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42.行方不明事件
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大地が消えた翌日、夏樹はショックで寝込んでしまった。
二日間熱が出て、佐和に看病された。三日目に熱が下がると、いつもの元気な夏樹に戻った。
カマ吉が心配して、夏樹の枕元で添い寝をしてくれた。
辛い時に見るカマ吉は癒しになった。
四日目には出勤した。
「奈良県内と大阪で、幾人か行方不明者が出ていてね。どうやら妖の仕業らしい」
所長がプリントアウトした近畿圏の地図を、ローテーブルに置いた。赤い✖と日付・人数が記入されている。
10日 河内長野市 2人
19日 四條畷市 1人
22日 交野市 2人
「近場の直近で、こんなに行方不明者って出るもんなん?」
「おかしいよね。何かあったと思うのが普通だよね」
「妖関連ですね」
冬樺の確信を持った返事に、所長が頷く。
夏樹と冬樺は隣に座っているけど、二人での会話はまだしていない。
気まずい。話をするのも、避けているのも。どっちでも気まずい。
自分が悪いという自覚があるだけに。
冬樺も、少しは気にかけてくれているのだろうかと、気にはなりつつも、熱が下がって起きてから見たスマホに連絡があったのは所長だけ。冬樺からは電話もメッセージもなかった。
心のどこかで、少しは心配してくたかなと期待していたのに、落胆した。裏切られたような気がした。
バディとして仕事をしてきたこの四ヶ月間は、冬樺にはどうでもよかったのかなと思えて、寂しく感じた。
「夏樹、聞いてるか」
所長に声をかけられて、はっとする。
「ごめん、ぼうっとしてた」
「まだ体がつらいなら、留守番でもいいぞ」
「大丈夫。体は平気」
体は、と言ってしまったことに同情を誘うような言い方は良くなかったなと、反省した。
大地のことは悲しいけど、消えてしまった妖は、もう戻ってこない。頭を切り替えていかないと。
「無理はするなよ」
心配してくれる所長に、「ほんまに大丈夫」と笑顔を見せた。少しだけ無理をして、表情を作ったけれど。
「ほんで何するん?」
「近隣に住んでいる妖から、話を聞いて欲しいんだ。ふだんと違う妖の気配を感じたり、見たりしていないか」
「オレはどこに行けばいいの?」
「夏樹には、生駒市の鬼取町に行って欲しい。ここには鬼がいた伝承がある。子孫が残っているかもしれないから、妖がいたら話を聞いてみて欲しい」
「わかった」
「冬樺は吉野で、天狗から話を聞いてきてくれ。兎の湯温泉に協力を要請しておくから、可能ならお客からも聞いて欲しい」
「わかりました」
「俺は五条と河内長野に行ってくる。何かわかったら、連絡な」
「山室さんの時と同じやな」
個人での調査にほっとする気持ちと、でも寂しさも感じた。
*
翌朝。
「けっこう、きついなあ」
夏樹は山道を登っている。山道といっても、きちんと整備された国道で、道幅は車一台が通れるほど。ハイキングコースでもあるが、気楽な気分で歩ける道ではなかった。
国道308号線は通称、暗峠と呼ばれている。難波と奈良を繋ぐ奈良時代からある道で、一部が生駒山の山中を通っている。江戸時代には参勤交代でも使われていた、歴史のある街道だった。
一方で、『酷道』とも呼ばれていて、大阪側から登ると、最大勾配31%の急カーブが待ち受けているという。
「なんか、楽しそう」と好奇心をそそられ、夏樹は大阪側から鬼取町を目指すことにした。もちろん、所長の許可は得ている。
枚岡駅まで近鉄電車を使い、枚岡神社でお詣りをしてから、かみつだけハイキングコースに向かった。
途中で池を見つけて、なんだこれと近寄ると『姥が池』と書いてあった。記憶の中にあるような気がして探っていると、
「あ、冬樺が来たとこやん」
スマホのメッセージを思い出した。漢字が読めなくて訊ねたので、覚えていた。
