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46.妖狐の過去

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「家族を奪って申し訳ありません。父と兄に代わってお詫びします」
 正座で夏樹の話を訊いた冬樺は、頭を下げた。

「え、いや、やめてえな。冬樺に謝ってもらおうと思って話したんやないねん。少しでもトラウマが軽くならへんかなと思って。間違えたかな」

「いえ。話してくださってありがとうございます。お陰で足が動きそうです」
 そう言うなり、腰が抜けたようだった冬樺が立ち上がった。

「そっか。ほんなら話して良かったわ。ほな行くか!」
 夏樹も立ち上がる。頭痛はなくなった。体の痛いところもない。

「ああ、その前に、この間の事謝るわ」
「突然なんですか?」

「大地が消えた日、オレは冬樺に友だちおらん奴にはわからんへんって言ってしもた。嫌いやとも」
「言われましたね」

「酷い言い方した。ごめん。あと、嫌いやって嘘ついた。オレは冬樺のこと、頼りにしてる。嫌いやない」
「気にしてませんよ」

「大人やな。オレはガキやから、ちゃんと言っとかな気すまんねん。オレと冬樺は仕事仲間やけど、友だちやと思ってるから」

 冬樺は何も言わず横を向いた。でも、その顔は照れているように見えた。
「行きましょう」

 夏樹もわざわざ指摘しなかった。

 所長たちがいるところを捜す必要はなかった。妖力が照明のように、立ち昇っているのが見えている。

 二人がそこに向かって走っていくと、
「冬樺。先行くな」
 夏樹は冬樺に告げてから、高くジャンプした。

「この狐――――!」
 注意を自分に向けさせながら、妖狐の頭上に着地を定めた。

 真上に顔を上げた妖狐が、ひょいと飛びのく。
 妖狐の下には、所長が倒れていた。迫ってくる妖狐の顎を、霊力の弓で抑えて押し戻そうとふんばっていたのが、夏樹に見えていた。

 ちかくに下り立つと、背中に手を添えて所長の体を起こす。

「すまないな。体は大丈夫か?」
「もう平気」

「間近で妖力を浴びて、よく平気だったな」
「あ、そうなんや。あんまわかってなかった。たださ、数珠弾けてしもた。師匠が遺してくれた物やったのに」
 数珠のなくなった左腕を見せる。

「妖力を浴びて大丈夫だったのは、あれのお陰だよ。形ある物はいつかなくなる。夏樹を守ってくれたんだから、師匠もあっちで喜んでるさ。本来の使い方ができたってな」

「そうかな」
「そうさ。無事で良かった。無茶はしなくていいから」

「少しは無理せな。あんなん退治できひんやん」
 妖狐は離れた場所で、耳の後ろをぽりぽりと掻いている。

「余裕かましとんな。腹立つわ」
「いや、あれはおそらく、そう見せているだけだ。俺の矢が痛みを与えているのと、妖力を放出させ続けているからな」
 妖狐の体からは、きらきらしたものが水のように流れ出ている。

 天狗がつけた傷は、逃亡中に治せたのかもしれないが、今流れ出ている妖力を止めたければ、また逃げて力を補充するしかない。
 それをしないのは、夏樹たちが見逃してくれないとわかっているからだ。

 背中を見せるよりも、倒す方がいいと判断したのだろう。
 しかし、夏樹たちの誰も倒されるつもりはない。妖狐の餌にされるなんて、絶対にごめんだ。

「周囲の草や木が枯れてきています」
「冬樺、来れたな」
 冬樺がやってきた。恐ろしいトラウマを植え付けた父親の前に、自分の足でちゃんと辿り着いた。

「所長、ケガが」
 血が流れている所長の姿を見た冬樺が、走り寄ってきた。

「俺は近接戦があまり得意じゃないからな。でも、大丈夫だよ。折れているわけじゃないから」
 とはいえ、所長の右手からは、赤い血が筋になっている。

「弓、引けますか」
「痛みを我慢すればな」

「僕がうまくできればいいんですが、まだ自信がないです」
「自信がないと思っていると、うまくできないよ。できると思い込むのも、上達するコツだ。嘘も方便ってね。それに、矢の使い方は刺すだけじゃないよ。ナイフみたいに切ることもできるんだからね」

「時間稼ぎはそれくらいにしないか。儂の時間切れを狙っておるのかしらんが、無駄だぞ」
 飽きてきたのか妖狐がこちらを向いていた。ギラギラと鋭い目を光らせている。

「それは残念ですね。自滅してもらえると、こちらも楽だったんですけどね」
 所長の軽口に、妖狐はぐわははと大口を開けて嗤った。

 嗤い終わると、静寂が訪れた。そして、夏樹と妖狐が同時に動いた。

 夏樹が木々の間を縫って走る。
 妖狐が手を振りかざすと、目の前で数本の木が倒れてきた。

 めきめきと裂ける音を立てて迫りくる木を躱しながら、タイミングを見てジャンプする。
 妖狐の頭上に飛び上がると、尻尾が先端を立てて向かってきた。

 体をひねって躱すと、妖狐の頭に肘を打ちつける。
「があああ」
 妖狐か悲鳴のような声を上げた。

 体重と落下が重なった肘打ちは、ダメージになったようだ。

 さっきまでと違う体の軽さを、夏樹は感じていた。
 新月のときは、満月の4分の1ほどに霊力が減る。さっきまでも、その減った霊力を感じていた。体もそんなに軽くはなかった。

