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第一部
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鶏の鳴き声で目を覚まし、伸びをしてから身体を起こした。弾むような軽やかな足取りで、リュートを手に家を出た。昨夜の演奏を思い出すと、心が躍った。
いつものように木の根に腰掛け、一曲目は昨夜に練習した曲から開始した。
言葉はなくても音から伝わってきたものを思い出しながら弾く。
演奏を終えると、拍手が聞こえた。ロマーリオかイレーネだろうかと顔を上げるとロドヴィーゴの姿が見えた。小脇にリュートを携えている。
「昨夜の演奏は君だったんだな。驚かされたよ」
「あ……その、おはようございます」
「おはよう。この曲、演奏してみてどう思った」
背筋を伸ばした。
「はい。最初は空回りっていうか、一所懸命さが仇になって誰も受け入れてくれない。だけど、大事な人を失ってから深みがでて、やっと認められた。でも、この人は大事な人を失った悲しみが強過ぎて、認められたことを喜べない、つらい毎日を過ごしてる。だけど、現実を受け入れる決心ができて、その人への想いと共存して強く生きていく」
「正解だ。この曲には楽譜がなくてね、代々耳で受け継がれてきているんだ。父の師匠の師匠が晩年に作った曲でね、どうやら彼自身の経験からきているらしい。当時は戦争や流行り病で大勢の命が亡くなった。彼の家族や恋人も犠牲になったらしい。そんな中で彼は生き抜いた。悲しみを力に変えて。悲しい曲だと思うかね」
「いいえ。オレは、行きぬいてやろうっていう気になった」
ディーノがそう答えると、ロドヴィーゴは笑った。
「君は前向きだな。どこかでこの曲を聴いたことがあるのか?」
「いえ。ロドヴィーゴさんの演奏が始めてで」
「一度で憶えたのか」
「でも、憶えきれてなかった。二度目に聴いたときに修正個所がたくさんあったから」
「楽譜も見ずにあれだけ弾ければ大したもんだ。耳がいいんだな。私なんかもっと間違えたぞ」
「本当に?」
褒められたととったディーノは、嬉しくなった。
「他に何か弾けるのか?」
「弾けるというか、ええ、まあ」
所望されてディーノはリュートを抱え直した。こんなに嬉しいときは、この思いをそのまま音に変換させるのがディーノの得意とするところだ。昨夜からの胸のどきどきや楽しい気持ちを音にのせ、思わず踊り出してしまいそうなテンポの早い曲を弾いた。
「始めて聴く曲だな。なんという曲だ」
聴き終えたロドヴィーゴも楽しそうにしている。
「曲名は……今オレが考えた曲だから」
「君は即興演奏が得意なのか。これはなかなか重宝する存在だな」
「そう……なの?」
「うん。決まった曲を楽譜通り、教わった通りに演奏するのが若い音楽家には多いからな。その反面、即興演奏をできる者が少ない。基礎をきちんと押さえれば、君のその才能はプラスになるだろう」
「はい。ありがとうございます」
「即興演奏っていうのはなかなか難しいものなんだよ。演奏技術もさることながら、誰かと一緒に演奏するときは合わせないといけない。一人での演奏でも聴衆を置き去りしてはいけない。聴衆を惹き込む技術だけじゃなく、場の空気を読むことも大切なことなんだ」
「ロドヴィーゴさんも即興演奏をしたことがあるの?」
「何度かね。だが私にはあまり向いていないようでね。古くからある曲を私流に演奏したほうが、受けがいいんだ。聴衆っていうのははっきりと態度や顔に出すからね。怖いものだよ」
「怖いもの?」
「怖いよ。自信をもって弾いたものが、まったく相手にされないときなんて、その場から逃げ出したくなるほどに。ま、そこで逃げれば演奏家としてはもう終わりだがね」
「オレ、ここ以外では弾いたことがなくて。ここの人たちはみんな褒めてくれるから。だけど、オレ、ここを出てリュート奏者になりたい」
ディーノの口からするりと言葉が転がりでた。いつ云おうかとタイミングを計っていた台詞が、なんの気負いもなく自然に。
「ここの生活はとても好きだけど、ずっとリノの世話になるわけにはいかない。だけど、その気もないのに弟子入りはできない。街に行って仕事を探すっていう手段もあるけど、オレはリュートが大好きだから。リュートだけは一生手放すことはないと思う。オレの演奏じゃ笑われるかもしれないけど、好きだけじゃだめなのかもしれないけど」
「それが、君の出した答え、というわけだな」
「はい。オレをロドヴィーゴさんの弟子にして欲しい」
「ここで穏やかに過ごしたほうが人生楽だぞ。見た目が派手な仕事ほど、足の引っ張り合いや人間の嫌な部分を見せつけられる。覚悟はできているのか」
「人の嫌な部分はさんざん見てきた。音楽をする人に悪い人はいないって思いたいけど、嫌な奴がリュートを弾いてるのを知ってから。オレが思ってるほど、世の中がキレイじゃないのも知ってる。酷い奴もいるし、差別だって虐めだって普通にある。だけど、悪い人も良い人も神の前では平等であるように、音楽を聴くときはみんな同じ気持ちでいて欲しい。素直に音を楽しんで欲しい。オレがリュートに救われているように」
