【完結】古都奈良 妖よろず相談所

衿乃 光希

文字の大きさ
上 下
45 / 51

45.失われた記憶

しおりを挟む
 まず目に入ったのは、数人の里人が倒れている姿。
 月明かりに照らされたのは、どす黒い、液体。

「ひっ!」
 息を呑んだ瞬間、大量の血の臭いが鼻から口から入ってきて、酸っぱいものがこみあげてきた。
 たまらず大木に手を付き、根元に吐き戻した。

 いくぶんか楽になったので、涙で濡れた目をよくこすって、もう一度里を見下ろした。
 動いているモノがいた。

 4本もある尾をゆっくりと揺らし、獣が畑と家々の間を練り歩いている。
 家の中から、鍬を持った里人が飛び出してきた。
 腕の一振りで、体が真っ二つに引き裂かれる。一瞬遅れて、血がほとばしる。

 ひっと、ひきつった声が出た。
 手で口を抑えたものの、遅かった。

 獣が振り返って見上げてる。距離があるにもかかわらず、獣と目が合った。
 今まで感じたことのない恐怖に、背筋が凍りつく。

「親父どの。ガキがいる」
 不思議なことに、獣の話す言葉がわかった。しかも誰かに話しかけている。

 のそりと現れたもう一匹は、もっと大きな体をしていた。しかも尻尾が増えている。
「まだおるか。何の力も残っていないこいつらを喰っても大した腹の足しにはならぬが、一人たりとて、残してはおけぬ」
 不吉で、おどろおどろしい声。

 殺される。がたがたと震える足を動かして、その場から逃げようとした。
 振り返った途端、目の前に一匹がどんと降り立った。

 生臭い息がかかる。
 動けなかった。
 動けば殺される。動かなくてもきっと殺される。
 ごくりと唾を飲み込んだ。

 すーっと、獣が離れた。
 夏樹は何もしていない。

「我が満願は成就した。この童子は、捨ておけ」
 大きい方の獣の後ろに、もう少し小ぶりの獣がいた。

「あぁん。なんでだよ。親父どの。まさか、こんなガキひとりに怖気づいたんじゃないだろうな」
「おまえにはわからぬか。このガキの体の中にある、おぞましい力を」

「わっかんねえなあ。ただのガキじゃねえか。それに、力があるってんなら、俺さまの腹の足しにしてやんよ」
「左様か。ならば好きにせい。ここで別れる。我が息子よ」

「ああ、後は俺さまの好きに生きさせてもらうぜ」
 意見が分かれた親父と呼ばれた一匹が、どこかに飛んで行った。

 助かったと少しだけ安堵したものの、息子と呼ばれた方は、まだそこにいる。

「く、来るな! あっち行け!」
 威嚇するつもりで放った声は、しかし震えて裏返った。

 それは人の言葉がわかるのか、「ふんっ」と器用に右の口角を上げて、あざ笑った。

「ガキ。俺さまの姿にビビッて、小便漏らしてんじゃねえのか。ああ」
「な、なんだ‥‥‥おまえら、なんなんだよ」

「俺さまか? これからおまえを喰うんだよ」
「ひっ、来んな! こっち来んな!」
 後退る。背後は谷、飛び降りても助からない。でも獣に喰われるぐらいなら、いっその事飛び降りようか。

「やめて! 弟から離れて!」
「なんだ。まだ行き残りがいたのか」

 姉の百合恵に助けられた夏樹は、逃げなさいと言われて従った。後から追いつくからという言葉を信じて。

 転がるように山を駆け下り、見慣れたお地蔵様まで来ると、夏樹は振り返った。
 姉の姿は見えない。あいつは姉さまを見逃してくれるのだろうか。
 後ろ髪を引かれる思いで、夏樹はお地蔵さまを越えた。

 山をさらに下ると、開けた道にでた。畦道よりも広くて、雨でぬかるんだり、石が転がったりしていなくて、歩きやすかった。

 このねずみ色の道は、どこに繋がっているのかわからないけど、とにかく夏樹は走った。
 早く助けを呼んでこないと、姉さまが喰われてしまう。
 他にも里や村があるらしいと、里人から教えてもらった。きっと姉さまや、里人の手当てをしてくれるはずだ。

 夏樹は走った。山道は歩きにくい。大きな石や折れた枝が落ちていたり、足を滑らせたりする。
 それに比べると、この道は本当に歩きやすかった。でも、いつまでも走り続けていられる体力はなかった。

