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第三部 最終話
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イレーネへの愛情をたっぷりと歌い上げ、満足したディーノは弾き終えると顔を上げた。その途端、首に腕がかけられた。遅れて甘い香りがふらりと鼻に届く。柔らかい髪の毛が右頬に触れた。
イレーネが抱きついたのだとわかった。
同時に、周囲にいた人だかりから轟くような声と拍手が沸きあがった。悲鳴のような歓声や口笛と割れんばかりの拍手が、空から降ってくるように聞こえてくる。
見える範囲の人々の表情を見ていくと、どの人も笑っていた。とても楽しそうに頬を緩め、口角を持ち上げ、目を細め。人によっては顔だけでなく、飛び跳ね、隣の人に抱きつき、全身で喜びを表している。琴線に触れたのか、泣いている老婆もいた。
突き上げるような衝動を爆発させる聴衆。こんなにも近くでその反応を見られた。
ディーノの心に温かいものがじんわりと広がっていく。
あぁ、これだ。オレが見たかった景色はこれなんだ。
貴族たちも反応は示してくれる。拍手だってくれるし、アンコールだってねだったくれる。いい演奏をすれば、惜しみない称賛と援助をしてくれる。けれども、それは豪華な衣類や煌びやかな宝石類と同じ感覚なのではないかと思うことがあった。なかには純粋に音楽を愛している人もいるだろうけれど。
好きなことを続けていくためには、貴族に援助してもらうしか方法はない。だからありがたいことだと理解はしていたけれど、自分が求めていたのはこちらだったのだと、ディーノは確信した。
すがるように抱きついてくるイレーネの肩を宥めるようにさすり、解放してもらう。
イレーネは鼻をぐずぐずと鳴らしながら、身体を離した。
「お前の出る幕なんてないだろう。わかったらさっさと帰れ。二度とイレーネの前に現れるな」
ロマーリオがリカルドに向かって云った。
人々からも帰れコールが湧き上がる。
ディーノが彼の動向を見守っていると、リカルドはばつの悪そうな顔をしながらも、
「み、認めるわけないだろ!」
と云い切った。
「往生際の悪いやつだなあ。この場にお前の味方なんて一人もいねえのわかるだろう」
「周りのやつがどうだろうと、俺が認めねえって云ってんだよ。俺を納得させる演奏ができたら諦めるってことだったろ。無効だな」
「お前、クソみたいな性格してんな」
ロマーリオが呆れたように云う。
「それだけ本気ってことだよ。外野は黙ってろよ」
「俺は外野じゃなねえよ。こいつらとは兄弟だと思ってんだ。関係者だよ」
二人の喧嘩が方向違いのほうに向かっていく。
「ロマーリオ、ロマーリオ」
止めるためにディーノが声をかけた。
ロマーリオが口を閉じ、道を譲るようにリカルドの前から離れた。
ディーノはリカルドの前に立ち、改めて彼をじっくりと見おろす。リカルドの背はディーノより少し低い。
睨み付けたつもりはなかったのに、リカルドが上半身を軽く反らした。
「オレはリュートの修行のために、八年もイレーネをほったらかしにした。手紙だってたったの四通しか出さなかった。しかもオレが受け取れないから、イレーネからは出してもらえない。何かつらいことがあっても泣き言のひとつも聞いてやれない。だからオレのことなんて忘れて、誰か他の人を選んでいても仕方がないって思ってた。
だけどイレーネはオレを待っていてくれた。体調の悪いオレを献身的に看病してくれた。そんなオレがイレーネを手放すと思うか」
リカルドは黙って聞いている。
「あんたがどれだけイレーネのことを想っているのか知らないし、もしかすると収入の不確かな音楽家よりもあんたにしとけって云う人もいるかもしれない。けど、例え世間から何を云われようとも、イレーネは誰にも渡さない。もう二度とイレーネの手は離さない」
ディーノの宣言のような告白に、周囲がどよめいた。パラパラと拍手も起こる。
ディーノの傍らに近寄ってきたイレーネの腰に右手を回しそっと抱き寄せる。
「そういうことだから諦めてくれ」
「い・・・・・・いいや。まだだ。まだお前の身元の証明がされていない。お前がディーノ本人である証を立ててみせろよ」
今度こそ彼を見放すような、残念がる溜め息が人だかりから洩れた。「そんなもんどうでもいいだろう」「そうだそうだ」というヤジも飛ぶ。
「くそったれ」
ロマーリオが悪態をつく。
「オレがディーノである証明・・・・・・か」
小さく呟いたディーノは考え込んでしまった。自分がディーノである証明。そんなものあるわけがない。両親はいなし、自分を育てた人買いがどこの誰かなんて知らない。ディーノを買ったオルッシーニ男爵が証明をできる人物かもしれないが、それはレーヴェであることの証明になってしまう。リノやロゼッタや集落のみんなしか頼れる人がいない。そのためには半日もかかる集落から来てもらわなければならない。この男がそれを待ってくれるかどうか。いろいろ難癖をつけて阻止しようと企みそうだ。