ディーノはすでに自分が何を語っているのかわからなくなっていたが、ロドヴィーゴの真剣な眸に見つめられて、熱にうかされたように話していた。
いつものように木の根に腰掛け、一曲目は昨夜に練習した曲から開始した。
言葉はなくても音から伝わってきたものを思い出しながら弾く。
演奏を終えると、拍手が聞こえた。ロマーリオかイレーネだろうかと顔を上げるとロドヴィーゴの姿が見えた。小脇にリュートを携えている。
「昨夜の演奏は君だったんだな。驚かされたよ」
「あ……その、おはようございます」
「おはよう。この曲、演奏してみてどう思った」
背筋を伸ばした。
「はい。最初は空回りっていうか、一所懸命さが仇になって誰も受け入れてくれない。だけど、大事な人を失ってから深みがでて、やっと認められた。でも、この人は大事な人を失った悲しみが強過ぎて、認められたことを喜べない、つらい毎日を過ごしてる。だけど、現実を受け入れる決心ができて、その人への想いと共存して強く生きていく」
「正解だ。この曲には楽譜がなくてね、代々耳で受け継がれてきているんだ。父の師匠の師匠が晩年に作った曲でね、どうやら彼自身の経験からきているらしい。当時は戦争や流行り病で大勢の命が亡くなった。彼の家族や恋人も犠牲になったらしい。そんな中で彼は生き抜いた。悲しみを力に変えて。悲しい曲だと思うかね」
「いいえ。オレは、行きぬいてやろうっていう気になった」
ディーノがそう答えると、ロドヴィーゴは笑った。
「君は前向きだな。どこかでこの曲を聴いたことがあるのか?」
「いえ。ロドヴィーゴさんの演奏が始めてで」
「一度で憶えたのか」
「でも、憶えきれてなかった。二度目に聴いたときに修正個所がたくさんあったから」
「楽譜も見ずにあれだけ弾ければ大したもんだ。耳がいいんだな。私なんかもっと間違えたぞ」
「本当に?」
褒められたととったディーノは、嬉しくなった。
「他に何か弾けるのか?」
「弾けるというか、ええ、まあ」
所望されてディーノはリュートを抱え直した。こんなに嬉しいときは、この思いをそのまま音に変換させるのがディーノの得意とするところだ。昨夜からの胸のどきどきや楽しい気持ちを音にのせ、思わず踊り出してしまいそうなテンポの早い曲を弾いた。
「始めて聴く曲だな。なんという曲だ」
聴き終えたロドヴィーゴも楽しそうにしている。
「曲名は……今オレが考えた曲だから」
「君は即興演奏が得意なのか。これはなかなか重宝する存在だな」
「そう……なの?」
「うん。決まった曲を楽譜通り、教わった通りに演奏するのが若い音楽家には多いからな。その反面、即興演奏をできる者が少ない。基礎をきちんと押さえれば、君のその才能はプラスになるだろう」
「はい。ありがとうございます」
「即興演奏っていうのはなかなか難しいものなんだよ。演奏技術もさることながら、誰かと一緒に演奏するときは合わせないといけない。一人での演奏でも聴衆を置き去りしてはいけない。聴衆を惹き込む技術だけじゃなく、場の空気を読むことも大切なことなんだ」
「ロドヴィーゴさんも即興演奏をしたことがあるの?」
「何度かね。だが私にはあまり向いていないようでね。古くからある曲を私流に演奏したほうが、受けがいいんだ。聴衆っていうのははっきりと態度や顔に出すからね。怖いものだよ」
「怖いもの?」
「怖いよ。自信をもって弾いたものが、まったく相手にされないときなんて、その場から逃げ出したくなるほどに。ま、そこで逃げれば演奏家としてはもう終わりだがね」
「オレ、ここ以外では弾いたことがなくて。ここの人たちはみんな褒めてくれるから。だけど、オレ、ここを出てリュート奏者になりたい」
ディーノの口からするりと言葉が転がりでた。いつ云おうかとタイミングを計っていた台詞が、なんの気負いもなく自然に。
「ここの生活はとても好きだけど、ずっとリノの世話になるわけにはいかない。だけど、その気もないのに弟子入りはできない。街に行って仕事を探すっていう手段もあるけど、オレはリュートが大好きだから。リュートだけは一生手放すことはないと思う。オレの演奏じゃ笑われるかもしれないけど、好きだけじゃだめなのかもしれないけど」
「それが、君の出した答え、というわけだな」
「はい。オレをロドヴィーゴさんの弟子にして欲しい」
「ここで穏やかに過ごしたほうが人生楽だぞ。見た目が派手な仕事ほど、足の引っ張り合いや人間の嫌な部分を見せつけられる。覚悟はできているのか」
「人の嫌な部分はさんざん見てきた。音楽をする人に悪い人はいないって思いたいけど、嫌な奴がリュートを弾いてるのを知ってから。オレが思ってるほど、世の中がキレイじゃないのも知ってる。酷い奴もいるし、差別だって虐めだって普通にある。だけど、悪い人も良い人も神の前では平等であるように、音楽を聴くときはみんな同じ気持ちでいて欲しい。素直に音を楽しんで欲しい。オレがリュートに救われているように」
ディーノはすでに自分が何を語っているのかわからなくなっていたが、ロドヴィーゴの真剣な眸に見つめられて、熱にうかされたように話していた。
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