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第三部 仲良し姉妹

56 姉への敵意

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「突然来てごめん」
「ぜんぜんいいよ。上がれよ」

 バイト上がり、あたしは突然、航の部屋に向かった。
 自宅とは逆だけど、まっすぐ帰りたくない事情があった。

「どうした? 何かあったのか?」
 床にぺたりと座って黙り込むあたしに、航は氷入りの麦茶を出してくれる。
 コップを傾け、麦茶と一緒に悲しみを飲み込んむ。感情的にならないようにしようと思った。

「今日、ホールの人手が足りないからって、サーブ経験のあるあたしが代わりに入ることになったんだけど‥‥‥」

 夕方やってきたお客は、あたしにとっては歓迎できない相手だった。
 呼び出しベルが鳴り、オーダーを取りに向かうと、「あれ? あんたどっかで見た顔」と言われた。

 女性の四人組で、二十代半ばぐらい。キャミソールやワンショルダーのトップスでお腹が出ている。下は短パンや穴あきのジーンズで、体の露出度がかなり高い。
 髪は金髪か、明るい茶色で、メイクも派手目。

 あたしの苦手な系統の人たち。

 自宅も学校も近いから、顔見知りがいてもおかしくはない。だけど、この中にあたしが顔を覚えている人はいなかった。

「名前、海野? もしかして、姉ちゃんいた?」

 その言い方に、はっとした。姉の知り合いだ。過去形で言ったのは、姉の事故を知っているからだ。

「もしかして、海野汐里?」
「えっ! あいつの妹?」

 あいつ? その言い方から敵意を感じた。

「え? 誰だれ?」
 一人だけ、話についていけてない人がいる。この人は知らないんだろうか。

「中学のクラスメイトに海野汐里って子がいたの。勉強できる、先生の覚えもいい優等生」
「あっしらの対極にいる子だよ」
「生徒会長もやってなかった?」
「やってたー」

 懐かしむようにきゃぴきゃぴと話す。
 どうやら三人が、姉の中学の同級生らしい。

「たしか、看護学校に行ってなかった?」
「そうそう」
「厭味ったらしいくらい優秀じゃん」
「あたしらみたいなのとも仲良くできるんだよアピール酷かったよねあの女」
「お前の人気上げのために、あっしらいるんじゃねーよ」

 三人が姉の悪口で盛り上がる中、
「そんな人の妹ちゃんなんだ。自慢のお姉ちゃん? それともコンプレックス感じる方?」
 姉を知らない人が、無邪気そうに質問してくる。

「自慢の姉です」
「へえ、そうなんだあ。仲良いんだ」
 この人だけは友好的に話しかけてくれて、ほっとしていたのに、

「妹ちゃん、言い間違えてない? 自慢の姉でした・・・、でしょう」
 バカにしたような笑い方が上がった。思わずオーダー用の端末を持つ手に力が入る。
「え? どういうこと?」

「死んだの、海野汐里は」
 さらっと口にする。家族を目の前にして、あまりにも簡単に。

「そうなの?」
「何年前だっけ」
「そんなの忘れたよ」

「どうして亡くなったの? 交通事故? 病気?」
「海で溺れたんじゃなかったっけ?」
「あ、そうそう。海だよ」

「そうなんだ。気の毒に」
「幽霊にひきずりこまれたんじゃないの?」
「幽霊って、ダッサ。ウケる」
 彼女たちの大きな笑い声が、店内に響き渡った。

 あたしの全身が怒りのあまり、震える。
 姉を笑いものにしてほしくないのに。
 姉の死を、軽く扱わないでほしいのに。
 言葉が口から出てこない。
 やめてやめてやめて。頭がおかしくなりそうだった。

