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最期の贈り物――橘 修(享年55歳)

11. 修 5

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「私ね、こう見えて芸術家なんよぉ。廃棄されたマネキンを使ったり自分で作ったりして、色付けしたり表情をつけたりしてねぇ。そんで照明を当てて、背景の絵と合わせて表現してるんよ。テーマ決めて」
唐突に何を話し出すのだろう。このご老人は。
チャンスとのたまっていた老人が、自身の職業を明かしている。関連がまったくわからない。が、一つだけはっきりした点があった。つまりこの老人が芸術家で、俺には理解できない物の考え方をするということだ。
芸術とはとんと縁がない。写真やダンスなら見た目でわかるものもあるし音楽なら好きだが、絵画や彫刻・陶芸などは見方自体がよくわからない。高額な作品とそうでない作品との区別なんてつかない。
建築デザイナーなどは芸術家として扱われる人もいるが、俺の中での建築はもっと身近なもので、芸術として捉えたことはなかった。もちろん世界にも日本にも素晴らしいデザインの建物があり、興味はあるが、どこか自分とは違う世界にあるもの、という感覚だった。
「六月にね、ショーするんよ。なんとかいうファッションデザイナーさんとコラボゆうの、するんよ」
なんなのだろう、この人は。
俺の話を聞いているときの表情ときたら、興味があるのかないのかわからない、気の抜けた顔をしていたのに、自分の話になると目がきらきらと輝きだした。
こんな顔をして話に夢中になる人が俺の身近にもいた。
水族館に行ったときの貴子だ。
この魚のこの色合いがたまらなく綺麗だの、泳ぎ方が優雅だの。
水槽に顔を近づけ、まるで子供ようにはしゃいでいた。いや、子供以上だったな。
交際中はあちこちの水族館に足を運んだ。俺にはどこの水族館も大差ないように思えそれを口に出すと、全然違うと熱弁をふるわれた。口数の少ない、おとなしいタイプだと思っていたから、そのときは驚いた。
魚にはさほど興味は沸かなかったとはいえ、俺もあの薄暗い雰囲気は気に入っていたし、貴子に付き合うのは苦ではなかったから、一般的なカップルは映画館やボーリングデートを楽しむ中、俺たちは水族館デートを重ね、新婚旅行でも日程に組み込んだ。
伸次が生まれてからも水族館通いは続いた。伸次が魚好きになるのは自然な流れだった。電車や戦隊物のおもちゃよりも、魚のぬいぐるみや置物を欲しがった。
その水族館通いも小学校高学年になると減っていき、伸次が中学に上がってからは行かなくなった。親と一緒に出掛けることが恥ずかしいと思い始めていたようだったし、興味の対象も魚以外のものに移っていた。
貴子もPTAなどの付き合いで忙しくなり、家族で出掛けることはなくなった。
高校生になった伸次が、海洋学部のある大学への進学を口にした。驚きはなかったが、貴子はやはり嬉しかったようだ。
無事に合格したその晩、二人で魚の図鑑を広げて魚談義に花を咲かせていた。
ただ不思議なことに、家で魚の飼育をしたことはなかった。貴子は小学生の時に観察のためクラスでめだかの飼育をしていたことはあったらしいが、それだけだという。
伸次も望んだことがなかったため、機会が訪れることはなかった。
そういえば、ショップに行くこともあまりなかったな。水族館とお店とはまた違うのだろうか。生きている間に気づけば、貴子に訊けたのだろうに。
俺が家族のことを思い出している間も老人の話は続いていたらしい。
「――良かったら見に来てよ」と掛けられた言葉に現実に引き戻された。
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