「ここで姥火と会ったんや。どんな妖やったんやろう。帰ったら訊いてみよう」
直後に、ケンカ中だったことを思い出した。
ケンカといっても、夏樹が一方的に文句を言い散らかしただけで、冬樺は乗ってこなかったから、ケンカとはいえないかもだけど。
丸い模様の入った道路を、大量の汗を流し、はあはあと息を吐きながら歩く。冬樺だったら絶対に歩かれへん峠やなと思いながら。
登ってくる車は唸りながら、降りてくる車は転がっていきそうな斜面が続く。
そしてついに、噂の急カーブに辿り着いた。
「なんやこれ」
ありえない勾配に、笑いがこみあげてくる。これまでの道もずっと登りできつかったのに、ここに来て、このカーブ。
「よし! 行くで」
気合を入れ直す。下に沢があり、水の流れる音を聞きながら、急坂を上る。
道路には、黒いタイヤ痕が幾筋もついていた。
後ろからやってきた自転車が、お尻を浮かせて上がっていく。
「すげえな」
降りて押したらいいのに、と思うけど、バイクの彼にも何か目的があるのだろう。かっこよく見える背中を見送って、夏樹も足を動かして、最大のカーブを登り切った。
その後もずっと登りが続き、やがて民家が見えてきた。
毎日の生活が大変だろうなと思う場所でも、住んでいる人がいる。高低差を生かしたハイツや、少し古い一軒家の前を進むと、登り坂はなくなり、平坦な道になった。
ここまで来るとほっとした。途中、分岐があり、合っているのかなと思いながら進んできたから。
道路が突然、コンクリートから石畳になった。ここが頂上に当たるらしい。
数軒建物が見えて、間に石碑が置いてあった。暗峠と彫られてある。奈良県と大阪府の境界になる場所だった。
目の前にある飲食店はお休みで、今、周囲に人は歩いていない。妖の気配も感じないので、先に進むことにした。
「下り坂になるんや」
いきなり急な下りが出てきて驚く。高架の坂を過ぎると、景色が一気に開けた。
左には民家と山が続いているけど、右手は谷のようになっていて、畑や棚田があった。
下り坂がずっと続く。道幅が広くなっていき、生駒側は、歩きやすい道だった。
気配を探りながら歩いていくと、また分岐が出てきた。看板に鬼取方面と書いてあり、山に向かう道を行く。
急な坂道を下りて行くと、立ち並んだ民家で、弱いながらも妖の気配を感じた。
探し当てた民家の呼び鈴を押すと、女性の声で応答があった。
人を捜していて、話を聞かせて欲しいと伝えると、60代ぐらいだろうか人の良さそうなおばさんが出てきてくれた。この人は、人間だった。
所長に教えられたとおりに、探偵事務所の名刺を渡して、怪しい姿を見かけなかったと訊くと、おばさんは首を傾けて考えてくれた。
「怪しい姿言うてもねえ、この辺はお店目的の人か、暗峠通る人ぐらいしか来んのよ」
「人じゃなくても、辺な動物とか見ませんでしたか」
「覚えはないわ。ごめんやで」
「ここは鬼の伝説が残ってるやないですか? 子孫いてるんですか?」
おばちゃんはきょとんとした後、あははと笑った。
「前鬼と後鬼の伝説あるね。信じてるの? かわいらしいねえ。昔の人は、空想が好きやったんかなあ」
笑われてしまっては、深く訊きこむことはできなかった。
おばさんに礼を言って立ち去ろうとしたところ、
「なんや、おまえ」
低く、咎めるような声が玄関から聞こえた。
年配の男が怖い顔をして立っていた。妖の気配を立ち上がらせている。
おばさんがいる玄関を閉じて、男が外に出てくる。
夏樹がよろず相談所の方の名刺を渡すと、ひったくるように受け取った。
「おまえ、霊力がんがんやないか。何の用やねん。こんな所まで来て」
「行方不明者が近くで出てるんで、調査してるんです。おじさん、鬼の血流れてますよね」
「ほんで、俺の仕業かと、疑っとるんか」
「違います。怪しい奴を見かけてないか、訊きたくて」
「帰れ! ひっそり生きとんのに、おまえらみたいな物好きが掘り起こしてくる。俺は何もやってない。帰れ!」
疑われたと勘違いをしている男は、どれだけ違うと言ってもわかってくれなかった。
