった。飽きなかった。もっと上手く弾きたい。弾けるはず。そう思えた。

「上達のコツは、反復練習なんだよ。諦めない、それが大事かな」

 そう言ってユリちゃんはもう一度エオリアンハープを弾いてくれた。
 流れるように動く指の動きを見ながら聴くと、より一層お気に入りになった。
 ユリちゃんのピアノがますます好きになった。

「あぁ、ここにいたのね」
 演奏に聴き入っていると、声が聞こえた。振り返ると学童の先生が立っていた。

「冴木さん、お祖母ちゃんがお迎えにきてくれたから」
「はい」
「峯村さんも、お母さんのご用事は終わられたから、一緒に戻りましょう」
「わかりました」

 ユリちゃんは鍵盤の蓋を閉じた。一緒に一階に下りる。
 だけど、ユズはまだまだピアノを弾きたかった。ユリちゃんの演奏も聴きたかった。
 気持ちだけ音楽室に残ったまま階段を降りていると、あ、と思い出した。
 学童の教室の隅に半透明のカバーがかかった小さなピアノのようなものがあったと。

 ユリちゃんとは職員室で別れた。
 お祖母ちゃんは学童教室の前の廊下で待ってくれていた。
 鞄を取りに行くついでに、カバーをめくってみる。
 それにはピアノと同じように白鍵と黒鍵が並んでいた。
 ドの鍵盤を押してみた。音が出ない。壊れているのかな。

 扉の近くでユズを見ていた学童の先生に尋ねてみる。
「先生。これってピアノ?」
「電子ピアノよ。電源を差せば音は出るはずだけど」
「学童で弾いてもいい?」
「ええ、いいわよ。でも、先生がストップって言ったらすぐに終わらせること。それと大きな音は出さないこと。約束できますか」
「はい。約束します」

 また弾ける。もっと上手に弾けるようになる。
 わくわくが止まらなくて、明日がすごく待ち遠しくなった。
 ユリちゃんと会うまで明日が不安だったのに、吹き飛んじゃうくらい。

 待ち遠しすぎて家に帰ってからも、頭の中でいっぱい練習をした。
 お祖母ちゃんが作ってくれたごはんを食べながら、ついているだけのテレビを見ながら、お風呂に入りながら、ベッドに入ってからも、たくさんたくさん練習した。頭の中では完璧に弾けた。
しおりを挟む
読みに来てくださり、ありがとうございます。ほっこりじんわり大賞用の現代恋愛を28日から開始する予定です。初恋のドキドキを読みにきていていただけると、嬉しいです。
感想 1

あなたにおすすめの小説

致死量の愛と泡沫に+

藤香いつき
キャラ文芸
近未来の終末世界。 世間から隔離された森の城館で、ひっそりと暮らす8人の青年たち。 記憶のない“あなた”は彼らに拾われ、共に暮らしていたが——外の世界に攫われたり、囚われたりしながらも、再び城で平穏な日々を取り戻したところ。 泡沫(うたかた)の物語を終えたあとの、日常のお話を中心に。 ※致死量シリーズ 【致死量の愛と泡沫に】その後のエピソード。 表紙はJohn William Waterhous【The Siren】より。

感情表明

落合 優帆
現代文学
主人公は過去に囚われて、何に関しても期待していなかった。 大事な友人や会社の同僚に助けられながら、どう変わっていくのか。 どんな人にもある心の闇。どう立ち向かっていくのか。

