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第二部
3 貴族の邸宅
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空に届きそうだ。
ディーノは首をうーんと傾げて、頭上の建物を仰ぎ見た。
地上四階建ての建築物が並んでいる。上下の窓の間隔が長く、一階一階の天井が高い建物であることが伺えた。外装は住む貴族の趣味なのか、落ち着いたものやオブジェがついた華美なもの、一軒一軒に個性があり、ずっと見ていても飽きなかった。
これらのほとんどが別宅であるというから驚きだ。分け与えられている領地に本宅があり、貴族たちは行き来をしているらしい。しかし年の三分の二はこちらで過ごすらしく、これではどちらが本宅なのかわからない。
貴族の館が立ち並ぶこの通りのはるか先に王宮があり、この国を統治している王族が住む館や、貴族たちが仕事をする建物がある。師匠ですら王宮に立ち入ったことはないらしい。
王宮で演奏をすることが許される音楽家は、王宮お抱えの音楽家以外にはまずいない。音楽家として身を立てることができるものが一握りだとすると、そこから更に絞られ、ほんの少数である。
王宮楽士になれるために必要なものは、努力ではなく、才能と幸運と、なにより縁が重要であった。つまりは王族に推薦してもらうコネをもつ人物に演奏を聴いてもらえる幸運と、そして才能があればというわけである。どの国においてもそれは変わらない。
より高位の貴族の前で演奏をする機会があればあるほど推薦される確立は高くなるが、師匠は王宮楽士には興味がなかった。彼いわく、王族の前で決められた演奏をするより、自由に演奏をするスタイルが自分にはあっているからだとか。
宮廷楽士になれると、名誉も高給も手に入る。
アイゼンシュタット公爵からの支援のお陰で暮らしには困っていないからこそ、言える余裕なのだろう。ディーノがこの二年の間で出会った音楽家たちの最終目的は、王宮楽士という者がほとんどだった。
王宮に近づくにつれて、貴族の館はより豪華で敷地面積が広くなっていく。
通りに面してすぐに玄関と思われる戸口があったのが、次第に立派な門扉と庭の向こうに玄関がある建物が建ち始めた。より高位の貴族が住むエリアに入ったのだろう。
高い塀沿いにしばらく進んでから、馬車が止まった。
金属製の柵の門扉前には門番と思われる男性が二人、直立の姿勢で立っていた。街にいた制服警官のように、緊張した空気を放っている。
ピエールが馬車を降りた。門番のうちの一人に声をかけるのかとディーノは思ったが、違った。門扉の向こう側に、中年の男が待っていた。
ピエールから渡された封書を受け取り、ひっくり返して裏を確認し、中を開けて手紙を読んでいる。
アイゼンシュタット公爵本人からの手紙であることが確認できたのか、あるいは宴の招待状でも入っていたのか。男は門番に合図を送った。門扉がゆっくりと内側に開かれる。
ピエールは封書を受け取り、馬車には戻らずそのまま邸内に歩を進めた。マウロが軽く馬に鞭を打つ。
その頃には眠っていた師匠も、さすがに目を覚ましていた。眠たそうに瞼をうっすらと開けて、天幕を少しだけ開けて外を見ている。
広大な庭園は、季節がら草木は枯れてしまっているが、花々が芽吹くころになるときっと見事に彩り、目を楽しませるのだろう。
切り揃えられた低木の間を馬車は進み、ほどなくして玄関前に横付けされた。
ピエールが玄関前にいる人物と話をしている。
ディーノが御者台から大きな屋敷を見上げていると、師匠が馬車を降りたことに気づいた。慌てて後に続く。
地に降り立つと、屋敷の大きさに圧倒される。
玄関の扉は背の高いディーノでも見上げるほど。いかにも重たそうな木の扉には花が彫刻されている。
