上 下
49 / 51

49.里帰り

しおりを挟む
 妖狐が消えたのを確認すると、烏天狗たちは撤収にかかった。
 夏樹たちには特にやることがないので、その様子を眺めていた。烏天狗ってかっこええよなあ、と思いながら。

 隊長と所長が話をしている。二人がふと、視線を別の山の方に向けた。
 気になって夏樹も見たけれど、何も見えなかったし感じなかった。

「さて、俺たちも帰ろうか」
 話し終えた所長が、戻ってきた。

「あのさ、オレ行きたい所あるねんけど」
 夏樹が言うと、所長はわかっているというように、頷いた。

 待ってもらっていた妖タクシーに乗り込む。所長が行き先を告げた。
 連れて行ってもらったのは、夏樹の故郷。

 妖狐が里を襲った真夜中、突然現れた大きな霊力を感知した所長と佐和は、その出所を探した。
 保護した夏樹から聞いた話で場所を予想して、里に向かった時には、残念ながら生きている人はいなかった。
 二人で土葬をして戻ってくると、夏樹の記憶が飛んでいた。
 師匠いわく、ショックが強すぎて、自分自身で封印をしたような状態だと。
 いわゆる記憶喪失の状態になった。

「ここや」
 タクシーを降りてすぐ、夏樹はお地蔵さまを見つけた。
 妖狐に襲われたとき、姉に越えていいよと言われて、初めてお地蔵さまを越えた。

「長い間、里を守ってくれてありがとうな」
 お地蔵さまに手を合わせてから、夏樹は山に向かった。

 8年という月日は、山にとってはあっという間なのか、夏樹の記憶の中にある道は草木に覆われ見えなくなっている。
 遭難しそうな不安を少し抱えながら歩いていくと、姉と別れた場所だと思われる崖に出た。痕跡は残っていないけど。

 崖から里を見下ろす。
 畑があって、小さな家が点在していて、四季折々の花が咲き、水田には空が映る。
 忌まわしい記憶と共に、愛おしい記憶も一気に蘇った。

 しばらく崖から里を見下ろしてから分岐する道に戻ると、所長たちが待ってくれていた。
 里に向かう道を下っていく。

「オレ、いつも裸足で走り回ってた。ケガするから草鞋わらじ履けっていわれても、裸足が好きで。着物の裾はだけさせて、森走ってたな」

「野生児だと言いました」
「言われたな」
 冬樺と笑い合う。
 冬樺に記憶がないことを話したのは、揚羽の猫を探している時。まだ打ち解ける前だった。

 仲良くなろうと思って、あれこれ話しかけていた。
 あの頃の冬樺には距離があって、どうやったら距離が縮まるのかと夏樹は考えていた。
 一緒に里に戻ってくるとは、想像もしなかった。

 森が開けると、身長並みの雑草がはびこる、打ち捨てられた廃墟が広がっていた。
 建物は屋根が落ちていたり、歪んでいたり、まさに朽ちている最中。

 電気もガスも水道も通っていなかった。昔からの営みのままに、長い間暮らしてきて、そこで生まれ育った夏樹も、それ以外の生活を知らなかった。
 世の中はめまぐるしく変わっていったのに、この里だけは鎖国状態で守られていた。

「どれくらいの人数が、ここで暮らしていたんですか」
「数えたことなかったけど、多くはなかったな。20人とか30人とか」

「俺たちが埋葬したご遺体は26人だったよ」
「26人やて」
 所長の言葉をそのまま伝える。
「今知ったんですか」と冬樺は軽く笑った。
 夏樹も一緒に笑う。

 自分が住んでいた所なのに、夏樹は何も知らなかった。なぜ里から出てはいけないのか、疑問や不満を思うこともなく、与えられた暮らしを受け入れていた。

「家、これやわ」
 奇跡的に崩壊を免れている、一軒の家の前で足を止めた。

 平屋で茅葺かやぶきの屋根、引き戸は壊れて外れ、中が丸見えだった。
 崩れないか気をつけながら、中に入った。

 土間があり、その奥は板敷きの居間。ここで食事をして、母と姉は繕い物をしていた。
 さらに奥の部屋には扉で遮られた二部屋があって、夏樹と姉は、父の祖父母と一緒に寝ていた。
 母の祖父母もすぐ近くに住んでいたから、時々泊まりに行っていた。

