【完結】とあるリュート弾きの少年の物語

衿乃 光希(恋愛小説大賞参加しています)

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第一部

25 癒しの演奏

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 雪の積もる厳しい冬を越え、春がきて、夏を迎えた。

 二人はすっかり集落に溶けこんでいて、ここで生まれたかのように受け入れられている。

 畑仕事もつつがなくこなし、ディーノは狩猟にも同行し、イレーネは幼い子の世話も森での木の実拾いも率先して行なっていた。もう手伝いではなかった。生活のためにきびきびと働いている。

 労働だけではなく、一緒に暮らす人たちとのコミュニケーションもちゃんととれている。

 ディーノの演奏が集落の誰よりも上手で、ときどき演奏を求められることもあった。

 また、曲を知らないディーノに教示してやり、自分が教えてやったのだと鼻を高くする者もいたが、ディーノの飲み込みが早く、素晴らしい演奏をするため、その鼻はすぐに圧し折られた。それを気にしない彼らは知っている曲を教え続け、ディーノは即興演奏だけでなく、リクエストにも応じられるようになった。

 その腕は確実に成長し続けている。

 何人かのプロの演奏を聴いたことのあるワルター老からは、技術は未熟だが真心の伝わる良い演奏だと褒めてもらえた。祖父のように慕い始めていた老人の言葉に、ディーノはさらなる自信をつけた。

 そんな頃、ワルター老の大切な人が突然亡くなった。

 畑で採れた新鮮な野菜を、工房にこもっているワルター老に届けようとして倒れ、そのまま息を引き取った。

 集落に医者はおらず、街に連れて行ってももう間に合わないだろうと、自宅の寝室に運び込んだ夫人の手を握ったまま、ワルター老は首を振った。

 街にいるワルター老の子供たちには大急ぎで馬を走らせて知らせた。季節が夏だったせいもあるが、ワルター老は早めの埋葬を希望し、子供たちは翌日の葬儀にぎりぎり間に合った。

 急ごしらえの棺の中には手向けの花はなく寂しいものだったが、ワルター老が夫人の好きだったヴァイオリンを演奏して皆で見送った。
 
 穴を掘った地中に収められた棺に、一人ずつ土を盛っていく。

 死の意味をよくわかっていない幼い子供たちも、親の真似をして土をかける。

 イレーネは突然の別れに涙を浮かべていたが、歯を食いしばり「短い間だったけどありがとう」と小さく呟いた。

 ディーノは無言で土を盛ったが、こらえきれなくなったイレーネがロゼッタの胸で泣いている姿を見て、滲んだ目元を袖で拭った。

 集落から人が一人いなくなった。それでも変わることのない毎日が訪れる。

 畑と鶏の世話をし、木の実を拾う。街へ買い出しに行く。

 職人たちはこつこつ仕事を続けて楽器を作り上げる。

 集落を漂っていた湿っぽい雰囲気は、数日もすると元に戻った。一緒に暮らしていた人がいなくなるのは寂しいことだが、いつまでも寂しがってはいられない。

 毎日お墓に森で咲く花を添えているイレーネも、明るさを取り戻している。

 しかしワルター老の姿を見かけることが減っていた。

 仕事の合間に畑に来ることもあった老人は、家から出てくることがほとんどなくなった。たまに見かけたと思えば小さな背をさらに丸めて呆然と空を眺めていたり、三人の子供たちの誰かががたまに顔を出しにやってきても対応は素っ気なかった。ディーノとイレーネが訪問しても返事がなく、ようやく家にいれてもらえて話しかけても上の空で、すっかり落ち込んでしまっていた。このまま呆けてしまうのではないかとロゼッタたちは心配していた。

 そんな状態が二ヶ月ほど続いたある日、ディーノはワルター老の家の前でリュートを弾いた。

 ワルター老のそんな姿が居たたまれなくて。なんとかしたいと思っての行動だった。

 ワルター老を慰めることができるかできないかなどと考えこんだり、迷ったりはなかった。

 ただ己を信じて演奏を届けようと思った。

 一日目は何の反応もなかった。

 二日目はイレーネが隣に寄り添った。

 三日目はイレーネもリュートに合わせて歌を唄った。

 四日目は子供たちが加わった。

 五日目は大人が加わり、毎日が祭りのように賑やかになった。

 六日目にようやくワルター老が顔を見せた。

 さらに痩せ細り小さくなったワルター老が、いまやすっかり歌声にかき消されてしまって、それでもリュートを弾いているディーノに近寄って抱きしめた。

 ディーノも老人を抱きしめ返した。

 ディーノは夫人が亡くったときのことを思い出した。

 ワルター老は泣かなかった。倒れて駆け寄るときも、葬儀のときも、終わってからも。肩を落としていても、涙は流していなかった。

 あまりに突然すぎて、泣くことができなかったのだろう。

 しかし老人は二ヶ月を経て涙を流した。

 ようやく泣くことができたのだ。

 もう、大丈夫。

 ディーノはそう確信して、胸を撫で下ろした。
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