スルドの声(嚶鳴) terceira homenagem

桜のはなびら
現代文学
 大学生となった誉。  慣れないひとり暮らしは想像以上に大変で。  想像もできなかったこともあったりして。  周囲に助けられながら、どうにか新生活が軌道に乗り始めて。  誉は受験以降休んでいたスルドを再開したいと思った。  スルド。  それはサンバで使用する打楽器のひとつ。  嘗て。  何も。その手には何も無いと思い知った時。  何もかもを諦め。  無為な日々を送っていた誉は、ある日偶然サンバパレードを目にした。  唯一でも随一でなくても。  主役なんかでなくても。  多数の中の一人に過ぎなかったとしても。  それでも、パレードの演者ひとりひとりが欠かせない存在に見えた。  気づけば誉は、サンバ隊の一員としてスルドという大太鼓を演奏していた。    スルドを再開しようと決めた誉は、近隣でスルドを演奏できる場を探していた。そこで、ひとりのスルド奏者の存在を知る。  配信動画の中でスルドを演奏していた彼女は、打楽器隊の中にあっては多数のパーツの中のひとつであるスルド奏者でありながら、脇役や添え物などとは思えない輝きを放っていた。  過去、身を置いていた世界にて、将来を嘱望されるトップランナーでありながら、終ぞ栄光を掴むことのなかった誉。  自分には必要ないと思っていた。  それは。届かないという現実をもう見たくないがための言い訳だったのかもしれない。  誉という名を持ちながら、縁のなかった栄光や栄誉。  もう一度。  今度はこの世界でもう一度。  誉はもう一度、栄光を追求する道に足を踏み入れる決意をする。  果てなく終わりのないスルドの道は、誉に何をもたらすのだろうか。

【完結】大量焼死体遺棄事件まとめサイト/裏サイド

まみ夜
ホラー
ここは、2008年2月09日朝に報道された、全国十ケ所総数六十体以上の「大量焼死体遺棄事件」のまとめサイトです。 事件の上澄みでしかない、ニュース報道とネット情報が序章であり終章。 一年以上も前に、偶然「写本」のネット検索から、オカルトな事件に巻き込まれた女性のブログ。 その家族が、彼女を探すことで、日常を踏み越える恐怖を、誰かに相談したかったブログまでが第一章。 そして、事件の、悪意の裏側が第二章です。 ホラーもミステリーと同じで、ラストがないと評価しづらいため、短編集でない長編はweb掲載には向かないジャンルです。 そのため、第一章にて、表向きのラストを用意しました。 第二章では、その裏側が明らかになり、予想を裏切れれば、とも思いますので、お付き合いください。 表紙イラストは、lllust ACより、乾大和様の「お嬢さん」を使用させていただいております。

【完結】ツインクロス

龍野ゆうき
青春
冬樹と夏樹はそっくりな双子の兄妹。入れ替わって遊ぶのも日常茶飯事。だが、ある日…入れ替わったまま両親と兄が事故に遭い行方不明に。夏樹は兄に代わり男として生きていくことになってしまう。家族を失い傷付き、己を責める日々の中、心を閉ざしていた『少年』の周囲が高校入学を機に動き出す。幼馴染みとの再会に友情と恋愛の狭間で揺れ動く心。そして陰ではある陰謀が渦を巻いていて?友情、恋愛、サスペンスありのお話。

注意欠陥多動性障害(ADHD)の日常

春秋花壇
現代文学
注意欠陥多動性障害(ADHD)の日常

聖女のわたしを隣国に売っておいて、いまさら「母国が滅んでもよいのか」と言われましても。

ふまさ
恋愛
「──わかった、これまでのことは謝罪しよう。とりあえず、国に帰ってきてくれ。次の聖女は急ぎ見つけることを約束する。それまでは我慢してくれないか。でないと国が滅びる。お前もそれは嫌だろ?」  出来るだけ優しく、テンサンド王国の第一王子であるショーンがアーリンに語りかける。ひきつった笑みを浮かべながら。  だがアーリンは考える間もなく、 「──お断りします」  と、きっぱりと告げたのだった。

夢に繋がる架け橋(短編集)

木立 花音
現代文学
 某DMグループ上で提示された三つの題目に沿って、書いた短編を置いておきます。  短時間で適当に仕上げてますので、クオリティは保障しかねますが、胸がほっこりするようなヒューマンドラマ。ちょっと笑えるコミカルなタイトルを並べています。更新は極めて適当です。 ※表紙画像は、あさぎかな様に作っていただいた、本作の中の一話「夢に繋がる架け橋」のファンアートです。ありがとうございました!

処理中です...