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第三部 最終話
17 音楽家のアプローチ
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翌日、朝餉の席でギュルダン氏にリーゼの借りている部屋を教えてもらい、訪ねた。
昨夜行った酒屋の前を通り過ぎ、もう少し坂を下って、路地に入ったところに教えられた建物があった。
黄塗りの建物はところどころにヒビが入り、かなりの歳月を経ているのが窺えた。出費を抑えた部屋を借りているのだろう。
ぎしぎしとうなる階段を上って二階に向かい、すぐに該当する部屋を見つけた。
扉をノックするするものの、返答はなかった。もう一度ノックをして、「リーゼいる? ディーノだけど」と声もかけてみた。
ややあって、部屋の中から物音が聞こえた。まだ眠っていたのだろう。
「リーゼ。ごめん。ゆっくりでいいよ」
そう云うと、
「着替えるから、待ってて」
返答があった。
空を見上げてぼんやりしていると、
「お待たせ」
背中に声がかかった。
「上がって」
「お邪魔します」
ワンフロアに寝台と小さな机があるだけの、殺風景な部屋だった。部屋の隅に彼の衣類が畳まれてはいるが、直置きされていた。
「まだ家具が揃ってないんだ。汚くてごめんね」
「いや。大丈夫。こっちこそ、勝手にきてごめん」
「尋ねてきてくれるなんて嬉しいよ。僕になにか用かい?」
「あ、うん・・・・・・」
ディーノは何と訊こうかと迷い、言いよどんだ。帰る間近に店にやってきた女性とリーゼとの関係が気になってしまったのだ。しかし、いざこうやって本人を目の前にすると、訊ね難かった。
「気を悪くしたらごめんなんだけど・・・・・・」
「歯切れ悪いなぁ。君らしくない。どうしたの?」
リーゼが笑いながら、先を促してくる。
「昨日の演奏だけど。すごく良かったよ。ソリストとしてもやっていける腕前だっと思うんだ。本当に。貴族たちがどう思おうと、オレは好きだよ。リーゼの演奏」
違う言葉が口をついて出てきた。けれど、本心でもある。云おうとしていたこととは別のことだけれど。
「ありがとう。自信に繋がるよ。昨日のお客さんも気に入って、常連になってくれてるんだ。少しずつでも聴いてくれる人を増やしていければ、人づてで教師の仕事が増えるかもって」
「演奏会だってできるかもしれないじゃないか」
ディーノは本気でそう思った。貴族の前でしか演奏会をしてはいけないわけではない。
「演奏会? そうだな。そうなるといいな」
リーゼは目を丸くしたあと、にぱっと笑った。「それで、わざわざそれを伝えにきてくれたのかな?」
どうやら本題は違うところにあると、見透かされていたらしい。ディーノは訊ねる決心をして、口を開いた。
「実は、昨日帰り際にきた女性のことだけど」
「えっ! う、うん」
リーゼが動揺したのか、大きな声を出した。
「遅い時間に珍しいよね。女性が一人で出歩くなんて」
「彼女、店主の娘さんなんだ。たまに店に来るんだよ」
「いつも家まで送ってあげるの?」
「いや、昨夜が初めてだよ。いつもはもう少し早い時間に来るんだけど、遅かったから。店主も心配されていたし」ここでリーゼは顔色変えた。「誓って、送り狼にはなってないよ」
手を振って、全力で否定する。
「そこは、まあ、いいんだけど。相思相愛なら」
「相思相愛って・・・・・・そうなればいいんだけど」
今度は顔を赤らめた。
人が恋をしている瞬間を目の当たりにして、ディーノも楽しくなった。
リーゼの眸はきらきらと輝き、幸せそうな笑顔をする。以前会ったときの思いつめたような顔と、ずいぶん違った。
雰囲気も柔らかくなったし、やる気に満ちているように見える。
環境を変えたことで自分の音楽を見つけられたことも自信に繋がったのだろうが、恋愛も影響を与えているように思える。
こんなにも人を明るく変えるのならば、応援したいと、素直に思えた。
「気持ちを伝えるつもりはあるの?」
「そう、だな。なくはないけど。うまく云えられるかな? 恥ずかしくて目を見れないんだ」
リーゼは目を伏せ、頭を掻く。
「オレはいつも見てたけどな」
自分に置き換えると、いつもイレーネの眸を見つめてきた。逸らしてしまったのは、後ろめたい思いがあるときだけだった。
「君にも好きな人がいたんだ。それもそうか。あんなにすてきな演奏をしていたんだもんな」
「愛の曲は実は苦手なんだけどね」
「え? 好きな人を思い浮かべながら弾けば、君なら上手く表現できるだろう?」
「それが、弾いているうちにリュートに入りこんじゃって、イレーネのことを忘れてしまうんだ」
「君にもそんな欠点があるんだな」リーゼが笑った。「君はその人と相思相愛なのかい?」
「うん。ま、一応は」
今度はディーノが照れる番になった。
「凄いじゃないか。君から気持ちを伝えたのかい?」
「実は先に言われちゃってさ」
「勇気のある娘だねぇ」
「今思うとそうだよな。だけど、オレもずっとリュートで気持ちは伝えてたんだよ。オレ、口よりリュートのほうが感情を乗せやすいから」
「しっかり伝わってたんだね」
「リーゼもそうすればいいじゃないか」
「ええー!?」
リーゼは目を白黒させて、絶句した。思ってもいなかったのだろう。音楽で気持ちを伝えるなんて。
「音楽家ならではのアプローチじゃないか。作曲の勉強にもなるし」
「そ、それはそうだけど・・・・・・」
「なんならオレも手伝うよ。ソロが無理なら、デュオでもいい。メインはもちろんチェンバロで。オルガンでもいいと思うな。そうだ! 教会のあの景色の中で聴いてもらうっていうのはどうだろう?」
いいことを思いついて、ディーノはわくわくした。けれどリーゼが頷かないことには良案にならない。ディーノはリーゼを見つめ、返事を待った。
しばらくして、リーゼは「告白は」と口を開いた。「曲ができてそれに納得してからでもいいかな? 急なことだから、決心がつかない」
「もちろんさ。リーゼが今だっていうタイミングでやれればいいと思う。けしかけるつもりはないさ」
ようやくリーゼは迷いの吹っ切れた表情を見せた。
昨夜行った酒屋の前を通り過ぎ、もう少し坂を下って、路地に入ったところに教えられた建物があった。
黄塗りの建物はところどころにヒビが入り、かなりの歳月を経ているのが窺えた。出費を抑えた部屋を借りているのだろう。
ぎしぎしとうなる階段を上って二階に向かい、すぐに該当する部屋を見つけた。
扉をノックするするものの、返答はなかった。もう一度ノックをして、「リーゼいる? ディーノだけど」と声もかけてみた。
ややあって、部屋の中から物音が聞こえた。まだ眠っていたのだろう。
「リーゼ。ごめん。ゆっくりでいいよ」
そう云うと、
「着替えるから、待ってて」
返答があった。
空を見上げてぼんやりしていると、
「お待たせ」
背中に声がかかった。
「上がって」
「お邪魔します」
ワンフロアに寝台と小さな机があるだけの、殺風景な部屋だった。部屋の隅に彼の衣類が畳まれてはいるが、直置きされていた。
「まだ家具が揃ってないんだ。汚くてごめんね」
「いや。大丈夫。こっちこそ、勝手にきてごめん」
「尋ねてきてくれるなんて嬉しいよ。僕になにか用かい?」
「あ、うん・・・・・・」
ディーノは何と訊こうかと迷い、言いよどんだ。帰る間近に店にやってきた女性とリーゼとの関係が気になってしまったのだ。しかし、いざこうやって本人を目の前にすると、訊ね難かった。
「気を悪くしたらごめんなんだけど・・・・・・」
「歯切れ悪いなぁ。君らしくない。どうしたの?」
リーゼが笑いながら、先を促してくる。
「昨日の演奏だけど。すごく良かったよ。ソリストとしてもやっていける腕前だっと思うんだ。本当に。貴族たちがどう思おうと、オレは好きだよ。リーゼの演奏」
違う言葉が口をついて出てきた。けれど、本心でもある。云おうとしていたこととは別のことだけれど。