 今は満月ほどではないけれど、いつもよりは動きやすい。
 妖狐の体の上をヒョイヒョイと移動して、背中の傷に向かうと、右の拳をがつんと加えた。

 痛いのか、妖狐がのたうつように体を動かす。
 金毛を掴んで振り落とされないようにすると、さらに拳を振り下ろす。

 傷口が広がり、妖力が放出されていった。

「小僧めが!」
 8本すべての尻尾が集まり、再び尻尾の先端が夏樹に向く。

「やっべ」
 言葉ほどに焦る気持ちはなく、余裕で飛び上がった。

 落下しながら、バラバラに襲い来る尻尾をすべて躱し、尻尾の付け根に降り立った。
 一本の尻尾をむんずと掴んだ夏樹は、力任せに引っ張り始めた。

「小僧! 何を!」
 がらがら声に、焦りが交じる。

「引っこ抜いたる」
「や、やめい!」

 夏樹は足を根っこに引っ掛け、角度をつけた。力を込めると、メキメキと尻尾の付け根から音を上がる。

「ギャー」
 痛そうな悲鳴があがった。

 相手が妖でなかったら完全に虐待だけど、この妖狐は人に害をなした。それに夏樹の仇でもあった。

 骨を折るようにふんぬと力を加えていき、やがて手応えがあった。バキンという音ともに、尻尾が垂れ下がる。

 グルグルと近くで声がした。振り返ると、背後に妖狐の顔が迫ってきていた。
 恐ろしい形相に顔を歪めて、さらにいかつい顔になっている。

 尻尾を一本折ったのが、怒りに火をつけたのだろう。
 巨大な口が開いて、鋭い歯が迫る。

 尻尾から手を放し、夏樹が逃げようとしたところで、妖狐がギャッと鳴いた。
 夏樹からは見えない場所で、所長が何かをしたのだろう。

 その隙に、離した尻尾をまた掴んだ。
「夏樹さん」
 体を低くして冬樺が近づいてきていた。

「持っていてください。切り落とします」
「そんなん出来るん?」

「今教わりました。やれます」
「任せるで」
 切りやすいように尻尾を持ち直す。

 冬樺が手に妖力を集め、白いナイフを作り出すと、尻尾の下に当てた。

「いきます」
 宣言するように言ったあと、しゅっと腕を上げた。

 刃が滑らか過ぎたのか、切れたのかわからなかった。
 一瞬の後、妖力が迸ほとばしった。空に向かって噴水のように放出された妖力は、陽の光できらきらと輝く。

 切り落とされた尻尾は霧散していく。
 同時に、妖狐が叫び声とともに、身もだえた。

「おのれえ! 小童が!」
 勢いよく振り返った妖狐は、怒りの形相で腕を振る。

 冬樺を突き飛ばしてから、夏樹も転がって回避した。
 目の前の地面が抉れて、土や石が飛んでくる。

「血を分けた者に尻尾を切られるとはな、不覚をとったわ」
 7本の尾が、苛立だしげに揺らめいている。

「妖狐と呼ぶのは恥ずかしい妖力しか持たぬおまえが、多少成長しているのは、人間のお陰だと礼を言うべきかのか? いらぬことをしてくれたわ」
 鼻にシワを寄せ、尖った牙を見せる。

「おまえから離れられて、冬樺は幸せやわ。おまえなんかと一緒におったら、性格歪んでた」
 妖狐の言い分にむっとした夏樹が、嫌味を言った。

「とうか? ‥‥‥そうかそうか。おまえそんな名前だったのう。忘れておったわ」
「酷い父親やな」

「儂にとって、我が子はひとり、兄だけだ。アレは儂そっくりの性質と妖力を引き継いで生まれた。あの人間の女、そこだけは役に立ったわ」

「ったく、情の欠片もない人ですね。仮にも、子どもまで作っておいて。ああ、間違えました。人ではなかったですね。あなたは」
 反論する冬樺の口調はいつもと変わりなく、冷静だった。

「儂を前にして、言うようになったな。ぴーぴー泣くことしかできなかった小僧が」
「何年経っていると思っているんですか。いつまでも子どもじゃないんですよ」

「親にとって子どもはいつまで経っても子ども、だったか」
「どこで仕入れた情報なのかしりませんが、思ってもいないのに親の顔をしないでください」

「ふん。遊んでみただけよ」
「愛情なんか持ち合わせていないくせに、どうして人との子を成したんですか。あなたに何の得があるんですか。ただの気まぐれですか」
 冬樺は子どもの頃できなかった反抗を今しているようだ。