捨てられた名刺を拾って、夏樹はここでの聞き込みを諦めた。鬼の気配は男以外からはもうない。
気を取り直し、もともと予定した宝山寺まで歩いていくことにした。
門前町に向かう山の中の道を歩いていると、狸がひょっこり道に現れた。
「おっ、かわいいな」
思わず声をかけてしまった。遠目で見ようとしていたのに逃げられるな、と思っていると、意外にも狸の方から寄ってきた。
「あれ? 妖やん」
見た目は完全に狸だけど、普通の獣にあるはずのない妖力が見えた。
「そうでしゅ。ボク、狸の風五郎でしゅ。お兄さんは、変わった気配したはりましゅね」
夏樹が腰を下ろしたことで敵意がないことを察知してくれたのか、小さな四本足を動かして近寄ってきてくれた。
「変わった気配って言われたん初めてやわ。霊力高いだけやで」
「それが霊力なのでしゅね。ボク初めて感じましゅた。少し前に怖い気配を察知したので、見回りに来たんでしゅ」
夏樹の目の前で、ちょこんと座る。
「少し前って、どれくらい?」
「どれくらい? わからへんでしゅ」
狸に日付や数字はわからなさそうだから、いつの事だったかを聞くのは諦めた。
「怖い気配ってどんなんやった?」
「どろどろした怪しい気配でしゅた」
「どろどろした気配。姿は見た?」
「怖すぎて遠くから見れへんかったけど、あれはボクたちの天敵、狐でしゅ」
「狐の妖ってこと?」
「アレは普通の狐やないでしゅよ。とてもとても大きかったでしゅもん」
「でっかい狐か。わかった。教えてくれて、ありがとうな」
「霊力さんのお力になれたんでしゅか? よくわかりませんが、良かったでしゅ」
「オレは岩倉夏樹っていうねん。今、何も持ってないから、お礼あげられへんけど。風五郎は、奈良に来れるか?」
「奈良?」
「名刺渡しとくわ。ここに来れることがあったら寄って。オレもここに来れそうやったら、土産持ってくるわ」
取り出した名刺を渡すと、風五郎は器用に両手で受け取った。
「はいでしゅ。長老に伝えておくでしゅ」
「よろしくな」
「あの……狐のことで、ひとつ気になることかあるでしゅよ」
風五郎は初対面の夏樹に、出し惜しみをしないで情報をくれた
二日間熱が出て、佐和に看病された。三日目に熱が下がると、いつもの元気な夏樹に戻った。
カマ吉が心配して、夏樹の枕元で添い寝をしてくれた。
辛い時に見るカマ吉は癒しになった。
四日目には出勤した。
「奈良県内と大阪で、幾人か行方不明者が出ていてね。どうやら妖の仕業らしい」
所長がプリントアウトした近畿圏の地図を、ローテーブルに置いた。赤い✖と日付・人数が記入されている。
10日 河内長野市 2人
19日 四條畷市 1人
22日 交野市 2人
「近場の直近で、こんなに行方不明者って出るもんなん?」
「おかしいよね。何かあったと思うのが普通だよね」
「妖関連ですね」
冬樺の確信を持った返事に、所長が頷く。
夏樹と冬樺は隣に座っているけど、二人での会話はまだしていない。
気まずい。話をするのも、避けているのも。どっちでも気まずい。
自分が悪いという自覚があるだけに。
冬樺も、少しは気にかけてくれているのだろうかと、気にはなりつつも、熱が下がって起きてから見たスマホに連絡があったのは所長だけ。冬樺からは電話もメッセージもなかった。
心のどこかで、少しは心配してくたかなと期待していたのに、落胆した。裏切られたような気がした。
バディとして仕事をしてきたこの四ヶ月間は、冬樺にはどうでもよかったのかなと思えて、寂しく感じた。
「夏樹、聞いてるか」
所長に声をかけられて、はっとする。
「ごめん、ぼうっとしてた」
「まだ体がつらいなら、留守番でもいいぞ」
「大丈夫。体は平気」
体は、と言ってしまったことに同情を誘うような言い方は良くなかったなと、反省した。
大地のことは悲しいけど、消えてしまった妖は、もう戻ってこない。頭を切り替えていかないと。
「無理はするなよ」
心配してくれる所長に、「ほんまに大丈夫」と笑顔を見せた。少しだけ無理をして、表情を作ったけれど。
