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第一部 海野麻帆

13 初めてのケンカ

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 二階の自室に戻ると、悔しさと怒りと情けなさとで、感情がぐちゃぐちゃになった。
 どんとベッドに座り込む。机に背を向けて。
 明日から夏休み。宿題や課題がたくさん出た。でも今は教科書も見たくないし、シャーペンを触るのも嫌だった。

「転科なんて簡単にできないって。また受験かもなんて、聞いてないよ」
「ごめん。お姉ちゃんもそこまで知らなかった」

 あたしと一緒に部屋に上がってきたお姉ちゃんが、おろおろしている。
 ママに言わせると、お姉ちゃんの言葉を鵜呑みにしたあたしが悪いんだって。
 お姉ちゃんが言うんだから、信じるに決まってる。

「どうしたらいいの? 続けるしかないのかな。自信ないよ」
 弱音と溜め息しか出てこない。

「自信がないなら、無理はしない方がいいよ。だって人様の命がかかってるんだから。パパが言ったように、焦らなくてもいいと思う」

 お姉ちゃんの言葉に、カチンときた。
「もしかして、お姉ちゃん、あたしが看護師になるのが反対で、転科しろって言ったんじゃないよね」
「え!? 違う、そうじゃないよ」

「あたしみたいな不出来な人間が、命を預かる仕事なんてできるわけないって思ってるんでしょ」
「不出来だなんて思ったことないよ。麻帆は可愛い妹だから、苦しんでいるのが見ていられなくて」

「そうやって、甘やかすから、あたしはダメな人間になったんだよ」
「ダメじゃないよ」

「優秀な人にはわからないんだよ、バカな人間のことなんて」
「麻帆はバカじゃないから」

 お姉ちゃんの言い訳なんて、ぜんぜん頭に入ってこない。
 どんな言葉も信じられなかった。
 心から信用していたのに。裏切られたとしか思えなかった。

「なんで、あたしなんかを助けたのよ」
 怒りの気持ちは、去年に向かった。
 あの時に命を落としていたのはきっとあたしだった。
 姉が助けにきたのは、何かの間違いだったんだ。

「お姉ちゃんが生きるべきだったんだよ。汐里ちゃんは優しいね。賢いね。みんなに優しいね。素晴らしい人ね。褒められるのはお姉ちゃんだけ。お荷物なのはあたしの方。だったらあたしが死ねば良かったんだよ! きっと、みんな一瞬でも思ったはずだよ! どうして不出来な妹の方が残ったんだって!」

「麻帆やめて!」
 姉の手が、あたしの顔をすり抜ける。音はしない。空気の揺れも感じない。
 でも、頬を張られたのはわかった。

「今、手出したよね。優秀な人が暴力に訴えるなんて。それがお姉ちゃんの本質なんだよ。いつもは上手く隠してるんだろうけど、最後には見放すんだよ!」
「ごめんなさい。どうしたらいいかわからなくなって。でも、お姉ちゃんは麻帆の味方だよ。何があっても麻帆を守るから」

 おろおろしているくせに、口だけは守る守る。
 言ってることと、やってることがちぐはぐなんだよ!

「お姉ちゃんなんて、大嫌い」

 同じ空間にいたくなくて、あたしは部屋を飛び出した。
 荒々しく階段を下りて、玄関に向かう。
 壁に掛けている自転車のキーをつかみ取る。

「麻帆?」
「こんな時間にどこに行くんだ?」

 リビングからパパとママは出て来て、背中に声がかかる。
 無視して、玄関ドアを開けた。
 自転車にキーを差し、門扉を開けてまたがった。

「麻帆!」

 姉の声も無視して、真っ暗な中、猛スピードで自転車を漕いだ。

 行き先は決まってる。
 この一年、一度も行かなかった、行けなかった、
 姉でなく、あたしがいなくなるはずだった、
 あの海へ。
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