上 下
1 / 1

五円玉

しおりを挟む
 俺は五円玉として生まれてもう十年が経つ。
 初めは小さなタバコ屋に俺は住んでいた。
 その時が一番俺は幸せだった。
 俺の他にも五円玉の仲間が数多く存在したし、一円玉も十円玉の仲間もたくさんいた。
 そいつらとはずいぶんと長い間、楽しく暮らしていたと思う。
 だけど、ついに別れの時が来たのだ。
 タバコが売れ、店内の商品も一緒に売れた。
 俺達はお釣りとして、皆ばらばらに日本各地に散って行った、と思う。後のことはもう誰にも分からないのだから。分かっているのは自分が何処へ行ったのかといったことだけだ。
 今頃、あの頃の仲間はどこへ行ったのだろうか。
 木霊に扱われているだろうか。
 動物に飲み込まれたり、汚泥に落ちたりはしていないだろうか。
 あの頃の仲間のことを思うと、俺は胸が張り裂けそうな気がした。
 俺は今まで、回った日本各地のことを思い出した。
 タバコ屋からスタートして、おっさんの財布に入った。おっさんの財布はずいぶんと汚かったなあ。
 おっさんは旅先の神社で俺を賽銭箱へと入れた。
 賽銭箱には数多くの小銭がいたが、よその土地からいきなり来た俺にずいぶんと他の小銭達はきつく当たった。俺の他にもよその土地から来た奴はたくさんいたのになんでだろうか。
 もしかして今思うと、俺は臭かったのかもしれない。
 おっさんはいつもタバコを吸っていたし、股間をまさぐった、小便の付いた手でよく俺をいじくり回していたっけ。
 神社で回収された時、俺はそういえば住職に汚いといった理由で外の川で洗われたんだよな。
 その時、住職は手を滑らせて、俺を川に落っことした。
 住職は「まあいっか」って言って、俺を見捨てたんだ。
 川の中はとても冷たかった。
 川の中から見上げる空は滲んでいてよく見えなかった。
 自分がどんどんと腐食していくのを俺は感じていたよ。
 でも、俺は拾われた。カラスに。
 そのカラスは金属を集めるのが趣味らしく、俺を咥えると高々と、空へと舞い上がり、フクロウや鳩、虫や木々のざわめき、風の音しか聞こえないような静寂の森へと俺を連れて行った。
 その森の一角にある、町が見下ろせる高い木の上に俺は置かれた。
 そこには数々の五十円玉や百円玉があり、一円や十円、もちろん五円もいなかった。
 俺はがっくりと肩を落とした。
 銀色に光り輝く硬貨に一つだけやってきた茶色の俺。どう、誰が見ても場違いだった。
 俺の予想通り、俺は五十円と百円玉に爪弾きにされた。
 俺が話しかけても、五十円や百円の奴等は無視をして、同じ銀色の仲間同士で、楽しげに会話をしている。
 まるで俺だけが世界に取り残されたような感覚。
 俺はその日から話すことを止め、感情を捨てた。
 晴れの日も、雨の日も、雪の日も、雷の日も、俺はただただぼんやりと空を眺め続けていた。
 そんなある日、カラスがまたいつものように天から戻ってきた。
 俺は目を疑った。
 ご、五円玉?
 カラスが五円玉を咥えて戻ってきたのだ。
 嘘だろ。嘘だろ。
 麻痺していた感情が、戻っていくのを感じた。
 カラスは五円玉を俺の隣に置いた。
「あら、初めまして」
 その五円玉は軽快な、晴れ渡った空のような透き通った声音で俺に言った。
「は、初めまして」
 その五円玉はまだ生まれたばかりのようで、まだピカピカに光沢を放っていた。
「あら、あなたずいぶんと汚れていらっしゃるのね」
「ああ、すまんな。こんな汚い奴で」
「ウフフッ。そんなことないわよ。私汚い硬貨、嫌いじゃないわよ。色々と旅をしてきた証拠ですもの」
「そ、そうか」
「ねえ、あなたもしよろしければ、あなたが今までしてきた旅の話を私にして下さらない?」
「ああ、俺の話で良ければ、いくらでもするよ」
 俺は新しくやってきた五円玉に今までの旅話を語り始めた。
 新らしい五円玉は俺の話を真剣な様子で聞いていた。
 どこか遠くで雀がチュンっと鳴いて、俺に朝の訪れを告げていた。

しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...