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第三部 最終話

55 宴

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 目の前で繰り広げられる光景に、ディーノはただただ笑った。

 ワイン樽を打楽器にしてポンポコポンポコ打ち鳴らし、持ち出したリュートやヴァイオリンをかき鳴らし、手拍子を合わせ、唄い、踊る。

 ちっとも昔と変わらない。

 最初こそ主役の二人を祝ってくれていたが、途中から呑めや唄えのどんちゃん騒ぎと化し、結局いつもと同じ流れになった。

 旅立つ前と同じ光景。ディーノにはそれがとても嬉しかった。

 自分が不在だった八年が、あっという間に埋められた気がする。

 時は確実に流れている。知らない子供が誕生し、幼い子供は誰かわからないほどに成長し、大人は太っていたり痩せていたり白髪があったり腰が曲がっていたり。

 変わったものがある一方で、森の中に家々があり、畑では葉が茂り、野菜が実り、集落の奥では鶏が鳴き。集落ののどかな空気はまったく変わっていない。

 故郷に帰ってきたんだ。

 変わらないものがあることが嬉しいこと気づいた。

 気づけたのは師匠を亡くしたからだ。

 ずっとあると思っていた日々を突然失ったからだ。

 イレーネとそうならないために、だからディーノは帰ってきた。

 いつ帰ってもイレーネが必ずそこにいる。そう思っていたけれど、そうとは限らないことがあるのだと知った。

 自分が帰れない可能性があること。

 イレーネにも何が起こるかわからないこと。

 それに気づいたから。

 この先何があるかわからない。平穏な毎日に慣れて、この日々がずっと続くものと思ってしまうかもしれないけれど、だからこそ、イレーネと毎日を過ごしたいと願った。

 一度失うと、もう二度と手にすることはできない。師匠のように、もう二度と会えなくなるのは嫌だから。

 もしあの事故が起きていなければ、予定どおりに帰ってきていれば、イレーネと所帯を持つ決断はなかったかもしれない。まだまだ先のことと思っていただろう。再び演奏旅行に出ていたはずだ。

 そうなれば、イレーネをもっと待たせることになっていただろう。もしかするとディーノに見切りをつけ、別の男、リカルドやロマーリオを選んでいた未来になっていたのかもしれない。

 師匠と引き換えに手に入れた『今』なのかもしれない。

 師匠のことは、思い出すだけで胸が締め付けられる。

 ここで初めて稽古をつけてもらった。弟子にしてもらった。リュート奏者という未来をもらった。

 思い出すとつらい。つらいけれど、師匠はもう帰ってこない。そこのことはもう受け入れた。

 今はただ、師匠のために何かしたかった。何かできることはないだろうか。

 考えてみたけれど、何も思いつかなかった。

 できることは、師匠から教えてもらった音楽を受け継ぐことだけだが、それすらもこの先どうなるかわからない。

 精進しよう。師匠との練習を思い出して。

 イレーネとの生活のためもあるけれど、師匠たちが代々引き継いできたものを、自分で途切れさせてはいけない。 
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