18 / 46
三章 元カレ来たりて父、動揺
4.リイチの才能
しおりを挟む
リイチは毎朝5時に起きて、男性風呂の掃除を頑張っている。1時間30分ほどの仕事なので、宿泊代にすると4日働いて帳消しの値段に設定にした。けれど、もう一週間働いている。
いったいいつになったら帰るのか。
本業も副業も大丈夫なのか訊ねると、しばらく休みだからいう返事。
春風としても、リイチに手伝ってもらうことで、助かっていた。
郡治と仲居たちを少しでも長く休ませてあげたい。
仲居業は、かなりハードな仕事の部類に入る。和装、身に着いた行儀作法からそうは見えないだろうけど、肉体労働だ。
立ったり座ったり、布団やお膳などの重い物の持ち運び、風呂掃除など、肉体を酷使しているので、着物の下にサポーターを巻いている人もいるほど。
それに加え、お客様への配慮が必要なため、メンタルも疲弊する。お客様の表情や仕草を読み、必要なものを手配。幅広い年代のお客様との会話、観光スポットや歴史文化などの勉強も必須。
観光地ではなくとも、グルメスポットを質問されれば、希望や好物・苦手な物をお聞きして、オススメのお店を考える。そのためには近辺のお店を把握しておかなければいけない。
お休みは母の頃から週二日制だが、人が足りないときなどは、お願いして出てもらう。
事務の榊とみさえにも、本来の業務に加えて受付をお願いすることがある。
従業員たちに甘えているなと思っているが、春風が丸一日の休みを取ることが滅多にないのを全員が知っているので、快くなのかはわからないけれど、引き受けてくれる。
今は助かっているけれど、いつまでもそれに甘えていてはダメだと、わかってはいた。
そんなとき、番頭の郡治から、「リイチさんを、育ててみてはどうですか?」と提案された。
「リイチには、本業があるんです。ずっとここで働いてくれるわけではありません。なので、彼をあてにしないでください」
「本業がおありで。そうですか。残念です。接客に向いているのではないかと思ったので」
「向いているとあたしも思います。ずっといてくれるとありがたいとは思うんですが」
「実は――」
深刻な顔で、郡治がなにか切りだそうとしている。良い話ではないのが直感でわかったけれど、聞かない訳にはいかない。
「そろそろ年なので引退を考えているんです」
「ああ……」
やはり。そうだった。
隠せなくて、落胆の吐息がこぼれてしまう。
「わたしは、もう65歳です。先代の料理に惚れ込んで、気がつけば二十八年お世話になっています。旅立たれる際に、社長を支えてやってほしいと頼まれた時には、涙がこぼれました。こんなわたしを頼りにしてくださっていると、嬉しくて」
「父もあたしも、郡治さんにとても感謝しているし、頼りにしています。あたしにとっては、身内のような感覚です」
「ありがとうございます。春風さんは小さい頃から先代女将の近くで、お仕事の真似をしておられました。頼もしい後継ぎだと思っていました。外で就職されたときには、残念な心地でおりましたが、こうして戻ってきてくださいました。頑張っておられる春風さんの支えになりたい一心で、リニューアル後もお手伝させていただきましたが、年をとるというのは、嫌になりますな。自分の体が自分のものではないような、思い通りに動かなくて戸惑うことが増えてきました。騙しだましやってきましたが、そろそろ自分を騙すのも難しくなってきました。リイチさんのような、若くて気力と体力に溢れた体が羨ましいです」
「今すぐ、というわけではないですよね」
「そうですね。お約束はできませんが、体さえ動けば半年なり一年なり。気力はありますから」
「父と相談をしておきます。もう少し頼りにさせてください。ご無理のない範囲でお願いします」
「情けない体たらくで、すみません」
「とんでもありません。頑張ってくださっているのは、みんなわかっていますから」
卑下する必要はまったくないと、春風は力いっぱい否定した。
その日の夜、春風はリイチを自室に呼び出した。単刀直入に、訊ねる。
「ねえ、リイチ。仕事は本当に大丈夫なの? 休みはいつまでなのよ」
「一カ月くらい平気」
「ほんとに?」
「僕らの仕事って変則的だから。長く休みが取れないこともあるし、逆もあるから。だから働かせてもらってありがたいってかんじ」
「それならさ、お風呂掃除だけじゃなくて、接客もやってみない? 郡治さんが、リイチに向いてると思うって」
「いいの? 僕、人が好きだから、嬉しいよ」
リイチからあっさりと色よい返事がもらえて、休暇が終わるまで風呂掃除以外の仕事もしてもらうことになった。
後にこの休暇は嘘だと判明するのだけれど、リイチの言うことを信じた春風に嘘を見抜くことはできなかった。
「いらっしゃいませ。お荷物お持ちいたします」
「あら、かわいい人が入ったのね」
「リイチといいます。よろしくお願いいたします」
人を惹きつける笑顔でお荷物をお預かりして、リイチは徳永様をご案内する。
童顔にフレッシュさが加わるリイチの笑顔は、好感度を上げて、警戒心を薄れさせる。
どの年代にも気に入られるが、特に女性のお客様からの人気が高かった。さすが地下とはいえ現役のアイドル。
春風とリイチが出会ったバレンタインイベントで、リイチはダントツの売上トップだったことを思い出した。
「ねえ、一緒に写真いいですか?」
「いいですよ。あ、でも、SNSに上げるのは、控えてもらっていいですか」
「えー。どうして?」
「恥ずかしいから、お願いします」
「わかった」
若い女性のお客様から写真をせがまれ、きゅんポーズやハートマークを作っている。
さすがに撮られ慣れているのがよくわかる。ポーズが自然だった。
