【完結】とあるリュート弾きの少年の物語

衿乃 光希

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第一部

35 真心を込めて

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 ロゼッタはじゃが芋の皮を剥いていた。イレーネの姿はそこにはない。

「今夜はワルターさんをご招待するからね。あんたたち一度もワルターさんのところに行かなかったらしいね。寂しがっていたよ」

「あ、ごめんなさい」

 ディーノが謝ると、ロゼッタは首を振った。

「あたしにじゃなくて、ワルターさんにだろ。あんたのリュート聴きたがっていたから、食事の後に演奏してあげな」

「うん。それオレがやる」

 ロゼッタからナイフを受け取ったとき、「お母さん、これは?」と言いながらイレーネが扉を開けた。

 イレーネはまだ試着を楽しんでいた。

 素朴で普段着として着られそうなデザインの黄色い服を着ている。

「可愛らしいじゃないか。あの服はやっぱりもうちょっと先だね。ワルターさんがびっくりしちまう」

「ええー。気に入ったのに」

「年相応が一番なんだよ。背伸びすることなんてない。少し待てばもっと似合う年になるんだから、ね」

「わかった」

 渋々といった感じで頷き、イレーネを見ているディーノと目を合わせて軽く微笑んだ。

 その日の夕食はいつになく豪華だった。街で仕入れてきた豚肉や鮮魚が食卓に並び、村で取れた野菜が彩りを加えている。ワルター老も加わり五人が舌鼓を打ったあと、ディーノがリュートを持ってきた。食後のワインとチーズの香り漂う食卓は、演奏会場へと変わる。

 今夜の主役はワルター老だ。ディーノはワルター老や亡くなった夫人の顔を思い浮かべながら弦をつま弾く。

 集落の人たちにとってはたった三年でも、ディーノにとっては濃密な三年だった。

 生まれてからただの一度も人の温もりを知らず、物のように酷使される毎日。着たいものも着られず、いつも腹をすかせ、垢と臭いに慣れきった生活は人間としてやはりおかしい生活だったのだと、今こんなにも幸福な毎日を送るようになってなおさらに思うようになった。

 今もまだ大勢の奴隷が、人としての尊厳を踏みにじられる毎日を送っているのだろう。逃げ出すこともせず、そういう運命なのだと受け入れ、日々を送る。自分はそういう所から抜け出すことができ、こんなにも温かい人たちに囲まれて生活できていることに、ディーノは心の底から村人たちに感謝していた。

 そもそもはワルター老がここに住み、老人の知り合いたちが移り住んで集落を造ってくれたからだ。ここがなければ森をさまよっていた二人は、森で力尽きていたかもしれない。獣に襲われ命をなくしていたかもしれない。運良く街に辿り着いていたとしても、こんなに温かい人たちに出会えなかったかもしれない。追っ手に先回りされて連れ戻されていたかもしれない。森の中の集落であったからこそ、足が付かなかったのだろう。すべてはワルター夫妻のお陰だった。

 ディーノは感謝の意を込めてリュートを弾く。思いが伝わるように、精一杯に真心を込めて。
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