「海野さん、代わります」
 佐藤さんにそっと耳打ちされ、あたしは彼女たちから逃げるように離れた。

 ♢

「ほら、タオル」
 航に差し出されたタオルを顔に当てる。

 感情的にならないようにと思っていたのに、涙が頬を伝ってしまった。
「酷い言い方されて悲しかった。言い返せなかったのが悔しかった。それに‥‥‥」
 寂しい。
 好き勝手に言われているのに、お姉ちゃんは出てこない。
 こんな時こそ出てきて、あたしが反論できるように、言ってほしかった。

「よく耐えたな」
 ぽんと頭に手が乗る。
「悔しかったな。つらかったな。でもよく耐えた。えらい」
 優しい手つきで、撫でられる。

「反論しなくて、正解だったんだよ」
「どうして?」
 タオルをずらすと、航が温かい目であたしを見ていた。

「麻帆が仕事中だったから。感情を言葉にしていたら、事態は大きくなってた。麻帆に非が無くても、お客側が間違えていても、店員が反論するのは許されないんだよ。納得いかないよな」
 
 ぐずっと鼻を鳴らしながら、頷く。

「仕事と関係のないことなのに、向こうは言いたい放題。おかしいよ。だけど‥‥‥」
 少し冷静になれた。
「わかるよ。納得はいかないけど、わかる。だけど、悔しい。お姉ちゃんのこと、あんな風に言うなんて」

「そうだな。悔しいな。そばにいてやれなくてごめんな」
 あたしは首を横に振る。

「航のせいじゃないよ。お姉ちゃんを悪く言う人がいるって知って、ショックだった。でも、お姉ちゃんが聞かなくて良かったのかもしれない。あの時は、文句言いに出ておいでよって思ってたけど、聞かれてたら、悲しんでたよね」

 冷静な頭になると、姉の身になって考えられた。
 あんな酷い悪口、お姉ちゃんに聞かせちゃだめだ。

「聞いてくれてありがとう。落ち着いた。ママとパパに言わずにすみそうだよ」
 まだモヤモヤとはしてるけど、お姉ちゃんにバレないようにしなきゃと思うと、切り替えられそうだった。

 航も勉強がある。机の上には大学の教科書とノートが広げられている。
 邪魔しちゃいけない。家に帰ろう。
 立ち上がりかけて、
「ちょっと待て。今、辺なこと言ってなかったか?」
 航に止められた。

「変なこと?」
「汐里さんに聞かれなくて良かったとか、文句言いに出てこいとか」

「それは‥‥‥あ、あの世で聞いてたらって話だよ」
 またやってしまった。航の前だとつい気が緩んで、わかっている前提で言ってしまう。
 ごまかさないと。

「この間も、変な風に言ってたな。病院で。若いからって過信するなって、汐里さんが言ってたって。あの時は昨日って言ってたぞ」
「よ、よく覚えてるね」

「ごまかそうとして慌ててたから、おかしいなって引っ掛かってたんだ。麻帆は嘘をつくのが下手だからな」
「子供の頃の話だよ。今はそうでもないよ」

「いや、たしか、汐里さんに嘘はいけないって叱られてから、嘘はつかなくなったんじゃなかったか」
「そんなことあったかなあ」

「とぼけんな。一人で抱え込んでないで、全部話せ」
 真剣な目で見つめてくる航を見て、信じようと思った。
 航になら、すべて話しても大丈夫だ。

「わかった。笑ったり、バカにしたりしないでよ」
「するかよ」

 あたしは心を決めて、姉とのことを話した。
 姉が幽霊になって帰ってきたこと。
 自棄になって夜の海に入り、姉と入れ替わったこと。
 自分が目覚めて、体に戻ってからも、姉はずっと頭にいたこと。
 この数ヶ月、姉が眠ったまま出てこなくて、不安に感じていること。

「お姉ちゃんがいるのが当たり前で、消えちゃったらどうしようって。不安で。だけど、もし消えちゃいそうなら、心配かけないようにしなきゃって。だからあまり頼らないように、頑張ってたんだ。不思議な話でしょ。でも真実だから」
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