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第二部

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 部屋で朝餉をすませ、もう一眠りしてからディーノは帰ろうとした。公爵の屋敷までの道程は覚えている。

 歩いて帰ろうとしたものの、伯爵夫人に止められ結局馬車に揺られることになった。夫人も同行したがったが、それは丁重に断った。

 公爵邸では玄関ポーチで待っていたらしいピエールに出迎えられた。

 ディーノの姿をとらえると、ピエールが硬い顔で走り寄ってきた。

「おかえり。具合はどう?」

「もう大丈夫」

「過労ってことだけど、僕の調整ミスかもしれないね。すまなかった」

「やめてよ。ピエールさんのせいじゃないから。オレ自身が倒れるなんて思ってなかったし」

「これからは少しでも調子がおかしかったら僕に言うんだよ。僕もよく観察するようにするから」

「観察って。なんか虫になった気分だよ」

 笑いながら言うと、ようやくピエールも表情を緩ませた。揃って部屋に向かう。

「先生は?」

「部屋におられるよ」

「心配かけたかな?」

「連絡が来るまではね。迎えを出そうとしてたから。ただ体調に関してはそうでもなかったな。若いから大丈夫だって。先生は楽観主義だから。まあ、自分のせいだって口にした僕を励まそうとして、わざとそう言ったのかもしれないけど」

 部屋に近づくにつれ、リュートの音が聞こえてきた。他の誰でもなく、師匠が弾いているのだろう。心身が休まりほっとするような、ゆったりした曲を奏でている。ディーノが帰ってきたことを執事にでも聞いたのだろうか。

 師匠の心遣いにディーノは頬が緩んだ。しかしすぐには部屋に入らなかった。扉の前で佇み、師匠の奏でる旋律に耳を澄ませた。
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