「気まぐれではない。必要があったからだ」
「わずかでも、母に愛情があったんですか?」

「儂が愛しておるのはあやつのみ。人には憎悪しか持っておらぬわ」
「あやつ?」

「いいだろう。二千年を生きた儂の過去を、教えてやろう。その小僧との因縁も含めてな」
 冬樺と話していた妖狐の目が、夏樹に向いた。

「オレの家族を殺した理由を、教えてくれるってわけやな」
 理由を知ったところで家族は帰ってこない。でもわかるのなら、知りたかった。

 妖狐と目が合った。ぐんと意識を引っ張られる感覚があって、次の瞬間、夏樹は空を駆けていた。

 *

 青い空を駆ける。すぐそこに雲が迫ってくる。
 一転、急降下。遥か下に見えていた地面に降り立った。
 再び跳躍。

 空を飛ぶように移動する。爽快な気分だ。
 これは妖狐の意識の中に入っているのかな、と感じた。

 どうやら妖狐の中で、過去を教えてもらえるらしい。
 重力に逆らうように跳びはねることが、こんなにも楽しいなんて。

 妖狐はほかにもいた。三尾が一匹と一尾が二匹。
 四匹は一緒に跳びはね、山を森を川を越えていく。

 三尾はつがいで、一尾たちは子どもだろうか。
 家族で自由に飛び跳ねる楽しさを妖狐が味わっているのを、夏樹は感じていた。

 場面が変わった。
 妖狐の感情が、怒りに溢れている。

 ガルルと唸り声を上げながら、周囲を見渡した。
 十数人に取り囲まれている。

 彼らは現代人ではなかった。袖の長い着物の上に鎧をつけ、背中に矢の尾羽が見え、腰には太刀を佩いている。左右のこめかみには小さな扇のような物をつけていて、変わった帽子を被っていた。

 妖狐が体を振っている。思うように身動きが取れないようだ。
 視線の先に、三尾の番が倒れていた。
 全身から妖力が立ち昇っている。

「よくも、貴様」
 番の傍にいる男に、憎しみの感情を向けた。

 男は細長い紙のようなものを、倒れている番に向けて投げた。
 それが貼りついた箇所から番の体は霧散していき、さほど時間をかけずに消滅した。

「貴様貴様貴様ー!」
 妖狐が怒りで体を震わせ、咆哮を上げる。

 怒声を浴びせられても、表情を変えなかった陰陽師が、目を見開いた。

 妖狐を束縛していた拘束がほどけていた。

 近くにいた男に噛みつく。悲鳴を上げた別の男に飛びかかり、爪を立てた。

 陰陽師が急いで紙を取り出し、何かを唱えた。
 紙が、妖狐めがけて飛んでくる。

 躱したはずのはずの紙は、妖狐の傍を飛び回り、背中に貼りついた。
 ギャアアと悲鳴を上げる。

 一方的な殺戮をやめ、妖狐は陰陽師から距離を取る。

「この恨み、必ず晴らす! 貴様の血が絶えるまで、忘れん!」
 捨てセリフとともに、妖狐は跳んだ。

 番を失い、自らも傷ついた妖狐は、人の入って来られない深い山で、数百年間眠りについた。

 その哀しみに触れ、夏樹も心が痛かった。
 大切な人を失う哀しみと怒りは、記憶を取り戻した夏樹には、痛いほどよくわかった。

 眠りから醒めた妖狐は、仲間の行方を探した。が、子どもたちも退治されたのか、匂いを追えなかった。
 妖狐は一人きりで、ある場所にやってきた。

 そこは、夏樹にとって懐かしい場所だった。
 記憶の中にあるお地蔵さまの姿。
 その先には、夏樹が暮らしていた里があるはずだった。

 だが、妖狐はなぜか先に進めなかった。
 くんくんと匂いを嗅く。番を倒した陰陽師の匂いがした。

 けれど、時が経っている。あの陰陽師が生きているわけがなかった。
 おそらく、里に子孫がいたのだろう。

 力が戻った妖狐は、恨みを果たすべく里に来たのだろう。
 だが里に入れない。

 お地蔵さまには結界の役目があったからだ。
 姉たちにお地蔵さまを越えてはならないと、さんざん言われてきたのは、これが理由だった。

 結界内にいれば、妖狐は入ってこられない。しかし越えると匂いを感知され、妖狐に襲われる。

 夏樹もそこまでは知らなかった。長い時の中で禁止事項だけが残り、理由は失われてしまったのだろう。

 復讐を果たせない妖狐の深い哀しみが、ずきずきと夏樹の胸を刺す。
 つらいだろうなと、同情した。

 番や仲間が退治されたのだ。復讐だけが心の拠り所だっただろうに。

 満月のあの日、妖狐が里に侵入できた理由はわからない。
 お地蔵さまの結界の力が弱っていたのだろうか。

 それとも、妖狐の力が勝ったのか。
 家族を失った復讐を果たすと誓った想いが強かったからか。

 あの陰陽師の子孫が生きていたのなら、里が襲われても仕方がなかったのかもしれない。

 妖狐の復讐は、まだ終わっていない。
 里出身の夏樹が生きている限り、終わらない。
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