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一章 女子高生殺傷殺人未遂事件

4. 山岸由依の自宅周辺

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 犬の鳴き声が聴こえてくる以外は、静かで落ち着きのある一帯だった。
 どの家も都内の建売住宅が三軒ほど入りそうなぐらい敷地が広い。
 山岸邸のように丁寧に庭を造っている家もあれば、廃墟かと思うほど伸び放題になっている家もあり、砂利で埋め尽くして草木どころか雑草一つない庭を保っている家もある。

 佇む家や町内の雰囲気から、一帯の住人はおそらく年配者が多いだろう。情報通の住人に出会えるといいが。
 最近は都内でなくても人同士の接点が減っている。山岸家の高校生の状況を知っている人はいるだろうか。

 どの家から当たっていこうかと伺っていると、広い敷地を利用した二世帯住宅の真っ白い壁が視界に飛び込んできた。三世帯が一緒に住んでいる可能性があった。山岸由依と同年代の子供がいれば、情報を得られるかもしれない。

 芙季子はピンときて、レコーダーをONにしてからインターホンを鳴らした。
「どちら様?」
 いきなり目前の扉が開いて、芙季子は驚いた。

 茶色のトイプードルを小脇に抱えた60歳前後のおばさまが出てきた。犬の散歩にでも行こうとしていたのか、犬にはリードが繋がっている。

「あの、恐れ入ります、山岸造園さんについてお伺いたいしたくて」
 芙季子は週刊誌の記者とはあえて名乗らなかった。

「山岸さん? もうお辞めになってますよ」
「どうしてかご存じですか? お庭が素晴らしいなと思って」

「お庭すごいでしょう。正男さんのお父さんの代から造園されてて、あのお庭は宣伝代わりによく人に見せてたのよ。去年、正男さんが脚立から足を滑らして腕を怪我なさってねえ」
 情報通でお喋りな住人に当たり、内心でガッツポーズを取る。

「後継者はおられないのですか。子供さんとかお孫さんは?」

「沙都子ちゃんっていう子供がいるんだけど、女の子だから。旦那さんがホームセンターに勤めてて、弟子入りして職人になってもらったらいいのに、なんて妙子さんと話してたんだけどねえ。何年か前に出戻ってきてね。性格の不一致とか言ってたらしいけど、実際のところはどうなのかしらねえ。孫も女の子一人で」

「男の子だったら後継ぎにというお話があったんですか」

「由依ちゃんが男の子だったとしても、させてないでしょうねえ。不器用だから、怖くてハサミなんて持たせられないって、妙子さん言ってたわねえ。同年代の子と比べると成長がのんびりしてるみたいで。小学校に入っても読み書きができなくて、担任の先生にお家での学習をしっかりしてくださいって言われていたそうよ。沙都子ちゃんはお仕事に出ていたから、妙子さんがお勉強を見ていて。女の子なんてませててお喋りな子が多いのに、うちの孫は喋らない、って妙子さん嘆いていたわねえ。だけど妙子さんよく面倒を見てらしたわよ。子育てで悩むことはたくさんあるけど、可愛いって」

「子育ては妙子さんに任せきりなんですか」

「平日はお仕事があるからねえ。でも土日は一緒に散歩したり遊んだりしてる姿をよく見かけたわよ。由依ちゃんはいつもにこにこしていてとても可愛いの。挨拶は欠かさないし。動物好きみたいだから、うちの子もよく撫でてもらったの。子供だと力の加減ができないから、強く撫でちゃって犬が怖がることもあったんだけど、由依ちゃんは優しい手つきでね、壊れ物を扱うように優しく撫でてくれたのよ。だからこの子も大好きで」

 抱えているプードルの頭を撫でる。犬はくりくりの瞳で芙季子を見つめてくる。吠えられると取材は難しいから、人慣れしている犬で助かった。

「優しいお子さんなんですね」

「そうねえ。性格は沙都子ちゃんより、妙子さんに似てるかしら。穏やかでおっとりしていて。ぼんやりしているところは心配かもしれないけど、まだ高校生だしね」

「沙都子さんは穏やかな方ではないんですか」

「子供の頃は良い子だったのよ。近所の人への挨拶は率先するし、困っていたら手を貸してくれるような優しい子供だったわねえ。お礼を言って褒めると嬉しそうな顔をするのよ。でも小学校の高学年の頃から、だんだんきつくなっていったのよ。顔を合わせたらあからさまに目を背けるようになって、早い反抗期ねなんて話してたの。あ、そうそう、小学校の飼育係をしていた子に、臭いから近寄らないでって言って泣かせたこともあったわ。どんな大人になるのかしら、なんて勝手に心配してたんだけど。由依ちゃんが生まれて人が変わったようになって。やっぱり自分の子供は可愛いのね」

「外で叱っているところを見たことはないですか」
「ないない。むしろ逆ね。由依ちゃんが可愛くて仕方がないみたい」

「仲良し親子って感じですか」
「それは少し違うような」

 おばさまは小首を傾げ、考える仕草をする。犬を撫でながら、ああと声を上げた。
「愛玩って感じかしら」

 おばさまの答えに芙季子はぎょっとする。ペットを可愛がるときに使う言葉ではないか。

「例えが悪くて、ごめんなさいねえ。学がないもんだから」
 おばさまは屈託なく笑った。

「愛情の注ぎ方が、ペットに向けているようってことですね」
「そうそう。凄いのよ。頭どころか全身可愛い可愛い、よしよしって。母親だけど孫を可愛がる感じって言ったほうがいいわね」

「たっぷり愛されて育ってらっしゃるんですね。正男さんや妙子さんもそうなんですか」

「沙都子ちゃんほどではないわねえ。少なくても外では。正男さんは職人さん相手には厳しかったけど、子供の頃の沙都子ちゃんを叱ってるところは見た事がなかったから、由依ちゃんに対しても同じじゃないかしらねえ」

「沙都子さんの元旦那さんは、この辺りの方なんですか」
「違うけど、近いみたいよ。沙都子ちゃんと高校生の頃からお付き合いしてたみたい」

「よく帰省されていたんですか」
「結婚してすぐの頃はお正月だけ来てらしたわね。車が停まっていたからわかるのよ」

「由依さんと遊んだり散歩したりされていたんですか」
「そういえば、旦那さんと由依ちゃんが一緒にいるところを見かけたことがないわね」
 おばさまは記憶を探るように、上を向く。

「離婚によって由依さんが不安定になるようなことは、なかったのでしょうか」
「いつも笑顔だから、ないように見えたけど。本当のところはわからないわよね。表に出さないだけで、内に不安を秘めていたかもしれないしねえ」

「何か問題行動があったことはなかったですか。例えば町内や学校で」
「町内ではなかったと思うわ。学校ではわからないけれど。うちの孫と10歳も離れているから」

「そうなんですね」
「あら、やだ。お庭の話からずいぶん逸れちゃったわね。つまらない話に付き合わせちゃってごめんなさいねえ」

「いいえ」
「お庭のこと、私から口添えしてさしあげましょうか?」

「それには及びません。残念ですが、他の方を当たります」
「そう? 正男さんなら素敵なお庭を造ってくださるでしょうに。残念ねえ」

「お時間を取らせてしまってすみませんでした」
「いいえ。それじゃ失礼しますね。モカちゃん、お散歩行きましょうねえ」

 御主人に話しかけられて嬉しいのか、プードルが甘えた声を上げて、短い尻尾を振った。

 芙季子は頭を下げて、歩き出すおばさまを見送った。
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