これだけ云ってもわかってくれないリカルドにどう説明をしようかと思い悩んでいると、
「それなら僕が保証します」
人々の間からぬっと姿を現した金髪の男に、ディーノは驚いた。
イレーネが抱きついたのだとわかった。
同時に、周囲にいた人だかりから轟くような声と拍手が沸きあがった。悲鳴のような歓声や口笛と割れんばかりの拍手が、空から降ってくるように聞こえてくる。
見える範囲の人々の表情を見ていくと、どの人も笑っていた。とても楽しそうに頬を緩め、口角を持ち上げ、目を細め。人によっては顔だけでなく、飛び跳ね、隣の人に抱きつき、全身で喜びを表している。琴線に触れたのか、泣いている老婆もいた。
突き上げるような衝動を爆発させる聴衆。こんなにも近くでその反応を見られた。
ディーノの心に温かいものがじんわりと広がっていく。
あぁ、これだ。オレが見たかった景色はこれなんだ。
貴族たちも反応は示してくれる。拍手だってくれるし、アンコールだってねだったくれる。いい演奏をすれば、惜しみない称賛と援助をしてくれる。けれども、それは豪華な衣類や煌びやかな宝石類と同じ感覚なのではないかと思うことがあった。なかには純粋に音楽を愛している人もいるだろうけれど。
好きなことを続けていくためには、貴族に援助してもらうしか方法はない。だからありがたいことだと理解はしていたけれど、自分が求めていたのはこちらだったのだと、ディーノは確信した。
すがるように抱きついてくるイレーネの肩を宥めるようにさすり、解放してもらう。
イレーネは鼻をぐずぐずと鳴らしながら、身体を離した。
「お前の出る幕なんてないだろう。わかったらさっさと帰れ。二度とイレーネの前に現れるな」
ロマーリオがリカルドに向かって云った。
人々からも帰れコールが湧き上がる。
ディーノが彼の動向を見守っていると、リカルドはばつの悪そうな顔をしながらも、
「み、認めるわけないだろ!」
と云い切った。
「往生際の悪いやつだなあ。この場にお前の味方なんて一人もいねえのわかるだろう」
「周りのやつがどうだろうと、俺が認めねえって云ってんだよ。俺を納得させる演奏ができたら諦めるってことだったろ。無効だな」
「お前、クソみたいな性格してんな」
ロマーリオが呆れたように云う。
「それだけ本気ってことだよ。外野は黙ってろよ」
「俺は外野じゃなねえよ。こいつらとは兄弟だと思ってんだ。関係者だよ」
二人の喧嘩が方向違いのほうに向かっていく。
「ロマーリオ、ロマーリオ」
止めるためにディーノが声をかけた。
ロマーリオが口を閉じ、道を譲るようにリカルドの前から離れた。
ディーノはリカルドの前に立ち、改めて彼をじっくりと見おろす。リカルドの背はディーノより少し低い。
睨み付けたつもりはなかったのに、リカルドが上半身を軽く反らした。
「オレはリュートの修行のために、八年もイレーネをほったらかしにした。手紙だってたったの四通しか出さなかった。しかもオレが受け取れないから、イレーネからは出してもらえない。何かつらいことがあっても泣き言のひとつも聞いてやれない。だからオレのことなんて忘れて、誰か他の人を選んでいても仕方がないって思ってた。
だけどイレーネはオレを待っていてくれた。体調の悪いオレを献身的に看病してくれた。そんなオレがイレーネを手放すと思うか」
リカルドは黙って聞いている。
「あんたがどれだけイレーネのことを想っているのか知らないし、もしかすると収入の不確かな音楽家よりもあんたにしとけって云う人もいるかもしれない。けど、例え世間から何を云われようとも、イレーネは誰にも渡さない。もう二度とイレーネの手は離さない」
ディーノの宣言のような告白に、周囲がどよめいた。パラパラと拍手も起こる。
ディーノの傍らに近寄ってきたイレーネの腰に右手を回しそっと抱き寄せる。
「そういうことだから諦めてくれ」
「い・・・・・・いいや。まだだ。まだお前の身元の証明がされていない。お前がディーノ本人である証を立ててみせろよ」
今度こそ彼を見放すような、残念がる溜め息が人だかりから洩れた。「そんなもんどうでもいいだろう」「そうだそうだ」というヤジも飛ぶ。
「くそったれ」
ロマーリオが悪態をつく。
「オレがディーノである証明・・・・・・か」
小さく呟いたディーノは考え込んでしまった。自分がディーノである証明。そんなものあるわけがない。両親はいなし、自分を育てた人買いがどこの誰かなんて知らない。ディーノを買ったオルッシーニ男爵が証明をできる人物かもしれないが、それはレーヴェであることの証明になってしまう。リノやロゼッタや集落のみんなしか頼れる人がいない。そのためには半日もかかる集落から来てもらわなければならない。この男がそれを待ってくれるかどうか。いろいろ難癖をつけて阻止しようと企みそうだ。
これだけ云ってもわかってくれないリカルドにどう説明をしようかと思い悩んでいると、
「それなら僕が保証します」
人々の間からぬっと姿を現した金髪の男に、ディーノは驚いた。
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