 室内は床が抜け、食器が割れて散乱し、荒れていた。けれど、たしかに人が住んでいた痕跡は残っていた。
 質素な生活だっただろう。今とは真逆。快適を知った今では、もうこの頃の生活には戻れない。

 寒くても堪え、水の冷たさに震え、ようやく訪れた春の訪れに喜び、夏野菜の植え付け、夏は川遊びをして涼をとり、セミの鳴き声の変化で夏の終わりを感じ、作物の収穫や種の乾燥、冬野菜の植え付け、衣替えなどをして冬に備え、家族が寄り添って寒さに耐える。

 正月には餅をつき、全員がひとつ歳を取る。数えで年齢を刻むのは、現代ではあまりしないと夏樹が知ったのは、里を出てから。
 派手なお祭りはないけど、年に二回、豊作祈願と収穫祭を行っていた。

 覚えていた。心の奥底にしまってあっただけ。家族の顔も、生活も、幼いながらに、記憶していた。
 夏樹は家の中に向けて、深く頭を下げた。

「大丈夫ですか?」
 外に出ると。待っていた冬樺が訊ねてきた。

「大丈夫」
 目元が熱い気がするけど、きっと気のせいだ。

 お祭りをしていた祠を探して移動する。
 祠はたしか、里の端、山を背にして作られていたはず。

「所長、この辺に祠なかった?」
 記憶の中の位置には、こんもりとした山がひとつあって、草が生えている。

「祠は傷んでいたから、勝手ながら処分した」
「そっか」

「祠の跡地に、ご遺体を埋葬したんだ」
「じゃあ、この小さい山は、お墓?」

「そうだよ。里の中で倒れていたご遺体は、すべて運んだ」
「所長、佐和さん、ありがとう。めっちゃ大変やったやろう」

「そんなんええの。番人として以前に、人としてできることを考えた結果やから」
 佐和は切なそうな顔で、首を振った。

 四人は墓前で手を合わせた。

「僕の家族が酷いことをして、申し訳ありません」
 隣で冬樺が小さく呟いていた。

「よし、帰ろう」
 夏樹はすっきりした心地で、最後まで手を合わせていた冬樺の肩を叩く。

 そして一同は、自然に飲まれようとしている夏樹の故郷に別れを告げた。

 *

 待ってもらっていた妖タクシーで、ならまちに向かう。

「冬樺の誕生日って、いつ?」
 後部座席に並んで座る。佐和を真ん中に、冬樺と夏樹で挟む。

「唐突に何ですか?」
 夏樹は佐和の左にいる冬樺に顔を向ける。
「ええやん。いつ?」

「11月9日です」
「まだ先やな」

「これは、あなたの誕生日を訊き返さないといけないパターンですか?」
「嫌々聞かんといてえな。でも答えるで。オレは8月26日。佐和さんが決めてくれた日やねん」

「え? どうしてですか?」
 興味がなさそうな態度だった冬樺が、驚いたように夏樹に顔を向けた。

「正月で全員歳取るって決まってたから、自分の誕生日知らんねん。でも、暑い時期に生まれたっていうのだけは、姉から聞いてた」

「あたしと夏樹が家族になろうって話し合った日でね」と佐和が加わる。「なら今日を夏樹の誕生日にしようって。夏樹きょとんってして、それ何? って訊いてきたんやで」
 佐和が懐かしい話をする。

 その辺りの記憶も曖昧だったけれど、思い出した。

「誕生日が個別にあって、その日に祝ってもらえるなんて知らんかったからな」
「初めて尽くしやったもんね。記憶失ってて逆に良かったんちゃう?」
「それな。覚えてたらギャップに馴染めんくって、泣いてたと思うわ」

「記憶がないと夏樹さんから聞いたとき、つらくないのかなと思ったんです。記憶がないのはつらい事だと思い込んでいました。でも夏樹さんを見ていると、心を助ける場合もあるんですね」

「物事は、なんでもケースバイケースだよ。ひとつの型に押し込めちゃいけないと俺は思うよ」
 助手席の所長が、振り返らずに言う。

「啓一郎くんの名言でたー。で、夏樹、今年は何が欲しいん? 頑張ったから奮発しちゃうで」
「いつも悩むねんなあ。オレ、意外と物欲ないからなあ。とりあえずブレスレットは必要やな」