「ほんで何するん?」
「近隣に住んでいる妖から、話を聞いて欲しいんだ。ふだんと違う妖の気配を感じたり、見たりしていないか」
「オレはどこに行けばいいの?」
「夏樹には、生駒市の鬼取町に行って欲しい。ここには鬼がいた伝承がある。子孫が残っているかもしれないから、妖がいたら話を聞いてみて欲しい」
「わかった」
「冬樺は吉野で、天狗から話を聞いてきてくれ。兎の湯温泉に協力を要請しておくから、可能ならお客からも聞いて欲しい」
「わかりました」
「俺は五条と河内長野に行ってくる。何かわかったら、連絡な」
「山室さんの時と同じやな」
個人での調査にほっとする気持ちと、でも寂しさも感じた。
*
翌朝。
「けっこう、きついなあ」
夏樹は山道を登っている。山道といっても、きちんと整備された国道で、道幅は車一台が通れるほど。ハイキングコースでもあるが、気楽な気分で歩ける道ではなかった。
国道308号線は通称、暗峠と呼ばれている。難波と奈良を繋ぐ奈良時代からある道で、一部が生駒山の山中を通っている。江戸時代には参勤交代でも使われていた、歴史のある街道だった。
一方で、『酷道』とも呼ばれていて、大阪側から登ると、最大勾配31%の急カーブが待ち受けているという。
「なんか、楽しそう」と好奇心をそそられ、夏樹は大阪側から鬼取町を目指すことにした。もちろん、所長の許可は得ている。
枚岡駅まで近鉄電車を使い、枚岡神社でお詣りをしてから、かみつだけハイキングコースに向かった。
途中で池を見つけて、なんだこれと近寄ると『姥が池』と書いてあった。記憶の中にあるような気がして探っていると、
「あ、冬樺が来たとこやん」
スマホのメッセージを思い出した。漢字が読めなくて訊ねたので、覚えていた。
「ここで姥火と会ったんや。どんな妖やったんやろう。帰ったら訊いてみよう」
直後に、ケンカ中だったことを思い出した。
ケンカといっても、夏樹が一方的に文句を言い散らかしただけで、冬樺は乗ってこなかったから、ケンカとはいえないかもだけど。
丸い模様の入った道路を、大量の汗を流し、はあはあと息を吐きながら歩く。冬樺だったら絶対に歩かれへん峠やなと思いながら。
登ってくる車は唸りながら、降りてくる車は転がっていきそうな斜面が続く。
そしてついに、噂の急カーブに辿り着いた。
「なんやこれ」
ありえない勾配に、笑いがこみあげてくる。これまでの道もずっと登りできつかったのに、ここに来て、このカーブ。
「よし! 行くで」
気合を入れ直す。下に沢があり、水の流れる音を聞きながら、急坂を上る。
道路には、黒いタイヤ痕が幾筋もついていた。
後ろからやってきた自転車が、お尻を浮かせて上がっていく。
「すげえな」
降りて押したらいいのに、と思うけど、バイクの彼にも何か目的があるのだろう。かっこよく見える背中を見送って、夏樹も足を動かして、最大のカーブを登り切った。
その後もずっと登りが続き、やがて民家が見えてきた。
毎日の生活が大変だろうなと思う場所でも、住んでいる人がいる。高低差を生かしたハイツや、少し古い一軒家の前を進むと、登り坂はなくなり、平坦な道になった。
ここまで来るとほっとした。途中、分岐があり、合っているのかなと思いながら進んできたから。
道路が突然、コンクリートから石畳になった。ここが頂上に当たるらしい。
数軒建物が見えて、間に石碑が置いてあった。暗峠と彫られてある。奈良県と大阪府の境界になる場所だった。
目の前にある飲食店はお休みで、今、周囲に人は歩いていない。妖の気配も感じないので、先に進むことにした。
「下り坂になるんや」
いきなり急な下りが出てきて驚く。高架の坂を過ぎると、景色が一気に開けた。
左には民家と山が続いているけど、右手は谷のようになっていて、畑や棚田があった。
下り坂がずっと続く。道幅が広くなっていき、生駒側は、歩きやすい道だった。
気配を探りながら歩いていくと、また分岐が出てきた。看板に鬼取方面と書いてあり、山に向かう道を行く。
