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第二部
39 ペンダント
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「これは、人から預かったとても大事な物なんです」
夫人が手に触れた物を、服の上から握り締める。
「お守りなんです。とても大切な人とある約束をしたんです。その時までオレが大事に預かっているんです」
火照っていた顔から熱が引いていく。
イレーネから預かった木彫りのペンダントに、触られてしまった。肌身離さず大切に持っていたお陰で自分は覚醒できたけれど、同時にイレーネが汚されたような気がした。
夫人はしばらくディーノを見つめていたけれど、やがて溜め息をついて立ち上がった。
ディーノがびくんと身体を強張らせる。
貴族の手を払いのけてしまったことに今更ながら気づいた。どうしようと思いながらも、逃げ出す無礼はしなかった。
「服を着ますわ。あちらを向いていて頂けますか?」
夫人の言葉が頭に浸透するまでやや時間がかかった。理解した途端、素早く身体を捻った。
さらさらと衣擦れの音がして、「結構ですわ」と声がかかった。
ゆっくりと身体を戻すと、夫人は鏡台に向かって座っていた。露出の少ない服を纏っている。結っていた髪を下ろしていく夫人と、鏡越しに視線が合う。
「羨ましいですわね」
夫人の言葉に、ディーノは首を傾げた。何のことだかわからない。無言でいると、夫人が続けた。
「その大切な方というのは、先生のいい方なのでしょう?」
「いい方というは?」
「嫌ですわ、先生。本気でおっしゃっておられるの?」
「……はい。わかりません」
「恋人なのでしょう?」
「恋人!?」
びっくりして声が上擦った。「そ、そんなんじゃない……です」
夫人がころころと笑う。
「恋人でないなら、先生の想い人かしら。可愛い方なのですか?」
「イレーネが?」
「まあ、イレーネさんとおっしゃるのね。どこかのご令嬢にそのようなお名前の方いらしたかしら?」
「イレーネは、貴族のご令嬢ではありません。町娘です。リュート職人の養子として暮らしています」
「まあ、リュート職人の。そうなのですね。先生に想われていらして、本当に羨ましいですわ」
「でも、弟子になってから会えてないんです。近頃手紙もあまり出せなくて。もうオレのことなんて忘れているかも知れません」
「ダメですわよ、先生。大切な方なのなら、きちんと言葉と態度で伝えてさしあげないと。女は不安になって疑心暗鬼に捉われてしまうのですよ。お忙しいとは思いますけれど、お手紙はきちんと出しておあげなさいな」
叱られて、ディーノは戸惑った。ついさっき自分を誘惑したところなのに。まさか見透かされたあげく怒られるとは。
「わたくしね、先生が奏でる愛の曲が大好きなのですよ。まるで十代の娘に戻ったような気がいたしますの。好きな方と結ばれて、その方の子供をたくさん産んで。自分の未来は輝いていて、楽しいことしかないと夢を見ていた頃に」
「マルティナ様にはご立派なご主人様がおられるではないですか」
おずおずとディーノが云うと、夫人は声を上げて笑った。それは嘲るような笑い方だった。
「あの人との間に愛情はありませんわ、結婚当初から。ならどうして結婚をと云いたそうなお顔をですわね」
思ったことが顔に出ていたらしい。ディーノは焦って顔を拭った。
「先生、貴族にはしがらみがたくさんあるのですよ。それは本当にたくさんの。どんなに好いた方でも、家の徳になるような方でないと婚姻の赦しなど出ません。反対に嫌いな方でも家の徳になるのなら、嫁がねばなりません。家柄や家格などに縛られずに自由に選択できる世の中になればよろしいのに」
夫人は長い髪に櫛を入れながら、どこか遠いところを見つめていた。
はっきりとは云わないが、夫人にもいろいろとあったのだろう。具体的にわからなくとも、家に縛られることつらさが、ほんの少しディーノにも理解することができた。この方もある意味奴隷なのだな、と。
夫人が手に触れた物を、服の上から握り締める。
「お守りなんです。とても大切な人とある約束をしたんです。その時までオレが大事に預かっているんです」
火照っていた顔から熱が引いていく。
イレーネから預かった木彫りのペンダントに、触られてしまった。肌身離さず大切に持っていたお陰で自分は覚醒できたけれど、同時にイレーネが汚されたような気がした。
夫人はしばらくディーノを見つめていたけれど、やがて溜め息をついて立ち上がった。
ディーノがびくんと身体を強張らせる。
貴族の手を払いのけてしまったことに今更ながら気づいた。どうしようと思いながらも、逃げ出す無礼はしなかった。
「服を着ますわ。あちらを向いていて頂けますか?」
夫人の言葉が頭に浸透するまでやや時間がかかった。理解した途端、素早く身体を捻った。
さらさらと衣擦れの音がして、「結構ですわ」と声がかかった。
ゆっくりと身体を戻すと、夫人は鏡台に向かって座っていた。露出の少ない服を纏っている。結っていた髪を下ろしていく夫人と、鏡越しに視線が合う。
「羨ましいですわね」
夫人の言葉に、ディーノは首を傾げた。何のことだかわからない。無言でいると、夫人が続けた。
「その大切な方というのは、先生のいい方なのでしょう?」
「いい方というは?」
「嫌ですわ、先生。本気でおっしゃっておられるの?」
「……はい。わかりません」
「恋人なのでしょう?」
「恋人!?」
びっくりして声が上擦った。「そ、そんなんじゃない……です」
夫人がころころと笑う。
「恋人でないなら、先生の想い人かしら。可愛い方なのですか?」
「イレーネが?」
「まあ、イレーネさんとおっしゃるのね。どこかのご令嬢にそのようなお名前の方いらしたかしら?」
「イレーネは、貴族のご令嬢ではありません。町娘です。リュート職人の養子として暮らしています」
「まあ、リュート職人の。そうなのですね。先生に想われていらして、本当に羨ましいですわ」
「でも、弟子になってから会えてないんです。近頃手紙もあまり出せなくて。もうオレのことなんて忘れているかも知れません」
「ダメですわよ、先生。大切な方なのなら、きちんと言葉と態度で伝えてさしあげないと。女は不安になって疑心暗鬼に捉われてしまうのですよ。お忙しいとは思いますけれど、お手紙はきちんと出しておあげなさいな」
叱られて、ディーノは戸惑った。ついさっき自分を誘惑したところなのに。まさか見透かされたあげく怒られるとは。
「わたくしね、先生が奏でる愛の曲が大好きなのですよ。まるで十代の娘に戻ったような気がいたしますの。好きな方と結ばれて、その方の子供をたくさん産んで。自分の未来は輝いていて、楽しいことしかないと夢を見ていた頃に」
「マルティナ様にはご立派なご主人様がおられるではないですか」
おずおずとディーノが云うと、夫人は声を上げて笑った。それは嘲るような笑い方だった。
「あの人との間に愛情はありませんわ、結婚当初から。ならどうして結婚をと云いたそうなお顔をですわね」
思ったことが顔に出ていたらしい。ディーノは焦って顔を拭った。
「先生、貴族にはしがらみがたくさんあるのですよ。それは本当にたくさんの。どんなに好いた方でも、家の徳になるような方でないと婚姻の赦しなど出ません。反対に嫌いな方でも家の徳になるのなら、嫁がねばなりません。家柄や家格などに縛られずに自由に選択できる世の中になればよろしいのに」
夫人は長い髪に櫛を入れながら、どこか遠いところを見つめていた。
はっきりとは云わないが、夫人にもいろいろとあったのだろう。具体的にわからなくとも、家に縛られることつらさが、ほんの少しディーノにも理解することができた。この方もある意味奴隷なのだな、と。
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