写真ぐらいならサービスの一環としてOKかなと、咎めることなく様子を見守るだけにした。春風たちにも記念として求められることがあるから。
いったいいつになったら帰るのか。
本業も副業も大丈夫なのか訊ねると、しばらく休みだからいう返事。
春風としても、リイチに手伝ってもらうことで、助かっていた。
郡治と仲居たちを少しでも長く休ませてあげたい。
仲居業は、かなりハードな仕事の部類に入る。和装、身に着いた行儀作法からそうは見えないだろうけど、肉体労働だ。
立ったり座ったり、布団やお膳などの重い物の持ち運び、風呂掃除など、肉体を酷使しているので、着物の下にサポーターを巻いている人もいるほど。
それに加え、お客様への配慮が必要なため、メンタルも疲弊する。お客様の表情や仕草を読み、必要なものを手配。幅広い年代のお客様との会話、観光スポットや歴史文化などの勉強も必須。
観光地ではなくとも、グルメスポットを質問されれば、希望や好物・苦手な物をお聞きして、オススメのお店を考える。そのためには近辺のお店を把握しておかなければいけない。
お休みは母の頃から週二日制だが、人が足りないときなどは、お願いして出てもらう。
事務の榊とみさえにも、本来の業務に加えて受付をお願いすることがある。
従業員たちに甘えているなと思っているが、春風が丸一日の休みを取ることが滅多にないのを全員が知っているので、快くなのかはわからないけれど、引き受けてくれる。
今は助かっているけれど、いつまでもそれに甘えていてはダメだと、わかってはいた。
そんなとき、番頭の郡治から、「リイチさんを、育ててみてはどうですか?」と提案された。
「リイチには、本業があるんです。ずっとここで働いてくれるわけではありません。なので、彼をあてにしないでください」
「本業がおありで。そうですか。残念です。接客に向いているのではないかと思ったので」
「向いているとあたしも思います。ずっといてくれるとありがたいとは思うんですが」
「実は――」
深刻な顔で、郡治がなにか切りだそうとしている。良い話ではないのが直感でわかったけれど、聞かない訳にはいかない。
「そろそろ年なので引退を考えているんです」
「ああ……」
やはり。そうだった。
隠せなくて、落胆の吐息がこぼれてしまう。
「わたしは、もう65歳です。先代の料理に惚れ込んで、気がつけば二十八年お世話になっています。旅立たれる際に、社長を支えてやってほしいと頼まれた時には、涙がこぼれました。こんなわたしを頼りにしてくださっていると、嬉しくて」
「父もあたしも、郡治さんにとても感謝しているし、頼りにしています。あたしにとっては、身内のような感覚です」
「ありがとうございます。春風さんは小さい頃から先代女将の近くで、お仕事の真似をしておられました。頼もしい後継ぎだと思っていました。外で就職されたときには、残念な心地でおりましたが、こうして戻ってきてくださいました。頑張っておられる春風さんの支えになりたい一心で、リニューアル後もお手伝させていただきましたが、年をとるというのは、嫌になりますな。自分の体が自分のものではないような、思い通りに動かなくて戸惑うことが増えてきました。騙しだましやってきましたが、そろそろ自分を騙すのも難しくなってきました。リイチさんのような、若くて気力と体力に溢れた体が羨ましいです」
「今すぐ、というわけではないですよね」
「そうですね。お約束はできませんが、体さえ動けば半年なり一年なり。気力はありますから」
「父と相談をしておきます。もう少し頼りにさせてください。ご無理のない範囲でお願いします」
「情けない体たらくで、すみません」
「とんでもありません。頑張ってくださっているのは、みんなわかっていますから」
卑下する必要はまったくないと、春風は力いっぱい否定した。
その日の夜、春風はリイチを自室に呼び出した。単刀直入に、訊ねる。
「ねえ、リイチ。仕事は本当に大丈夫なの? 休みはいつまでなのよ」
「一カ月くらい平気」
「ほんとに?」
「僕らの仕事って変則的だから。長く休みが取れないこともあるし、逆もあるから。だから働かせてもらってありがたいってかんじ」
「それならさ、お風呂掃除だけじゃなくて、接客もやってみない? 郡治さんが、リイチに向いてると思うって」
「いいの? 僕、人が好きだから、嬉しいよ」
リイチからあっさりと色よい返事がもらえて、休暇が終わるまで風呂掃除以外の仕事もしてもらうことになった。
後にこの休暇は嘘だと判明するのだけれど、リイチの言うことを信じた春風に嘘を見抜くことはできなかった。
「いらっしゃいませ。お荷物お持ちいたします」
「あら、かわいい人が入ったのね」
「リイチといいます。よろしくお願いいたします」
人を惹きつける笑顔でお荷物をお預かりして、リイチは徳永様をご案内する。
童顔にフレッシュさが加わるリイチの笑顔は、好感度を上げて、警戒心を薄れさせる。
どの年代にも気に入られるが、特に女性のお客様からの人気が高かった。さすが地下とはいえ現役のアイドル。
春風とリイチが出会ったバレンタインイベントで、リイチはダントツの売上トップだったことを思い出した。
「ねえ、一緒に写真いいですか?」
「いいですよ。あ、でも、SNSに上げるのは、控えてもらっていいですか」
「えー。どうして?」
「恥ずかしいから、お願いします」
「わかった」
若い女性のお客様から写真をせがまれ、きゅんポーズやハートマークを作っている。
さすがに撮られ慣れているのがよくわかる。ポーズが自然だった。
写真ぐらいならサービスの一環としてOKかなと、咎めることなく様子を見守るだけにした。春風たちにも記念として求められることがあるから。
0
お気に入りに追加
17
あなたにおすすめの小説