急な坂道を下りて行くと、立ち並んだ民家で、弱いながらも妖の気配を感じた。
探し当てた民家の呼び鈴を押すと、女性の声で応答があった。
人を捜していて、話を聞かせて欲しいと伝えると、60代ぐらいだろうか人の良さそうなおばさんが出てきてくれた。この人は、人間だった。
所長に教えられたとおりに、探偵事務所の名刺を渡して、怪しい姿を見かけなかったと訊くと、おばさんは首を傾けて考えてくれた。
「怪しい姿言うてもねえ、この辺はお店目的の人か、暗峠通る人ぐらいしか来んのよ」
「人じゃなくても、辺な動物とか見ませんでしたか」
「覚えはないわ。ごめんやで」
「ここは鬼の伝説が残ってるやないですか? 子孫いてるんですか?」
おばちゃんはきょとんとした後、あははと笑った。
「前鬼と後鬼の伝説あるね。信じてるの? かわいらしいねえ。昔の人は、空想が好きやったんかなあ」
笑われてしまっては、深く訊きこむことはできなかった。
おばさんに礼を言って立ち去ろうとしたところ、
「なんや、おまえ」
低く、咎めるような声が玄関から聞こえた。
年配の男が怖い顔をして立っていた。妖の気配を立ち上がらせている。
おばさんがいる玄関を閉じて、男が外に出てくる。
夏樹がよろず相談所の方の名刺を渡すと、ひったくるように受け取った。
「おまえ、霊力がんがんやないか。何の用やねん。こんな所まで来て」
「行方不明者が近くで出てるんで、調査してるんです。おじさん、鬼の血流れてますよね」
「ほんで、俺の仕業かと、疑っとるんか」
「違います。怪しい奴を見かけてないか、訊きたくて」
「帰れ! ひっそり生きとんのに、おまえらみたいな物好きが掘り起こしてくる。俺は何もやってない。帰れ!」
疑われたと勘違いをしている男は、どれだけ違うと言ってもわかってくれなかった。
捨てられた名刺を拾って、夏樹はここでの聞き込みを諦めた。鬼の気配は男以外からはもうない。
気を取り直し、もともと予定した宝山寺まで歩いていくことにした。
門前町に向かう山の中の道を歩いていると、狸がひょっこり道に現れた。
「おっ、かわいいな」
思わず声をかけてしまった。遠目で見ようとしていたのに逃げられるな、と思っていると、意外にも狸の方から寄ってきた。
「あれ? 妖やん」
見た目は完全に狸だけど、普通の獣にあるはずのない妖力が見えた。
「そうでしゅ。ボク、狸の風五郎でしゅ。お兄さんは、変わった気配したはりましゅね」
夏樹が腰を下ろしたことで敵意がないことを察知してくれたのか、小さな四本足を動かして近寄ってきてくれた。
「変わった気配って言われたん初めてやわ。霊力高いだけやで」
「それが霊力なのでしゅね。ボク初めて感じましゅた。少し前に怖い気配を察知したので、見回りに来たんでしゅ」
夏樹の目の前で、ちょこんと座る。
「少し前って、どれくらい?」
「どれくらい? わからへんでしゅ」
狸に日付や数字はわからなさそうだから、いつの事だったかを聞くのは諦めた。
「怖い気配ってどんなんやった?」
「どろどろした怪しい気配でしゅた」
「どろどろした気配。姿は見た?」
「怖すぎて遠くから見れへんかったけど、あれはボクたちの天敵、狐でしゅ」
「狐の妖ってこと?」
「アレは普通の狐やないでしゅよ。とてもとても大きかったでしゅもん」
「でっかい狐か。わかった。教えてくれて、ありがとうな」
「霊力さんのお力になれたんでしゅか? よくわかりませんが、良かったでしゅ」
「オレは岩倉夏樹っていうねん。今、何も持ってないから、お礼あげられへんけど。風五郎は、奈良に来れるか?」
「奈良?」
「名刺渡しとくわ。ここに来れることがあったら寄って。オレもここに来れそうやったら、土産持ってくるわ」
取り出した名刺を渡すと、風五郎は器用に両手で受け取った。
「はいでしゅ。長老に伝えておくでしゅ」
「よろしくな」
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