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第二部
13 余韻
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白々と夜が明け始めていた。
新年を迎えたこの日の空模様は、雪は止み、太陽がそろそろと顔を覗かせ始めている。快晴とはいかないまでも、穏やかな一日になりそうな気配があった。
寝台で横になったまま、ディーノは空を見つめていた。
隣室の師匠の鼾と、隣のピエールの寝息を背景に聴きながら。
部屋に戻ったのは昨夜、というより、今朝方のことだ。宴は日が変わるまでお開きにならず、ようやく解放されたのは数時間前のことだ。
早々に横になって、二人はすぐに寝ついたようだが、ディーノは一睡もできず、ずっと空を見ていた。
空を見ながら、頭では別のことを考えていた。
ついに果たした社交界デビュー。単独ではなかったが、一歩を踏み出せたことにディーノは興奮した。評価も良かった。いや、良かったなんて冷静に語れるものではなかった。
演奏が終わった途端、地を揺るがすほどの大きな拍手と歓声に包まれた。
数人が立ち上がると他の者も立ち上がり、波のように広がっていく。ステージに近いところからその現象は起こり、ステージ上からの眺めはディーノに驚きと、感動を与えた。
平然と頭を下げる師匠に倣い、ディーノも四方にお辞儀を繰り返しながら、ホール全体を見渡した。
満足そうな表情で、華美な服に身を包む貴族たちからの熱い賞賛。
師匠の演奏が貴族たちの心を惹きこみ、師弟の演奏でさらなる評価を得た。師匠が受けた賞賛よりも大きいものを。
貴族たちの期待に大きく応えられたのだと、弾き終えた直後にディーノは実感した。
演奏中は周囲のことなど気に掛けていなかった。緊張のあまり余裕がなかったのではなく、演奏にのめりこんでしまうという、悪い癖がでてしまったのだ。そのことに気づいたのは寝台に横になってから。師匠の指摘を思い出し、反省する冷静さを取り戻してからだった。
『聴く者の動向に左右されない演奏ができるのは長所であると同時に、短所でもある。人々が求めている演奏ができなければ、演奏家として高い評価は得られない』
師匠はディーノの癖を即座に見抜いた。リュートが好きで、好き過ぎた結果、自らの演奏に陶酔してしまうという欠点。ある程度の陶酔は、聴衆を惹きこむためには必要である。例えポーズであっても。
しかし行き過ぎは逆に出ることもある。独り善がりの演奏には、引いてしまう聴衆もいるだろう。
『プロの演奏家とは聴衆を満足させてこそプロフェッショナルと呼べるのであって、演奏家の満足だけで終わってしまってはただの趣味だ。しかしポーズはいずれ聴衆に見抜かれる。自分の演奏世界に引き込む才能を持っているのなら、それを活かしながら、第三者的な目線で自身の演奏を冷静に判断するようになりなさい』とも師匠は付け加えた。
それ以来、気をつけて周囲も見るように練習を重ねてきたのだが、昨夜はできなかった。師匠の音すらきちんと聴いていたかどうか定かでない。おそらく師匠がディーノの演奏に合わせてくれたのだろう。そのお陰で得た評価なのだと、興奮の傍ら、冷静に考えた。
眠れないのは興奮のせいなのか、他のことも思い出して考えてしまったからなのか。
楽屋での出演者たちの態度や視線が気になった。
ステージを降りてから貴族たちに取り囲まれ、口々に賞賛の言葉をかけられた。師匠とも引き離され、どうしたらよいのかわからず困惑しつつも、嬉しかった。ピエールの姿を見つけて、なんとか出口に辿りついたものの、貴族たちは次々やってくる。
楽屋に戻ってようやく解放された。興奮からやや落ち着いてみると、今度は他の出演者たちの視線が気になった。楽屋までリュートの音が届いていたのかどうかはディーノにはわからないが、その音量の小ささゆえ、まともに届いてはいなかっただろうと思った。
ヴァイオリンやチェンバロの弟子たちは、ディーノをちらちらと見、こそこそ話している。なんとなく尻の納まりが悪かったが、他に行くところはなく、宴が終わってロドヴィーゴが戻るまで楽屋にいるしかなかった。
彼らの視線からは良い感情を読み取ることはできなかった。貴族たちの眸からは宝物でも見つけたかのような輝きを感じたが、楽屋の彼らの視線はディーノに宝物を横取りされておもしろくない、といった負の感情ばかりだった。
それはいわゆる『嫉妬』という感情だった。
師匠同士の演奏だけであればここまで対立されることはなかっただろう。しかし見た目にも若くて冴えない風貌のディーノが、自分たちの師匠よりもはるかに良い評価を得た。誰かが演奏風景を見て、悪い噂を立てたのだろうか。それとも彼らにはディーノの演奏が伝わらなかったのだろうか。
チェンバロの弟子の彼も、ディーノと目を合わせようとしなかった。ちらりと視線を送ってくるものの、顔を向けると気まずそうに逸らしてしまう。妙な雰囲気のせいで、せっかくの興奮に水を差されたが、ピエールに呼ばれてその場を離れることができたときには安堵した。
人間は矛盾した生き物だ。助け合い庇い労わりながらも、一方で憎悪や嫉妬を向けることがある。
これまでの体験から人の黒いところは嫌というほど見てきた。わかっていたつもりでいた。けれど、ああいう形でぶつけられると、戸惑い、落ち込む。同じ音楽家なのに、敵愾心を剥き出しにして、人が得た評価を妬む。
ライバル心を燃やされるのなら嬉しいことだ。自分の演奏が認められたということなのだから。しかし嫉妬は認めてもらえていない。とてもつらかった。彼らの評価が欲しくて演奏をしているわけではないけれど、やはり認めてもらいたい。お互いを認め合って技術を向上させていければいいのになと思う。
ディーノの胸の内は、複雑だった。
ステージに立った興奮と高評価を得られた嬉しさ。反面、音楽家同士は仲間でなく敵と認識された悲しみ。全ての人がそうではないと思いたいが、今はまだそう考えられる心の余裕はなかった。
新年を迎えたこの日の空模様は、雪は止み、太陽がそろそろと顔を覗かせ始めている。快晴とはいかないまでも、穏やかな一日になりそうな気配があった。
寝台で横になったまま、ディーノは空を見つめていた。
隣室の師匠の鼾と、隣のピエールの寝息を背景に聴きながら。
部屋に戻ったのは昨夜、というより、今朝方のことだ。宴は日が変わるまでお開きにならず、ようやく解放されたのは数時間前のことだ。
早々に横になって、二人はすぐに寝ついたようだが、ディーノは一睡もできず、ずっと空を見ていた。
空を見ながら、頭では別のことを考えていた。
ついに果たした社交界デビュー。単独ではなかったが、一歩を踏み出せたことにディーノは興奮した。評価も良かった。いや、良かったなんて冷静に語れるものではなかった。
演奏が終わった途端、地を揺るがすほどの大きな拍手と歓声に包まれた。
数人が立ち上がると他の者も立ち上がり、波のように広がっていく。ステージに近いところからその現象は起こり、ステージ上からの眺めはディーノに驚きと、感動を与えた。
平然と頭を下げる師匠に倣い、ディーノも四方にお辞儀を繰り返しながら、ホール全体を見渡した。
満足そうな表情で、華美な服に身を包む貴族たちからの熱い賞賛。
師匠の演奏が貴族たちの心を惹きこみ、師弟の演奏でさらなる評価を得た。師匠が受けた賞賛よりも大きいものを。
貴族たちの期待に大きく応えられたのだと、弾き終えた直後にディーノは実感した。
演奏中は周囲のことなど気に掛けていなかった。緊張のあまり余裕がなかったのではなく、演奏にのめりこんでしまうという、悪い癖がでてしまったのだ。そのことに気づいたのは寝台に横になってから。師匠の指摘を思い出し、反省する冷静さを取り戻してからだった。
『聴く者の動向に左右されない演奏ができるのは長所であると同時に、短所でもある。人々が求めている演奏ができなければ、演奏家として高い評価は得られない』
師匠はディーノの癖を即座に見抜いた。リュートが好きで、好き過ぎた結果、自らの演奏に陶酔してしまうという欠点。ある程度の陶酔は、聴衆を惹きこむためには必要である。例えポーズであっても。
しかし行き過ぎは逆に出ることもある。独り善がりの演奏には、引いてしまう聴衆もいるだろう。
『プロの演奏家とは聴衆を満足させてこそプロフェッショナルと呼べるのであって、演奏家の満足だけで終わってしまってはただの趣味だ。しかしポーズはいずれ聴衆に見抜かれる。自分の演奏世界に引き込む才能を持っているのなら、それを活かしながら、第三者的な目線で自身の演奏を冷静に判断するようになりなさい』とも師匠は付け加えた。
それ以来、気をつけて周囲も見るように練習を重ねてきたのだが、昨夜はできなかった。師匠の音すらきちんと聴いていたかどうか定かでない。おそらく師匠がディーノの演奏に合わせてくれたのだろう。そのお陰で得た評価なのだと、興奮の傍ら、冷静に考えた。
眠れないのは興奮のせいなのか、他のことも思い出して考えてしまったからなのか。
楽屋での出演者たちの態度や視線が気になった。
ステージを降りてから貴族たちに取り囲まれ、口々に賞賛の言葉をかけられた。師匠とも引き離され、どうしたらよいのかわからず困惑しつつも、嬉しかった。ピエールの姿を見つけて、なんとか出口に辿りついたものの、貴族たちは次々やってくる。
楽屋に戻ってようやく解放された。興奮からやや落ち着いてみると、今度は他の出演者たちの視線が気になった。楽屋までリュートの音が届いていたのかどうかはディーノにはわからないが、その音量の小ささゆえ、まともに届いてはいなかっただろうと思った。
ヴァイオリンやチェンバロの弟子たちは、ディーノをちらちらと見、こそこそ話している。なんとなく尻の納まりが悪かったが、他に行くところはなく、宴が終わってロドヴィーゴが戻るまで楽屋にいるしかなかった。
彼らの視線からは良い感情を読み取ることはできなかった。貴族たちの眸からは宝物でも見つけたかのような輝きを感じたが、楽屋の彼らの視線はディーノに宝物を横取りされておもしろくない、といった負の感情ばかりだった。
それはいわゆる『嫉妬』という感情だった。
師匠同士の演奏だけであればここまで対立されることはなかっただろう。しかし見た目にも若くて冴えない風貌のディーノが、自分たちの師匠よりもはるかに良い評価を得た。誰かが演奏風景を見て、悪い噂を立てたのだろうか。それとも彼らにはディーノの演奏が伝わらなかったのだろうか。
チェンバロの弟子の彼も、ディーノと目を合わせようとしなかった。ちらりと視線を送ってくるものの、顔を向けると気まずそうに逸らしてしまう。妙な雰囲気のせいで、せっかくの興奮に水を差されたが、ピエールに呼ばれてその場を離れることができたときには安堵した。
人間は矛盾した生き物だ。助け合い庇い労わりながらも、一方で憎悪や嫉妬を向けることがある。
これまでの体験から人の黒いところは嫌というほど見てきた。わかっていたつもりでいた。けれど、ああいう形でぶつけられると、戸惑い、落ち込む。同じ音楽家なのに、敵愾心を剥き出しにして、人が得た評価を妬む。
ライバル心を燃やされるのなら嬉しいことだ。自分の演奏が認められたということなのだから。しかし嫉妬は認めてもらえていない。とてもつらかった。彼らの評価が欲しくて演奏をしているわけではないけれど、やはり認めてもらいたい。お互いを認め合って技術を向上させていければいいのになと思う。
ディーノの胸の内は、複雑だった。
ステージに立った興奮と高評価を得られた嬉しさ。反面、音楽家同士は仲間でなく敵と認識された悲しみ。全ての人がそうではないと思いたいが、今はまだそう考えられる心の余裕はなかった。
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