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四章 前を向いて

⒒付添人

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「今日は俺が行く」
 亜澄の事務所に向かう日の朝、出社した芙季子に開口一番そう言ったのは、新田デスクだった。

「わたしは留守番ですか」
「そんなわけあるか。外村と俺が交代するって意味だ」

「外村くんは?」

「俺が行く予定だった取材に行ってもらう。例の記事を出すつもりはないが、こちらとしても、記事を掲載しないわけにはいかない。責任者がいれば圧をかけられるだろう」

「デスクはプレッシャー係なんですね。心強いです」
「外村みたいな腕っぷしはないが、顔だけで威圧できるだろう」

 新田デスクの顔を見つめて頷いた芙季子は、「行くぞ」とデスクが背を向けた隙に、小さくぷっと笑った。

 新田の顔は一見すると凄みはある。
 眉間に刻み込まれた皺と、彫の深い目元には影が差し、世捨て人のような無精ひげは、あまり近づきたくない雰囲気を醸している。
 が、よくよく見るとつぶらだが長いまつげをもつ目は、馬のような優しさをいつも湛えていた。

 時間ぴったりに結城エンターテインメントのドアを開けると、前にも対応してくれた楠元が待っていた。

 案内されたのは、前回よりも広い会議室だった。左右で10人分のイスが並んでいる。そんなにたくさん人間が来るのだろうかと少し構えてしまう。

 端の席に並んで腰かけ、楠元が出してくれたコーヒーに口をつけていると、扉が開いた。
 楠元に案内されて入ってきたパンツスーツの女性を見て、コーヒーを拭き出しそうになった。
 
「何をやってるんだ。大村」
 たしなめるような口調の新田の声は、耳には届くが、頭には入っていない。
 口元をハンカチで拭いながら、顔を見上げる。

「どうして……ここに?」
「だましたみたいですまないな。芙季ちゃん」
 美智琉が気まずそうな顔をして立っていた。

「加害少女の付添人、小坂美智琉です」
 渡された名刺を受け取る。
 立ち上がった新田が名刺交換しているのを見て、慌てて立ち上がり、芙季子も名刺を渡す。

「うちの大村と顔見知りですか」
 芙季子と美智琉の関係性に、何か気づいたデスクが訊ねる。

「高校の後輩です。つい先日久しぶりに会ったところで。今回の付添人であることを話さなかったもので」
「驚いています。でも、その可能性に気づいていなかった自分が情けないです」

 美智琉が少年犯罪を専門にしていることを聞いていたのに、もしかしてと思うこともしていなかった。

「私を信じてくれたんだろう。君を利用した形になってしまったな。今回の件で会う事はないと思っていたんだ。詳しい話は後でしよう。社長たちが来るから」
 そう言うと、美智琉は向かいに座った。

「お待たせしました」
 マネジメント統括部長平井信二とともに現れたのは、50代頃の男性が二人。社長と顧問弁護士だと平井に紹介される。

 芙季子が交渉に訪れた後、事務所は亜矢と話をした。
 亜澄が遺したという手紙の確認と、今後の話し合いをし、昨日、付添人を交えて示談や、公表をするのか等の話し合いをした。という今日に至る経緯を平井が説明してくれる。

 月曜日、夜に顧問弁護士と付添人が一緒に会見を行う。
 週刊成倫は翌日独占スクープの記事を掲載する。

 2時間ほどで打ち合せが終わった。

 美智琉と揃って事務所を辞去した芙季子は、デスクには先に帰社してくれと頼み、美智琉を捕まえて1階のカフェに入った。
 席につく前に店員にカフェオレを二つ頼み、座るなり口を開いた。

「どういうつもりですか。わたしを利用したんですか」
 声のトーンは抑えつつも、口調が尖ってしまうのは抑えられない。

「本当にすまなかった。利用するつもりはなかったんだ。付添人の依頼が来て、本人に会った。泣きじゃくり、ごめんなさいばかりを口にする。謝罪と反省をしていることは十分に感じられたが、動機に関しては口をつぐむんだ。警察が発表した動機に違和感を覚えた。芙季ちゃんが書いた記事を読んで納得した。私も本人から負の感情を感じなかった。二人の関係を調べようと思って、担任だった範ちゃんに連絡を取った。あの場に芙季ちゃんが来る事は私も知らなかった」

 美智琉が話す言い訳らしきものを聞きながら、運ばれてきたカフェオレを一口飲む。
 まろやかなミルクが、胸に刺さっていたトゲを抜いてくれた。


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