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番外編 猫のいる街 1997

6. 誠二郎 4

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「ところで、珠よ。腹はどうやって満たしておるんだろうの? 狩はできるのかの」
建物を出て、公園を歩いていく珠についていく。
「狩はなかなかうまくいきませぬな。鼠はすばしっこく、鳥はすぐに飛んでいってしまいまする。剛の者は鳩やカラスを捕まえることもあるようでございますが、拙者には難しく」
そうだろうのう。保護したときはまだ掌から少し大きいくらいのサイズで、母猫の母乳を飲んでいた頃合であった。
飼い猫でも鼠を捕って飼い主に見せにくることもあるようだが、この子がそれをしたことはなかった。
「商い処にて残飯を頂戴することが多ございます」
「人の食べるものは旨かろう」
「はい。それはもう。しかし、殿から頂くカリカリもジャーキーも大変美味で、好物でございました、ああ、そういえば」
珠が今にも笑い出しそうな声を出した。
「ん?」
「出奔したての頃、えらい目にあったことがございます」
「何があったのじゃ」
「腹をすかせて、学校に迷いこんだことがあり申した。どこぞの童におやつをもらったことがあり、またもらえないかと味をしめた訳にてございます」
「それで」
「悪しき童に捕まり必死に暴れて逃げましたが、さんざっぱら追い掛け回されまして。這う這うの体で逃げ切りましたが、疲れるわ、餌にはありつけなんだで、もう二度と近づかぬと誓いました」
「それはそれは」
「集落も危のうございますな」
「集落? 住宅街なら餌付けしてくれる者もおるだろうに」
「拙者に寝床やら餌のもらえる所など世話をしてくれた猫が、毒入りの飯を食ろうて死にましてござる」
「なんと」
「商い処の方々は気の良い方ばかりで、参れば大抵何かを頂けまする。ゆえに、近辺には落し物をせぬよう気を使おておりまする」
猫にそんな気遣いができるとは。少しばかり感心した。
「そこの商い処は大変美味でござる」
公園を抜け、商店街の裏へやってきた珠は、中華屋で足を止めた。
ここならわしも子供たちと何度か食べに来たことがある。まだ久子が生きていた頃のことだ。独り身になってからは足が遠のいている。脂っこいものは胃が受け付けなくなってきた。
「美味いと評判の店だ。猫にもわかるのか」
「拙者は唐揚げが好物でございますが、なかなか頂戴できるものではござりませぬな。
そこの商い処にて魚を頂戴することもありまする」
鮮魚店。パン屋。喫茶店。珠は足を止め、餌をくれる店を紹介していく。
実に多種多様なものを食しておるの。
食いっぱぐれることはなさそうだが、これはこれで珠の健康状態が気にかかる。
人の食べ物は味付けが濃いからな。塩分や脂肪分の過多であったり、猫にとっては危険な物もある。
わしはそれを知らなかった。珠を飼ってから勉強したのだ。動物好きの京子がいなければ知らないままだったかもしれないな。
玉ねぎやニラ・ニンニク、イカや海老、あわびやさざえ。生肉。鳥や魚の骨。
ぶどう、アボカド、チョコ、人用の牛乳。
あまりに多くて面食らった。とても覚えきれるものではなかったから、終わったカレンダーの裏に書いて冷蔵庫に貼っておいた。
わしが小さかった頃は、犬猫の餌は残飯が当たり前の光景で、食べさせてはいけないものがあるとは思いもしなかった。
珠に食べてはいけないものを教えたほうがいいだろうか。
それにはまず食べ物が目の前にないと進まないな。エビだ、ぶどうだと名称だけを言ったところで、珠には通じない。物と名称を珠に一致させないことには教育のしようがない。
すべての食材を用意するのは不可能だし、イラストだとわかりにくそうだし。
いっそのこと、食事時にくっついて回って、あれはダメこれは大丈夫と言って回ろうか。
いやいや、それは絶対に疎ましがられるだろうのう。野良には健康状態よりも今食えることが重要だろうから。
うーん。思春期の子供を扱っているような心持ちになってきたな。
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