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ボクの願いは――大辻 翔(享年11歳)

4. 里都子 4

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11歳の春ごろ個室に移らないといけないほど悪化して、その頃には自力で起き上がることが出来なくなっていて。他の患者さんたちとの交流が減ると、表情が乏しくなっていって。このままじゃいけないって、院内学級の生徒さんたちにお願いして絵を描いたり写真を撮ってもらって、壁や天井に貼っていったの。翔のことをよく知っている子たちは恐竜の絵を描いてくれたわね。イベントの様子を描いてくれる子もいたりして。少し元気が戻っていたんだけど、お盆を過ぎた頃体調を崩して。
もうじき8月が終わろうとしていて、誕生日まで指折り数えていたある晩、翔が眠りながら泣いていたの。苦しいのかしら、怖い夢でも見たのかしらって思って起こそうとしたの。だけど、お母さん翔の手を握ったまま起こすことができなかったの。どうしてだかわからないんだけど。
寒気がして、全身の震えが止まらなくなって、涙が溢れて溢れて。お母さんずっと翔に謝ってた。
翔の意識は戻ることがなくて、五日後、亡くなってしまったの。
世界から光が奪われて、真っ暗になったみたいで、何にもする気力が沸かなかった。お父さんだってつらいのに、任せっきりにしちゃって。お葬式のことはあまり記憶にないわ。
親戚は「11歳までよく頑張った、長かった苦しみからようやく開放されたんだ」って慰めてくれたけど、お母さんにはそうは思えなくて。
旅行にも遊園地にも一度も連れて行ってやれなかった。
学校で友達と走り回ることさえ叶えてやれなかった。
普通の家族が普通にできることを、あの子は何一つやれなかったの。
ときどき文句を言ったり、泣いたりもしたけど、それでもわがままを言って私たちを困らせることなんてなくて。毎食後の薬をちゃんと飲んで、毎日を生きていたの。
それがこの仕打ちなの?
つらい試練に耐えているのに、元気になるご褒美はなし?
心残りばかりじゃ浮かばれるわけないじゃない。
そう思うと哀しくてやりきれなくて。お母さん、このアルバムを見て毎日泣いて泣いて過ごしていたの。翔の笑顔やむくれたときの顔を思い出したらとっても嬉しくて。つらい表情だって生きていたからこそ見られたんだって。
だけど死に顔が頭から離れないの。苦しんでない、穏やかな表情だったけど、これが最期の顔になっちゃったって思うとつらくなって。そしたらまた笑顔が見たくなって、アルバムの最初に戻っちゃうの。翔の所に行きたいっていうよりは、戻ってきて欲しいってずっと願ってた。
だから、あの子が帰ってきたときは、本当に嬉しくて。
幽霊だろうとなんだろうと。
ぬくもりは感じとれなかったけど、ちゃんと触れることができたのよ。
自分の足で、地面にしっかりと立って。
もう車椅子を押してやらなくてもいい。隣で手を繋いで歩けるって。
感激したわ。
もう、この子の手を離なさい。
ずっと、ずっと、一緒よ、って。
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