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第三部 最終話
28 パレルモの街(イレーネ目線)
しおりを挟む彼がくくくと笑い出した。
「何がお「イレーネちゃん。今日はもう終わりにしていいよ」
「はい」
おかみさんに云われて、イレーネは店の看板をしまうために外に出た。
熱のこもる室内に比べて、外はいくぶんか涼しかった。川からくる風が仕事で火照った身体を撫でていく。
看板を持ち上げて室内に運びこもうしたとき、声が掛かった。
「仕事終わった?」
顔を上げると、にやついた男が覗き込んできた。
「・・・・・・はい」
嫌だな、と思いながら短く答える。
「ね、遊びに行こうよ」
「・・・・・・まだ片づけがあるので」
「すぐだろう。待ってるよ」
「これから予定があるので」
「またまた。嘘でしょう?」
「嘘じゃありません」
語尾を少し荒げると、男は怯んだような顔をして首をすくめて見せた。わざとしていることはわかっているので、気にもかけず、看板を持って室内に戻った。
今日はとても気分が良かったのに、つまらない男のせいで台無しになった。ぷりぷりと怒りつつ、今日一日機嫌を良くさせていた原因を思い出しているうちに、男のことはすぐに忘れた。
「今日機嫌が良さそうだったけど、良い事あったの?」
片付けを手伝っていると、職人の一人である中年の女性に話しかけられた。
「なんにもないですよ」
ごまかしたけれど、ばれるほどそんなに浮かれていたのかと思うと、恥ずかしくなった。
今朝、夢を見た。大人になったディーノが迎えにきてくれた。
手を握られて、「イレーネ。オレの家族になって欲しい」と求婚された。
「嬉しい。ずっと待っていたの」
とても嬉しくて、幸せだった。目覚めた途端、夢だったのかと残念な気持ちになったけれど、今思い出してもにやけてしまいそうになる。
ディーノは今どこで何をしているのだろう。五通目の手紙は届かない。
このままディーノを待っていても、二人の未来は繋がっていないんじゃないかしら。
不安になっていたときだったので、正夢になってくれればいいのになと、願わずにいられない。
「お疲れ様でした」
職人さんたちと一緒に店を出て、通りで別れた。
男の職人はお酒を呑みに行くらしく、飲食店が軒を連ねる方へ、女性の職人たちはみんな家庭があるので、買い物に行き、イレーネは一人になった。
「まっすぐ帰るの?」
聞き覚えのある声を、今度は無視して歩を進める。
「やっぱり予定ないんでしょう。だったら俺と遊びに行こうよ」
「・・・・・・」
黙っていると、男はしつこくつきまとってきた。
男は仕立屋ギルドの顔役の息子リカルドで、自分に力があると勘違いしていて、イレーネを思い通りにできると思っているらしい。
店が所属しているギルドの一番偉い人が父親だからと、最初は話に応じていたが、誘いには一度も乗っていない。のらりくらりと交わしてきたけれど、半年ほど経つとしつこくなってきた。
こんなことで迷惑をかけてはいけないと、店の人に相談をしていいものやら迷っていたけれど、そろそろ限界かもしれない。
「きゃっ!」
突然手首を捕まれて驚いた。
「一回でいいから行こうよ。ね」
「行きません。離してください」
振りほどこうとしたけれど、リカルドは力を込めてきた。
「そんなこと云わずにさあ」
「離して! 痛い!」
「お前、イレーネに何やってんだよ!」
救いの声が聞こえた途端、手が離れた。背後から別の手が肩にかかり、リカルドから引き離された。守るかのように広い背中が立ちはだかる。
「なんだ? お前」
リカルドが不機嫌そうに云う。
「嫌がる女に無理やり手出してんじゃねえよ!」
「嫌がってねえよ。恥ずかしいだけだよなあ」
リカルドが覗き込むようにしてきたので、イレーネは助けてくれた彼——ロマーリオの背中に隠れた。
「拒否してるだろうが」
「イレーネは俺と結婚するんだよ。邪魔すんな」
リカルドが手を伸ばしてくる。
「結婚? イレーネが? お前と?」
ロマーリオがくくくと笑うと、手が引っ込んだ。
「何がおかしい」
リカルドが、鼻の頭にシワを寄せる。
「イレーネにはディーノっていう大事な人がいるんだよ。お前なんて相手にするわけねえだろ」
「そんな男いねえのはとっくに調べ済みなんだよ。お前こそ人の女に手出してんじゃねえぞ」
リカルドの言葉に、イレーネは思わず反応していた。
「いないってどういうこと! ディーノに何かあったの!?」
「お前何を調べたんだ! なんか知ってんのかよ!」
二人に詰め寄られ、リカルドは二歩後退さった。
「だって、イレーネちゃんを訪ねてくる男なんていなかったじゃないか。お前しか見てないし、お前ディーノって名前じゃないだろう?」
男はおどおどしているように見える。わざとではなさそうだった。
「見てただけか? それ、調べたって云わねぇだろ」
呆れたようにロマーリオが呟くと、男の顔がみるみるうちに朱に染まっていった。
「う・・・・・・うるせぇよ。俺の邪魔すんな」
「相手にされてねえのわかるだろ。諦めろよ」
三人の云い争いに、周囲がざわつきだした。いぶかるような視線が向けられる。
「俺は諦めないからな」
さすがに居たたまれなくなったのか、リカルドは背中を見せて逃げ出した。
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