「ありがとう。自信に繋がるよ。昨日のお客さんも気に入って、常連になってくれてるんだ。少しずつでも聴いてくれる人を増やしていければ、人づてで教師の仕事が増えるかもって」
「演奏会だってできるかもしれないじゃないか」
ディーノは本気でそう思った。貴族の前でしか演奏会をしてはいけないわけではない。
「演奏会? そうだな。そうなるといいな」
リーゼは目を丸くしたあと、にぱっと笑った。「それで、わざわざそれを伝えにきてくれたのかな?」
どうやら本題は違うところにあると、見透かされていたらしい。ディーノは訊ねる決心をして、口を開いた。
「実は、昨日帰り際にきた女性のことだけど」
「えっ! う、うん」
リーゼが動揺したのか、大きな声を出した。
「遅い時間に珍しいよね。女性が一人で出歩くなんて」
「彼女、店主の娘さんなんだ。たまに店に来るんだよ」
「いつも家まで送ってあげるの?」
「いや、昨夜が初めてだよ。いつもはもう少し早い時間に来るんだけど、遅かったから。店主も心配されていたし」ここでリーゼは顔色変えた。「誓って、送り狼にはなってないよ」
手を振って、全力で否定する。
「そこは、まあ、いいんだけど。相思相愛なら」
「相思相愛って・・・・・・そうなればいいんだけど」
今度は顔を赤らめた。
人が恋をしている瞬間を目の当たりにして、ディーノも楽しくなった。
リーゼの眸はきらきらと輝き、幸せそうな笑顔をする。以前会ったときの思いつめたような顔と、ずいぶん違った。
雰囲気も柔らかくなったし、やる気に満ちているように見える。
環境を変えたことで自分の音楽を見つけられたことも自信に繋がったのだろうが、恋愛も影響を与えているように思える。
こんなにも人を明るく変えるのならば、応援したいと、素直に思えた。
「気持ちを伝えるつもりはあるの?」
「そう、だな。なくはないけど。うまく云えられるかな? 恥ずかしくて目を見れないんだ」
リーゼは目を伏せ、頭を掻く。
「オレはいつも見てたけどな」
自分に置き換えると、いつもイレーネの眸を見つめてきた。逸らしてしまったのは、後ろめたい思いがあるときだけだった。
「君にも好きな人がいたんだ。それもそうか。あんなにすてきな演奏をしていたんだもんな」
「愛の曲は実は苦手なんだけどね」
「え? 好きな人を思い浮かべながら弾けば、君なら上手く表現できるだろう?」
「それが、弾いているうちにリュートに入りこんじゃって、イレーネのことを忘れてしまうんだ」
「君にもそんな欠点があるんだな」リーゼが笑った。「君はその人と相思相愛なのかい?」
「うん。ま、一応は」
今度はディーノが照れる番になった。
「凄いじゃないか。君から気持ちを伝えたのかい?」
「実は先に言われちゃってさ」
「勇気のある娘だねぇ」
「今思うとそうだよな。だけど、オレもずっとリュートで気持ちは伝えてたんだよ。オレ、口よりリュートのほうが感情を乗せやすいから」
「しっかり伝わってたんだね」
「リーゼもそうすればいいじゃないか」
「ええー!?」
リーゼは目を白黒させて、絶句した。思ってもいなかったのだろう。音楽で気持ちを伝えるなんて。
「音楽家ならではのアプローチじゃないか。作曲の勉強にもなるし」
「そ、それはそうだけど・・・・・・」
「なんならオレも手伝うよ。ソロが無理なら、デュオでもいい。メインはもちろんチェンバロで。オルガンでもいいと思うな。そうだ! 教会のあの景色の中で聴いてもらうっていうのはどうだろう?」
いいことを思いついて、ディーノはわくわくした。けれどリーゼが頷かないことには良案にならない。ディーノはリーゼを見つめ、返事を待った。
しばらくして、リーゼは「告白は」と口を開いた。「曲ができてそれに納得してからでもいいかな? 急なことだから、決心がつかない」
「もちろんさ。リーゼが今だっていうタイミングでやれればいいと思う。けしかけるつもりはないさ」
ようやくリーゼは迷いの吹っ切れた表情を見せた。
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