【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜
なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」
静寂をかき消す、衛兵の報告。
瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。
コリウス王国の国王––レオン・コリウス。
彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。
「構わん」……と。
周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。
これは……彼が望んだ結末であるからだ。
しかし彼は知らない。
この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。
王妃セレリナ。
彼女に消えて欲しかったのは……
いったい誰か?
◇◇◇
序盤はシリアスです。
楽しんでいただけるとうれしいです。
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします
希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。
国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。
隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。
「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」
【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?
碧桜 汐香
恋愛
第一王子に婚約破棄された公爵令嬢は、事前に引き継ぎの準備を進めていた。
まっすぐ領地に帰るために、その場で引き継ぎを始めることに。
様々な調査結果を暴露され、婚約破棄に関わった人たちは阿鼻叫喚へ。
第二王子?いりませんわ。
第一王子?もっといりませんわ。
第一王子を慕っていたのに婚約破棄された少女を演じる、彼女の本音は?
彼女の存在意義とは?
別サイト様にも掲載しております
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。
くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」
「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」
いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。
「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と……
私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。
「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」
「はい、お父様、お母様」
「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」
「……はい」
「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」
「はい、わかりました」
パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、
兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。
誰も私の言葉を聞いてくれない。
誰も私を見てくれない。
そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。
ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。
「……なんか、馬鹿みたいだわ!」
もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる!
ふるゆわ設定です。
※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい!
※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ!
追加文
番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。
思い出を売った女
志波 連
ライト文芸
結婚して三年、あれほど愛していると言っていた夫の浮気を知った裕子。
それでもいつかは戻って来ることを信じて耐えることを決意するも、浮気相手からの執拗な嫌がらせに心が折れてしまい、離婚届を置いて姿を消した。
浮気を後悔した孝志は裕子を探すが、痕跡さえ見つけられない。
浮気相手が妊娠し、子供のために再婚したが上手くいくはずもなかった。
全てに疲弊した孝志は故郷に戻る。
ある日、子供を連れて出掛けた海辺の公園でかつての妻に再会する。
あの頃のように明るい笑顔を浮かべる裕子に、孝志は二度目の一目惚れをした。
R15は保険です
他サイトでも公開しています
表紙は写真ACより引用しました
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる