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第三部 最終話
30 帰郷(イレーネ目線)
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ロマーリオに相談するように云われたものの、イレーネはまだおかみさんに相談していなかった。
あの日から五日が過ぎたが、リカルドは姿を見せなかった。だからもう諦めたのだと思った。それならわざわざ話して心配をかけることもないか、と判断した。
今夜はロマーリオが来てくれるから、何も心配することはないわね。と安心して終業の時刻を迎えた。
片付けをしていると、玄関からイレーネを呼ぶ声が聞こえた。女性の声だった。
職人たちが何事だとざわついている。
慌てて玄関へ向かうと、そこにはロゼッタが佇んでいた。
「お母さん。どうしたの?」
「仕事は終わったかい?」
「ええ。あとは片付けだけ」
いつもどっしりと構えているロゼッタが、珍しいことにそわそわと落ち着きがなかった。
「イレーネちゃん、今日はもういいよ」
「おかみさん。いつもイレーネがお世話になっています。急用ができたので、すみませんけど、連れて帰ります」
顔を覗かせたおかみさんにロゼッタが断りを入れると、イレーネはロゼッタに手を引かれた。
「今日ロマーリオが来ることになっているんです。見かけたら今日は行けない。お母さんと先に帰ったと伝えてください」
「わかったよ」
おかみさんの返事を聞きながら外に出る。
「イレーネ。落ち着いて聞くんだよ」
「一体どうしたの? お母さん」
「ディーノが帰ってきたんだよ」
「え!?」
ロゼッタの言葉が信じられなかった。しかしロゼッタが嘘をつくわけがない。
言葉がじんわりと浸透していくと、心が徐々に浮き立ってきた。
「ほん・・・・・・とう、に? 本当に、ディーノが帰ってきたの?」
「帰ってきた。けどね――」
「本当なのね! お母さん。ディーノが帰ってきたのね!」
イレーネは踊りだしたくなった。まるで夢を見ているようだ。
自分の手の甲を摘んだ。痛みがある。夢じゃない。
「それで、どこにいるの?」
お店の前の路地にディーノらしき人物はいない。
ロゼッタの視線の先を追うと、通りにリノの乗る馬車が止まっていた。荷台に座り背を向けた人がいる。すっぽりとフードを被っているので誰かわからない。あれがディーノだろうか。
イレーネは駆け寄った。荷台に回って、顔を覗き込む。
「ディーノなの?」
その人物は、たしかにディーノだった。集落を出て行った頃とそんなに変わっていない。けれど、何かが違う。
「ディーノ。どうしたの?」
彼の顔から生気が感じられなかった。隈ができ、頬はこけ、唇はがさがさ。無表情で眸を不安そうに揺らしている。
彼のこんな表情は見たことがない。
例えるなら真っ黒。すべての色が混ざってしまい、取り返しのつかない状態に見えた。
「何があったの?」
泣きそうになったイレーネは、しかし涙を堪え、優しくディーノに話しかけた。
頬を両手で挟み、無理やりこちらを向かせる。被っていたフードが外れた。
「イレーネよ。わかる?」
やがて、ゆっくりゆっくり視線が向けられた。
ほんの少し、眸に力が宿ったように見えた。
「イレ・・・・・・ネ」
ディーノの唇から、乾いた声が洩れた。
「そうよ。イレーネよ」
「イレーネ? イレーネ。イレーネ。イレーネイレーネイレーネ――」
脳がイレーネを認識したのか、ディーノは壊れたように何度も名を呼んだ。
「ディーノ。おかえりなさい」
もうイレーネは堪えられなかった。堰を切ったように涙が溢れ、頬を伝う。
このときを待っていた。ずっとずっと。いつか再開できると信じて、ずっと待っていた。ようやく願いが叶った。
人目も憚らず、イレーネはディーノを抱きしめ、わんわんと大声を上げて泣いた。
あの日から五日が過ぎたが、リカルドは姿を見せなかった。だからもう諦めたのだと思った。それならわざわざ話して心配をかけることもないか、と判断した。
今夜はロマーリオが来てくれるから、何も心配することはないわね。と安心して終業の時刻を迎えた。
片付けをしていると、玄関からイレーネを呼ぶ声が聞こえた。女性の声だった。
職人たちが何事だとざわついている。
慌てて玄関へ向かうと、そこにはロゼッタが佇んでいた。
「お母さん。どうしたの?」
「仕事は終わったかい?」
「ええ。あとは片付けだけ」
いつもどっしりと構えているロゼッタが、珍しいことにそわそわと落ち着きがなかった。
「イレーネちゃん、今日はもういいよ」
「おかみさん。いつもイレーネがお世話になっています。急用ができたので、すみませんけど、連れて帰ります」
顔を覗かせたおかみさんにロゼッタが断りを入れると、イレーネはロゼッタに手を引かれた。
「今日ロマーリオが来ることになっているんです。見かけたら今日は行けない。お母さんと先に帰ったと伝えてください」
「わかったよ」
おかみさんの返事を聞きながら外に出る。
「イレーネ。落ち着いて聞くんだよ」
「一体どうしたの? お母さん」
「ディーノが帰ってきたんだよ」
「え!?」
ロゼッタの言葉が信じられなかった。しかしロゼッタが嘘をつくわけがない。
言葉がじんわりと浸透していくと、心が徐々に浮き立ってきた。
「ほん・・・・・・とう、に? 本当に、ディーノが帰ってきたの?」
「帰ってきた。けどね――」
「本当なのね! お母さん。ディーノが帰ってきたのね!」
イレーネは踊りだしたくなった。まるで夢を見ているようだ。
自分の手の甲を摘んだ。痛みがある。夢じゃない。
「それで、どこにいるの?」
お店の前の路地にディーノらしき人物はいない。
ロゼッタの視線の先を追うと、通りにリノの乗る馬車が止まっていた。荷台に座り背を向けた人がいる。すっぽりとフードを被っているので誰かわからない。あれがディーノだろうか。
イレーネは駆け寄った。荷台に回って、顔を覗き込む。
「ディーノなの?」
その人物は、たしかにディーノだった。集落を出て行った頃とそんなに変わっていない。けれど、何かが違う。
「ディーノ。どうしたの?」
彼の顔から生気が感じられなかった。隈ができ、頬はこけ、唇はがさがさ。無表情で眸を不安そうに揺らしている。
彼のこんな表情は見たことがない。
例えるなら真っ黒。すべての色が混ざってしまい、取り返しのつかない状態に見えた。
「何があったの?」
泣きそうになったイレーネは、しかし涙を堪え、優しくディーノに話しかけた。
頬を両手で挟み、無理やりこちらを向かせる。被っていたフードが外れた。
「イレーネよ。わかる?」
やがて、ゆっくりゆっくり視線が向けられた。
ほんの少し、眸に力が宿ったように見えた。
「イレ・・・・・・ネ」
ディーノの唇から、乾いた声が洩れた。
「そうよ。イレーネよ」
「イレーネ? イレーネ。イレーネ。イレーネイレーネイレーネ――」
脳がイレーネを認識したのか、ディーノは壊れたように何度も名を呼んだ。
「ディーノ。おかえりなさい」
もうイレーネは堪えられなかった。堰を切ったように涙が溢れ、頬を伝う。
このときを待っていた。ずっとずっと。いつか再開できると信じて、ずっと待っていた。ようやく願いが叶った。
人目も憚らず、イレーネはディーノを抱きしめ、わんわんと大声を上げて泣いた。
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