 足の裏に痛みを感じた。走るのをやめて足の裏を見ると、皮がむけたのか血が出ていた。
 痛みを感じると、他の場所までが痛みだした。
 関節、ふともも、ふくらはぎ、足首、指。

 これぐらいなんだ。姉さまは背中を裂かれていた。姉さまはもっと痛いはず。
 弱くなる心を、姉たちを思う事で励まし、歩き続けた。

 夜が明け、夏の強い日差しが照ってくる。
 足裏に異常な熱を感じて、ねずみ色の道を歩くのをやめて、土の上を歩いた。

 腹が減った。食べ物なんて持ち出していないから、何も持っていない。
 喉も乾いた。どこかに川はないかな。

 眠気だけは感じなかった。まだ満月の影響があるからだろう。
 だから歩き続けた。痛みを堪えて、とにかく、ひたすらに。

 陽が沈み、夜が来て、火のような熱がひいたねずみ色の道を、また歩いた。
 走る気力はなくなってしまったけれど、歩く気力はまだ残っている。

 けれど、夜明け頃、唐突に眠気が襲ってきた。
 眠い。疲れた。痛い。けれど、歩かなければ。他の里や村へ、助けを求めなければ。

 徐々に意識が朦朧もうろうとする中、夏樹はついに倒れた。
 もう起き上がれなかった。うっすら白み始める空が見えた。

「いた! あの子や」
 遠くで声が聞こえた。

「かわいそうに。もう大丈夫やからね。啓一郎くん、早く」
「ゆっくりだぞ。どんなケガをしてるかわからないからな」
 温かい腕が背中に回されて、優しく抱きかかえられたところで、夏樹は意識を手放した。


 *

「夏樹さん! 大丈夫ですか?」
「痛った。なんやねん、いきなり」
 激しい頭痛に襲われた夏樹は、頭を振りながら体を起こした。

「あれ? 妖狐は?」
「ひとまず所長が追い払ってくれました。大丈夫ですか?」
 冬樺が背中を支えて、体を起こすのを手伝ってくれる。

「ちょっとずつましになってきてる。何があったんや」
「こっちが訊きたいですよ。父の妖力が夏樹さんを襲ったとたん、左腕のブレスレットが弾けたんです」

「ブレスレットが? ほんまや」
 左腕を持ち上げる。
 就寝時も、お風呂の時も外さなかったお守りのようなブレスレットが、消えていた。

「その後、急に頭を抱えて苦しみだして。所長がこの場から父を連れ出しました」
「そっか。所長、ひとりで大丈夫かな。あの人は、後方担当やからな」

「今はまず、自分の心配をしてください」
 やけに冬樺が優しい。それに、違和感がある。

「痛みは大丈夫や。治ってきてる。それより、大変や冬樺」
 顔を見ると、冬樺が慌てだした。

「なんですか? 何があったんです。骨が折れてるとか?」
「冬樺が、オレの名前呼んでくれてる」

「はあ? そんなわけ‥‥‥ありました」
 怪訝そうな顔をしたあと、はっと目を見開き、それからぶすっとした顔で夏樹を見てきた。
 短い時間にこんなにもいろんな顔を見せるのは珍しい。よっぽど動揺したのだろう。

「なんで悔しそうな顔しとんねん。ずっと名前で呼べって言ってたやろ。やっと呼んでくれたわ。嬉しいもんやなあ。なあなあ」
 嬉しくて、冬樺の腕をびしびしと叩く。

「べたべたするのはやめてください。仕事の距離感で接しましょうと言ったじゃないですか、岩倉さん」
「いやいや、苗字に戻すなや。もうええやんか、夏樹で。呼びやすいやろ?」

「‥‥‥ええ、まあ。所長に引きずられました」
「ナイス、所長。ほんなら助太刀行こか。ひとりで苦戦してるかもやし」

 ゆっくりと立ち上がった。どこにも痛みはない。戦える。家族と、里の人たちの仇を討ちに。
 だけど、冬樺は座ったままだった。

「僕は、また動けませんでした」
「日和らへんって言ってたやないか」

「日和ってはいませんよ。父にはいなくなって欲しいです。ただ、足が動かなくて」
 体が震えているわけではないけれど、冬樺の生き方に影響を及ぼす程の出来事なのだから、固まってしまっても仕方はない。