屋敷の高さもそうだが、横の広さもかなりのものだ。端から端まで歩くと何十歩いや何百歩になるかな、とディーノは眺め回して思ったが、数えるのも嫌になるほどの長さになることが想像でき、考えるのを止めた。どうせ中に入ればもっと圧倒されることがあるだろう。屋敷の広さに驚かされること以上のものが。
マウロは別の者に案内されて馬車を動かし、残された三人が玄関前で待っていると、内側から両の扉が開いた。軋む音などまったくせず、静かに、ゆっくりと、重々しく。
隙間が徐々に広がっていき、昼の陽よりも明るい、輝く景色が眸に写る。
一面真っ白な石造りの床や壁。
対面には大きな階段。玄関から階段の上まで赤い絨毯が真っ直ぐに伸びている。
階段の下にはこれも石造りの台が左右にあり、上には大きな花瓶が置かれ、豪華な花が活けられている。
貴族の館の壁に何枚もありがちな、有名画家が画いたような絵は一枚だけ。階段を上がったところ、二階の壁に掛けられているが、キャンバス何枚分? という大きさだ。神のような人物の周りに天使が画かれている。全体的にぼかしたような描き方はとても幻想的だ。
階段下に年長の男が立っていた。黒のスーツをすっと着こなし、顔には品の良い笑みが浮かべられている。形ばかりの笑みではなく、心から迎え入れてくれた。そう受け取れる感じの良い笑顔だった。
「お待ちしておりました。アニエッリ様。長旅でお疲れのことと存じます。お荷物はこちらが責任を持ちまして、お部屋に運んでおきます」
「ありがとうございます。滞在させていただく間、世話をかけます」
頭を下げたと師匠とピエールに合わせて、絵画を見つめていたディーノも慌てて彼らに倣う。
「執事長のベルジュと申します。何かございましたら、遠慮なくお申し付けください。先にお部屋へご案内致しましょうか?」
「ご主人様がご在宅でいらっしゃいましたら、まずはご挨拶だけでもさせて頂きたく」
「承知致しました。では、こちらへどうぞ」
ピエールの言葉に執事長が背を向けて歩きだした。三人が後に続く。
ディーノは首をうーんと傾げて、頭上の建物を仰ぎ見た。
地上四階建ての建築物が並んでいる。上下の窓の間隔が長く、一階一階の天井が高い建物であることが伺えた。外装は住む貴族の趣味なのか、落ち着いたものやオブジェがついた華美なもの、一軒一軒に個性があり、ずっと見ていても飽きなかった。
これらのほとんどが別宅であるというから驚きだ。分け与えられている領地に本宅があり、貴族たちは行き来をしているらしい。しかし年の三分の二はこちらで過ごすらしく、これではどちらが本宅なのかわからない。
貴族の館が立ち並ぶこの通りのはるか先に王宮があり、この国を統治している王族が住む館や、貴族たちが仕事をする建物がある。師匠ですら王宮に立ち入ったことはないらしい。
王宮で演奏をすることが許される音楽家は、王宮お抱えの音楽家以外にはまずいない。音楽家として身を立てることができるものが一握りだとすると、そこから更に絞られ、ほんの少数である。
王宮楽士になれるために必要なものは、努力ではなく、才能と幸運と、なにより縁が重要であった。つまりは王族に推薦してもらうコネをもつ人物に演奏を聴いてもらえる幸運と、そして才能があればというわけである。どの国においてもそれは変わらない。
より高位の貴族の前で演奏をする機会があればあるほど推薦される確立は高くなるが、師匠は王宮楽士には興味がなかった。彼いわく、王族の前で決められた演奏をするより、自由に演奏をするスタイルが自分にはあっているからだとか。
宮廷楽士になれると、名誉も高給も手に入る。
アイゼンシュタット公爵からの支援のお陰で暮らしには困っていないからこそ、言える余裕なのだろう。ディーノがこの二年の間で出会った音楽家たちの最終目的は、王宮楽士という者がほとんどだった。