「それは必需品。鋭意製作中やから、もうちょっと待っててな」
「三日月までには頼むわ」

「うん。任せて。はよせんと、霊力上がりまくって大変なことになるもんな」
「そやで。所長にもらったスマホ、壊してしまいそうや」

「あの弾けたブレスレットには、霊力を抑える効果があったんですね」
「あれがないと、満月には物に触れらへんくなってまうねん。バチバチ静電気くらいまくって、痛い痛い」

「家電壊れるしね」
「たまに髪も立つから、ショート以外できひん」

「ATM壊したっていうのも」
「そう、その時期。夏樹連れて銀行行ったら、一斉に調子悪くなって、慌てて出たんよ」

「なんて危険な人なんですか」
 驚くというより、呆れたように冬樺に言われた。

 なんとかしたくても、勝手に増えていくものはどうしようもできなくて、師匠が霊力を吸収するブレスレットを作ってくれた。
 ずっとつけていたから、なくなった腕がすーすーする気がして、落ち着かなかった。

「ブレスレットは誕プレとは別やから、今年もみんなで美味しい物食べに行く?」
「そうやな。そうしよう」

「毎年、皆さんで食事に行かれるんですか?」
「夏樹の時だけね」

「佐和さんがいて、所長がいて、今年から冬樺とカマ吉が加わって。誰も欠けることなく、毎日が過ごせればいい。それが一番やわ」

「なにこの子、泣かせるやん」
 佐和はおどけたような言い方をした。けれど、目尻が光っているのが見えた。

「ところで、冬樺」
 所長が話を切り替えた。声の調子が少し変わったから、仕事の話だろうか。夏樹と冬樺が所長に注意を向ける。

「この間、バディ解消の申し出があったが、どうする?」
「はあ?! 冬樺、なんやねんそれ。バディ解消? 初聞きやで。そんなにオレが嫌いなん?」

「違います。そういう意味で言ったんじゃないです」
「ほんならどういう意味やねん。まだ仕事の距離感でしか付き合わへんって言うんか?」

「一人前だと認めて欲しくて言ったんです。僕が新米だから、夏樹さんとバディを組んだんでしょう。でもバディがいなくても単独で動けます。花子さまの時は、事務所の仕事をしていないから除外して、山室さんの時から、僕は単独で動きました。もうセットでなくて、いいと思うんです」

「たしかにな。冬樺はよく勉強しているし、戦えるようにもなった。ひとりで動いた時の危険は、減っていると思う」
 所長が夏樹を褒める。

「油断はしません。夏樹さんに比べて、戦闘力はまだまだですから、引き続き精進します」

 冬樺は勉強熱心だし、妖狐を倒したから、トラウマもたぶん克服できていると思う。
 だからといってバディ解消は、夏樹は納得がいかない。
 そもそも、冬樺が半人前だから面倒をみないといけない、そんなつもりで一緒に行動していたのではなかった。

「セットでもええやん。一緒に動く必要がある時もくるで」
「必要があれば、組みますよ。半人前ではなくて、一人前同士として」

 冬樺の顔をまじまじと見る。一瞬混乱したけど、結局なにも変わらないということのようだ。
「そういうこと? なんやねん、下げといて上げたな。今までどおりってことやん」

「意識の問題です。半人前で組んだバディだったんですから」
「よっしゃ。一人前同士のバディ再結成や」
 落ち込んだり、喜んだり。喜怒哀楽激しい夏樹の声が、車内いっぱいに溢れた。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

【1/23取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

その悪役令嬢はなぜ死んだのか

キシバマユ
ファンタジー
前世で死を迎えた菊池奈緒は異世界で転生した。 奈緒は満身創痍の体で目覚め、助けてもらった先生の元で治療魔法の見習いとして新たな人生を歩み始める。 しかし、自分が今宿っている体の前の持ち主が「重大な悪事」を繰り返していたらしいことを知り、次第に運命の謎に巻き込まれていく。 奈緒は自身の過去と向き合い今の体の秘密を探る中で、この異世界でどのように生き延びるかを模索していく。 奈緒は「悪役令嬢」としての運命とどう向き合うのか__ 表紙はillustACのものを使わせていただきました