「トラウマちゃうかな」
「だと思います。どうやったら、戦えるんでしょうか?」

「さあな。どうやった戦えるんやろな」
 冬樺は唇をかみしめる。戦いたい気持ちはある。それは感じられた。

 夏樹の過去が、冬樺の背中を押すきっかけになるだろうか。
「ちょっとだけ昔の話しよか。オレのなくなってた記憶が戻った話」

「戻ったんですか!」
 冬樺が弾けるように、顔を上げた。

「うん。気失ってる間、夢見てた。あれは8歳の記憶や。家族を失った記憶。二匹の妖狐に襲われて、ひとりぼっちになった記憶や」

「詳しく聞かせてください」
 冬樺の目が鋭くなり、気力がこもっていった。

しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

神様の学校 八百万ご指南いたします

浅井 ことは
キャラ文芸
☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.: 八百万《かみさま》の学校。 ひょんなことから神様の依頼を受けてしまった翔平《しょうへい》。 1代おきに神様の御用を聞いている家系と知らされるも、子どもの姿の神様にこき使われ、学校の先生になれと言われしまう。 来る生徒はどんな生徒か知らされていない翔平の授業が始まる。 ☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.: ※表紙の無断使用は固くお断りしていただいております。

鬼の御宿の嫁入り狐

梅野小吹
キャラ文芸
▼2025.2月 書籍 第2巻発売中! 【第6回キャラ文芸大賞/あやかし賞 受賞作】  鬼の一族が棲まう隠れ里には、三つの尾を持つ妖狐の少女が暮らしている。  彼女──縁(より)は、腹部に火傷を負った状態で倒れているところを旅籠屋の次男・琥珀(こはく)によって助けられ、彼が縁を「自分の嫁にする」と宣言したことがきっかけで、羅刹と呼ばれる鬼の一家と共に暮らすようになった。  優しい一家に愛されてすくすくと大きくなった彼女は、天真爛漫な愛らしい乙女へと成長したものの、年頃になるにつれて共に育った琥珀や家族との種族差に疎外感を覚えるようになっていく。 「私だけ、どうして、鬼じゃないんだろう……」  劣等感を抱き、自分が鬼の家族にとって本当に必要な存在なのかと不安を覚える縁。  そんな憂いを抱える中、彼女の元に現れたのは、縁を〝花嫁〟と呼ぶ美しい妖狐の青年で……?  育ててくれた鬼の家族。  自分と同じ妖狐の一族。  腹部に残る火傷痕。  人々が語る『狐の嫁入り』──。  空の隙間から雨が降る時、小さな体に傷を宿して、鬼に嫁入りした少女の話。

我が家の家庭内順位は姫、犬、おっさんの順の様だがおかしい俺は家主だぞそんなの絶対に認めないからそんな目で俺を見るな

ミドリ
キャラ文芸
【奨励賞受賞作品です】 少し昔の下北沢を舞台に繰り広げられるおっさんが妖の闘争に巻き込まれる現代ファンタジー。 次々と増える居候におっさんの財布はいつまで耐えられるのか。 姫様に喋る犬、白蛇にイケメンまで来てしまって部屋はもうぎゅうぎゅう。 笑いあり涙ありのほのぼの時折ドキドキ溺愛ストーリー。ただのおっさん、三種の神器を手にバトルだって体に鞭打って頑張ります。 なろう・ノベプラ・カクヨムにて掲載中

真夜中の仕出し屋さん~料理上手な狛犬様と暮らすことになりました~

椿蛍
キャラ文芸
「結婚するか、化け物屋敷を管理するか」 仕事を辞めた私に、父は二つの選択肢を迫った。 料亭『吉浪』に働いて六年。 挫折し、料理を作れなくなってしまった―― 結婚を断り、私が選んだのは、化け物屋敷と父が呼ぶ、亡くなった祖父の家へ行くことだった。 祖父が亡くなって、店は閉まっているはずだったけれど、なぜか店は開いていて―― 初出:2024.5.10~ ※他サイト様に投稿したものを大幅改稿しております。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ナマズの器

螢宮よう
キャラ文芸
時は、多種多様な文化が溶け合いはじめた時代の赤い髪の少女の物語。 不遇な赤い髪の女の子が過去、神様、因縁に巻き込まれながらも前向きに頑張り大好きな人たちを守ろうと奔走する和風ファンタジー。

処理中です...