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第二部

33 二年後

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 四人で回る演奏旅行の日々がまた戻ってきた。

 一行の演奏旅行は二年をかけ、近隣諸国を回った。イリア国の貴族と交流のある他国の貴族へ紹介されたり、以前から師匠のリュートを気に入っている貴族のサロンに呼ばれたりと、ピエールが調整する日程に合わせて、慌ただしくも充実した日々が過ぎていった。

 ディーノの単独での演奏会も何度となく開かれ、貴族の口に頻繁に上るほどのものになっていた。

 そして、久しぶりにイリアの地に戻ってきた彼らは、いくつかの演奏会を開いた後、様々な報告を兼ねてアイゼンシュタット公爵の食事会に呼ばれていた。

 援助しているリュート奏者の評判が他国でも高く、噂が耳にも入ってきているらしく、公爵たちは鼻を高くしていた。

「サロンでまた褒められましたのよ。心に染み入る素晴らしい演奏を聴いたって。ロドヴィーゴさんのリュートはもちろんのこと、ディーノさんの演奏も心を動かされたって、皆さん仰ってましたわ。ほとんど毎日話題に上がってますのよ」

 公爵夫人は高揚した様子で嬉しそうに話している。顔がほんのりと赤いのはワインのせいだけでないだろう。

「夢中になっているのは、婦人ばかりではないぞ。晩餐会に呼ばれるときはぜひとも二人を連れてきて欲しいと言われるんだからな。どうやら私を呼ぶのは二の次のようだ」

 公爵は冗談を云って笑った。

 師匠は「滅相もございません」と恐縮して、頭を下げた。

「ディーノ君は、ロドヴィーゴについて何年になったかね?」

 公爵から話しを振られ、牛肉の赤ワイン煮込みを口に運んだばかりだったディーノは、急いで飲み込んだ。口に入れた瞬間にとろけてしまうほど柔らかい。牛肉を食することなんなど滅多にできないので、胃が小さくて前菜とスープと焼きたてのパンで腹が八分目に達していてちょっと厳しくても、しっかり堪能しようと思った。

 水で流し込み、口をナプキンの端で軽く拭く。ピエールからしっかりテーブルマナーを教え込まれたので、貴族たちと同席で食事をしても、戸惑うことも、恥ずかしい思いをすることもなくなった。フィンガーボールの水を飲もうとしてしまうことも、人の振りを盗み見ながら食事をするようなことももうない。

「六年経ちました」

 公爵の顔をしっかり見て答えた。

 話しかけられて、師匠の顔を見てから話す癖はなくなり、貴族を相手に怖気づくことなく、相手の眸を見てしっかりと受け答えができるようになった。社交界に慣れてきたということもあるだろうし、師匠に過去の全てを打ち明けることで、後ろめたい気持ちがなくなり吹っ切れたからでもあった。

「しばらく見ない間にたくましくなった。音楽家の顔だ。独り立ちは考えているのかね」

「いえ。それはまだです。教えてもらいことがまだまだありますから」

「そうなのか。もし独り立ちを考えているなら、いつでも相談しなさい。喜んで支援させてもらうよ」

「ありがとうございます。身に余るお話に、感激しております」

 模範回答のようなディーノの受け答えを気に入ったのか、公爵は笑顔を見せた。夫人も口元に手を添えながら微笑んでいる。

「後ほどリュートを聴かせてもらえるかな」

「お望みであれば、一晩中でも」

「今夜は寝かせてもらえませんのね。ドキドキ致しますわ」

 ディーノの軽い冗談に、夫人の艶っぽい視線が向けられた。
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