身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~

椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」 私を脅して、別れを決断させた彼の両親。 彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。 私とは住む世界が違った…… 別れを命じられ、私の恋が終わった。 叶わない身分差の恋だったはずが―― ※R-15くらいなので※マークはありません。 ※視点切り替えあり。 ※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。

愛のゆくえ【完結】

春の小径
恋愛
私、あなたが好きでした ですが、告白した私にあなたは言いました 「妹にしか思えない」 私は幼馴染みと婚約しました それなのに、あなたはなぜ今になって私にプロポーズするのですか? ☆12時30分より1時間更新 (6月1日0時30分 完結) こう言う話はサクッと完結してから読みたいですよね? ……違う? とりあえず13日後ではなく13時間で完結させてみました。 他社でも公開

戸惑いの神嫁と花舞う約束 呪い子の幸せな嫁入り

響 蒼華
キャラ文芸
四方を海に囲まれた国・花綵。 長らく閉じられていた国は動乱を経て開かれ、新しき時代を迎えていた。 特権を持つ名家はそれぞれに異能を持ち、特に帝に仕える四つの家は『四家』と称され畏怖されていた。 名家の一つ・玖瑶家。 長女でありながら異能を持たない為に、不遇のうちに暮らしていた紗依。 異母妹やその母親に虐げられながらも、自分の為に全てを失った母を守り、必死に耐えていた。 かつて小さな不思議な友と交わした約束を密かな支えと思い暮らしていた紗依の日々を変えたのは、突然の縁談だった。 『神無し』と忌まれる名家・北家の当主から、ご長女を『神嫁』として貰い受けたい、という申し出。 父達の思惑により、表向き長女としていた異母妹の代わりに紗依が嫁ぐこととなる。 一人向かった北家にて、紗依は彼女の運命と『再会』することになる……。

あなたを忘れる魔法があれば

美緒
恋愛
乙女ゲームの攻略対象の婚約者として転生した私、ディアナ・クリストハルト。 ただ、ゲームの舞台は他国の為、ゲームには婚約者がいるという事でしか登場しない名前のないモブ。 私は、ゲームの強制力により、好きになった方を奪われるしかないのでしょうか――? これは、「あなたを忘れる魔法があれば」をテーマに書いてみたものです――が、何か違うような?? R15、残酷描写ありは保険。乙女ゲーム要素も空気に近いです。 ※小説家になろう、カクヨムにも掲載してます

椿の国の後宮のはなし

犬噛 クロ
キャラ文芸
※不定期 18時更新※(なるべく毎日頑張ります!) 架空の国の後宮物語。 若き皇帝と、彼に囚われた娘の話です。 有力政治家の娘・羽村 雪樹(はねむら せつじゅ)は「男子」だと性別を間違われたまま、自国の皇帝・蓮と固い絆で結ばれていた。 しかしとうとう少女であることを気づかれてしまった雪樹は、蓮に乱暴された挙句、後宮に幽閉されてしまう。 幼なじみとして慕っていた青年からの裏切りに、雪樹は混乱し、蓮に憎しみを抱き、そして……? あまり暗くなり過ぎない後宮物語。 雪樹と蓮、ふたりの関係がどう変化していくのか見守っていただければ嬉しいです。 ※2017年完結作品をタイトルとカテゴリを変更+全面改稿しております。

【完結】お飾りではなかった王妃の実力

鏑木 うりこ
恋愛
 王妃アイリーンは国王エルファードに離婚を告げられる。 「お前のような醜い女はいらん!今すぐに出て行け!」  しかしアイリーンは追い出していい人物ではなかった。アイリーンが去った国と迎え入れた国の明暗。    完結致しました(2022/06/28完結表記) GWだから見切り発車した作品ですが、完結まで辿り着きました。 ★お礼★  たくさんのご感想、お気に入り登録、しおり等ありがとうございます! 中々、感想にお返事を書くことが出来なくてとても心苦しく思っています(;´Д`)全部読ませていただいており、とても嬉しいです!!内容に反映したりしなかったりあると思います。ありがとうございます~!

処理中です...