王宮に近づくにつれて、貴族の館はより豪華で敷地面積が広くなっていく。
通りに面してすぐに玄関と思われる戸口があったのが、次第に立派な門扉と庭の向こうに玄関がある建物が建ち始めた。より高位の貴族が住むエリアに入ったのだろう。
高い塀沿いにしばらく進んでから、馬車が止まった。
金属製の柵の門扉前には門番と思われる男性が二人、直立の姿勢で立っていた。街にいた制服警官のように、緊張した空気を放っている。
ピエールが馬車を降りた。門番のうちの一人に声をかけるのかとディーノは思ったが、違った。門扉の向こう側に、中年の男が待っていた。
ピエールから渡された封書を受け取り、ひっくり返して裏を確認し、中を開けて手紙を読んでいる。
アイゼンシュタット公爵本人からの手紙であることが確認できたのか、あるいは宴の招待状でも入っていたのか。男は門番に合図を送った。門扉がゆっくりと内側に開かれる。
ピエールは封書を受け取り、馬車には戻らずそのまま邸内に歩を進めた。マウロが軽く馬に鞭を打つ。
その頃には眠っていた師匠も、さすがに目を覚ましていた。眠たそうに瞼をうっすらと開けて、天幕を少しだけ開けて外を見ている。
広大な庭園は、季節がら草木は枯れてしまっているが、花々が芽吹くころになるときっと見事に彩り、目を楽しませるのだろう。
切り揃えられた低木の間を馬車は進み、ほどなくして玄関前に横付けされた。
ピエールが玄関前にいる人物と話をしている。
ディーノが御者台から大きな屋敷を見上げていると、師匠が馬車を降りたことに気づいた。慌てて後に続く。
地に降り立つと、屋敷の大きさに圧倒される。
玄関の扉は背の高いディーノでも見上げるほど。いかにも重たそうな木の扉には花が彫刻されている。
屋敷の高さもそうだが、横の広さもかなりのものだ。端から端まで歩くと何十歩いや何百歩になるかな、とディーノは眺め回して思ったが、数えるのも嫌になるほどの長さになることが想像でき、考えるのを止めた。どうせ中に入ればもっと圧倒されることがあるだろう。屋敷の広さに驚かされること以上のものが。
マウロは別の者に案内されて馬車を動かし、残された三人が玄関前で待っていると、内側から両の扉が開いた。軋む音などまったくせず、静かに、ゆっくりと、重々しく。
隙間が徐々に広がっていき、昼の陽よりも明るい、輝く景色が眸に写る。
一面真っ白な石造りの床や壁。
対面には大きな階段。玄関から階段の上まで赤い絨毯が真っ直ぐに伸びている。
階段の下にはこれも石造りの台が左右にあり、上には大きな花瓶が置かれ、豪華な花が活けられている。
貴族の館の壁に何枚もありがちな、有名画家が画いたような絵は一枚だけ。階段を上がったところ、二階の壁に掛けられているが、キャンバス何枚分? という大きさだ。神のような人物の周りに天使が画かれている。全体的にぼかしたような描き方はとても幻想的だ。
階段下に年長の男が立っていた。黒のスーツをすっと着こなし、顔には品の良い笑みが浮かべられている。形ばかりの笑みではなく、心から迎え入れてくれた。そう受け取れる感じの良い笑顔だった。
「お待ちしておりました。アニエッリ様。長旅でお疲れのことと存じます。お荷物はこちらが責任を持ちまして、お部屋に運んでおきます」
「ありがとうございます。滞在させていただく間、世話をかけます」
頭を下げたと師匠とピエールに合わせて、絵画を見つめていたディーノも慌てて彼らに倣う。
「執事長のベルジュと申します。何かございましたら、遠慮なくお申し付けください。先にお部屋へご案内致しましょうか?」
「ご主人様がご在宅でいらっしゃいましたら、まずはご挨拶だけでもさせて頂きたく」
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