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第三部 最終話
58 リュート奏者
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集まっていた聴衆から歓声と拍手が上った。金属が当たる鈍い音もする。ありがたい。コインを投げ入れてくれた方々へ心の中で頭を下げる。
ディーノがぺこりぺこりとお辞儀をしているのが見えた。
通りやこういう公園で演奏をしているディーノの収入は不安定ではあるけれど、気に入ってくれる人が増えてきている。それに特定のお店で弾かせてもらうようになって、収入にも繋がっている。
名前がどのくらい広がっているのかはわからないけれど、最初の頃に比べてゼロという日はなくなってきいる。
イレーネの収入だけでは二人が食べていくのは、正直なところ厳しかった。今は少し楽になっている。
ピエールが以前に話していた劇場は実現しなかった。やはり貴族と平民が一つの場所で一緒に音楽や演劇を楽しむことは無理だと公爵に反対されたそうだ。長く続く身分制度と貴族の意識が実現を阻んだ。
残念な報告を携えて戻ってきたピエールは申し訳なさげにしていたが、ディーノは平気な顔をしていた。実現が困難であることがわかっていたからだと。
劇場の代わりに、噴水公園が造られた。
庶民のためにと、公爵が開放したのだそうだ。
そしてディーノには、年に一度、新年の宴でリュートを演奏して欲しいと公爵から依頼があった。
ディーノは迷うそぶりを見せていたけれど、イレーネが背中を押した。専属は無理でも音楽家としての仕事の依頼ならば行くべきだと。
そして昨年の暮れ、やってきた迎えの馬車に揺られて、イレーネも一緒に公爵の屋敷に向かった。
馬車で十数日の行程は、思っていたより大変だったけれど、楽しかった。
初めて公爵夫妻にお会いし、ディーノが過ごしていた貴族たちとの付き合いを体験した。
初めて着せてもらったドレスには胸が弾んだけれど、行儀作法なんて知らないイレーネは、ピエールとディーノに教えられてなんとか乗り切ったものの、緊張のあまり何度も倒れそうになった。貴族たちと話すディーノが別の人に思えた。
私は平民で十分だわ。
五日ほどの滞在だったけれど、イレーネは心からそう思った。
しかし頂いた報酬はかなりの額だった。
屋敷には二人を祝福する貴族たちが集まっていて、祝いの品をたくさんもらった。リカルドからもらった物が霞むほどの高価なものばかり。
ありがたいけれども、狭い家に置き場があるはずもなく。実用性のあるものや置けるものだけを持って帰り、残りは公爵の屋敷に保管してもらうことにした。
そのことだけで、ディーノが貴族たちから愛されていたことがよくわかった。
この人たちからディーノを奪ってしまったと思ったけれど、どの貴族からも表立って責められたりはしなかった。
ディーノの演奏を褒め称え、幸せを願っていると祝福までしてもらった。
貴族たちもディーノの演奏を楽しんで聴いていた。
その姿は貴族も平民も変わらない。
いつかディーノが望むような、身分の関係ない、一つの場所で同じものを楽しめるような社会が訪れればいいなとイレーネも思う。
自分たちの代では無理でも、子供たちの世代、孫たちの世代、例えその先になってしまっても。いつかそうなればいいなと願わずにいられない。
こんなに素晴らしいものを分け隔ててしまうのはもったいない。
次の曲を演奏しているディーノが顔を上げた。
見つめていたイレーネと視線が交わる。
音楽家の顔の中に、一瞬だけ普段のディーノが顔を覗かせた。
イレーネへの想いがたくさん詰め込まれた熱い眸に、胸がどきどき高鳴った。
それは、まるで初恋を自覚した瞬間のときのようで、少女の頃の気持ちに戻った気がした。
一緒に暮らしているのにね。
リュートからも彼の想いが伝わってきて、昔のようにイレーネの鼓動が激しくなる。でも、もう取り乱しはしない。
ディーノの気持ちは毎日伝えられているし、イレーネも伝えているから。
気持ちが通じ合っていることを、実感しているから。
イレーネが笑みを浮かべて微笑んでみせると、ディーノもにこりと笑顔を見せた。
それからリュートに目を戻した。
優しくて温かい音色が心にじんわりと広がる。
聴衆にも届いていることをイレーネは願う。音に込められた彼の熱い想いの丈が。
<Fin>
ディーノがぺこりぺこりとお辞儀をしているのが見えた。
通りやこういう公園で演奏をしているディーノの収入は不安定ではあるけれど、気に入ってくれる人が増えてきている。それに特定のお店で弾かせてもらうようになって、収入にも繋がっている。
名前がどのくらい広がっているのかはわからないけれど、最初の頃に比べてゼロという日はなくなってきいる。
イレーネの収入だけでは二人が食べていくのは、正直なところ厳しかった。今は少し楽になっている。
ピエールが以前に話していた劇場は実現しなかった。やはり貴族と平民が一つの場所で一緒に音楽や演劇を楽しむことは無理だと公爵に反対されたそうだ。長く続く身分制度と貴族の意識が実現を阻んだ。
残念な報告を携えて戻ってきたピエールは申し訳なさげにしていたが、ディーノは平気な顔をしていた。実現が困難であることがわかっていたからだと。
劇場の代わりに、噴水公園が造られた。
庶民のためにと、公爵が開放したのだそうだ。
そしてディーノには、年に一度、新年の宴でリュートを演奏して欲しいと公爵から依頼があった。
ディーノは迷うそぶりを見せていたけれど、イレーネが背中を押した。専属は無理でも音楽家としての仕事の依頼ならば行くべきだと。
そして昨年の暮れ、やってきた迎えの馬車に揺られて、イレーネも一緒に公爵の屋敷に向かった。
馬車で十数日の行程は、思っていたより大変だったけれど、楽しかった。
初めて公爵夫妻にお会いし、ディーノが過ごしていた貴族たちとの付き合いを体験した。
初めて着せてもらったドレスには胸が弾んだけれど、行儀作法なんて知らないイレーネは、ピエールとディーノに教えられてなんとか乗り切ったものの、緊張のあまり何度も倒れそうになった。貴族たちと話すディーノが別の人に思えた。
私は平民で十分だわ。
五日ほどの滞在だったけれど、イレーネは心からそう思った。
しかし頂いた報酬はかなりの額だった。
屋敷には二人を祝福する貴族たちが集まっていて、祝いの品をたくさんもらった。リカルドからもらった物が霞むほどの高価なものばかり。
ありがたいけれども、狭い家に置き場があるはずもなく。実用性のあるものや置けるものだけを持って帰り、残りは公爵の屋敷に保管してもらうことにした。
そのことだけで、ディーノが貴族たちから愛されていたことがよくわかった。
この人たちからディーノを奪ってしまったと思ったけれど、どの貴族からも表立って責められたりはしなかった。
ディーノの演奏を褒め称え、幸せを願っていると祝福までしてもらった。
貴族たちもディーノの演奏を楽しんで聴いていた。
その姿は貴族も平民も変わらない。
いつかディーノが望むような、身分の関係ない、一つの場所で同じものを楽しめるような社会が訪れればいいなとイレーネも思う。
自分たちの代では無理でも、子供たちの世代、孫たちの世代、例えその先になってしまっても。いつかそうなればいいなと願わずにいられない。
こんなに素晴らしいものを分け隔ててしまうのはもったいない。
次の曲を演奏しているディーノが顔を上げた。
見つめていたイレーネと視線が交わる。
音楽家の顔の中に、一瞬だけ普段のディーノが顔を覗かせた。
イレーネへの想いがたくさん詰め込まれた熱い眸に、胸がどきどき高鳴った。
それは、まるで初恋を自覚した瞬間のときのようで、少女の頃の気持ちに戻った気がした。
一緒に暮らしているのにね。
リュートからも彼の想いが伝わってきて、昔のようにイレーネの鼓動が激しくなる。でも、もう取り乱しはしない。
ディーノの気持ちは毎日伝えられているし、イレーネも伝えているから。
気持ちが通じ合っていることを、実感しているから。
イレーネが笑みを浮かべて微笑んでみせると、ディーノもにこりと笑顔を見せた。
それからリュートに目を戻した。
優しくて温かい音色が心にじんわりと広がる。
聴衆にも届いていることをイレーネは願う。音に込められた彼の熱い想いの丈が。
<Fin>
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