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後日談
陽のあたる坂道 4
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「――おゆいちゃん!おけいちゃん!」
そうこういるうちに賑やかな気配がして、先ほど通ってきた畦道の方角からご近所の猪助一家がやってきた。女ばかり三人姉妹の長女は最近父親が炭を卸している店の息子と縁談がまとまり、時折、るいに行儀作法を習いに来ている。娘の嫁入りが決まってほっとする反面、あの跳ねっ返りが人の妻に……と寂しくも感じている父親の姿は、間違いなく、そう遠くない未来の雅勝自身の姿でもある。
「まあ、綺麗な秋茄子。油揚げまで。ありがとうございます。でもこんなにもらっていいんですか?」
「こないだ樋口様が、うちの障子を直してくれたお礼よ。まったくうちの宿六ときたら、酔っぱらって乱暴に閉めるもんだからさ。しかも壊すだけで、直すってことができないんだから。樋口様がうらやましいわ、まったく」
「おみよちゃん、おさよちゃん、あっちで一緒に遊ぼう!」
「おゆいちゃんちょっと待って。ねえねえ、おるいおばさん。おけいちゃん、抱っこしてもいい?」
女三人寄れば姦しいとはよく言ったものだが、三人どころか両家の妻を含めて六人――赤子もいれると七人もいるので、その騒々しさたるや姦しいを通り越してすさまじい。葉を落とした枝の上で休んでいた鳥たちが、驚いて一斉に飛び去って行くほどの勢いである。猪助は生まれた時には父なし子だったゆいの父親代わりを勤めてくれていて、家族ぐるみで付き合っている。恩義も感じているし人として尊敬もしている。同時に二つの家における男性と女性の比率がありえない割合の為、数の少ない肩身の狭いもの同士としての感情もあった。
「……樋口殿のところの下のお子には期待していたのだがなぁ。お宅はまだ二人とも若いから、ぜひとも三人目には男子をお願いしたいものだ」
「前にも言ったと思うが、人の家の子の性別に勝手に期待をするのはやめてもらいたい。――息子が欲しいのなら、自分で挑戦すればよかろう」
猪助の妻はまだ三十代であり、子どもを望めない年齢ではない。世間では年の離れた末っ子を「恥かきっこ」などと揶揄するむきもあるが、猪助は次の里長候補と目されるほど甲斐性のある男だから、もう一人くらい子がいても何の問題もないだろう。
「いやぁ、三人目までは俺もそう思って頑張ったんだけどさ。これからもう一人こさえてもなぁ……また娘が生まれちまいそうで」
「それはうちも同じ気がするのだが……」
互いの妻が聞いたなら、命懸けで産むのはこちらだと目をむいて怒り出すこと確実なので、肩身の狭い男同士、ささやき声で語り合った。男が生まれるか女は生まれるかは天の配剤である。そういえばこないだ、里で暮らす若夫婦にめでたく元気な男児が生まれたと聞いたから、きっと広い世のどこかには、男ばかりが生まれている家もあるのだろう。そうでなければ、娘達の嫁ぎ先がなくなってしまう。
「そういえば先日、お宅に外からの客人があったようだが、あの客人はこれからもたびたびやって来るのか?」
さすがは次期里長候補殿である。先ほどまでの情けなくも慈愛に溢れた父親の顔はなく、険しい眼光には忍び特有の底光りするような鋭さがある。どうやらそのことを確かめる為に、妻子を連れて家族総出で訪ねてきたらしい。
「……昔の知り合い、いや、弟のような者だ。丁重にもてなして帰ってもらったから、もう二度とこの里に来ることはないはずだ」
――行仁、お前は忠雅のことを見くびっていないか。あいつが本当に俺の力を必要としているのなら、自分でそう言って寄越すはずだ。影衆なんてものはなくとも、あいつなら己の力で為すべきことを成し遂げる。清水忠雅はそういう男だ。
義父はなかなか手広く商売を行っており、その手伝いをしている雅勝も最低限の世の流れは把握している。第四代藩主・武智雅久の死によって君水藩は消滅した。明野領が君水藩の一部であることを逆手に取った雅久が死の直前、その土地を弟の武智行久に譲ってしまった為、明野領の自治はかろうじて守られたが、最近、領主の行久が病に伏し、後を継ぐべき男子はいない。明野領の家老職である忠雅が難しい立場に立たされていることは、想像がついていた。
だが雅勝は行仁の誘いを断った。隠密稼業はもうこりごりだという己の心情はもちろん、忠雅自身が求めていないのにしゃしゃり出たところで、良い目は出ないと判断したからだ。
もしも忠雅が自ら、雅勝に力を貸して欲しいと求めてきたならば。その時には何を置いてでも手を差し伸べようと思っている。そのことについては既に夫婦で話し合い、るいもまた「清水様を助ける為であれば、家のことは気にせずに行ってくれ」と言ってくれた。だが忠雅の性格を考えると、この先何が起こっても、雅勝にだけは何も言って来ないような気がしないでもない。
「……そうか。樋口殿はこの里に骨を埋める覚悟したか」
「いや、覚悟も何も俺にはここより他に行くところなどないからな……頼むから、追い出さないでもらいたい」
ちなみに「丁重に」という言葉は嘘でも偽りでも何でもない。久しぶりの再会だし、せっかくここまで来たのだからと家に入れて飯を食わせてやったら、人見知りもなければ物怖じもしないゆいに遊んでくれ、町の話を聞かせてくれ、海とはどんなところかとまとわりつかれて大汗をかいていた。しまいには膝の上でけいに大泣きされて、一刻もたたないうちにほとんど逃げるようにして帰って行ったから、もう自主的にやってくることはないだろう。後でるいに、我が子を嫌がらせの道具に使うなと叱られたが、嫌がらせをしたつもりは毛頭ない。多分そうなると思って子ども達をけしかけたのは事実だが、奴だってこの先、好いた女と所帯を持って子を儲けることがあるだろうから、将来の為のよい経験としてもらいたい。
「お母様!けいがおしっこしちゃった!」
「襁褓を変えるから、こっちに連れてきて!」
昨年の冬には晴れた雪の朝に、娘と雪遊びをするという楽しさを教えてもらった。雪が溶ける頃には山で山菜を取り、青葉の季節には里人総出で田植えをして――その頃にはきっと下の娘も元気に歩き回っていることだろう。
誰に命じられたわけでも、押し付けられたわけでもない。生まれて初めて得た己の居場所。いずれ地獄に落ちるその時まで、今ここにある幸せを全身全霊で守って行こう。
暖かな陽射しと青い空。笑っている妻と娘。今日の後に続いて行く明日。
――本当に欲しかったものが、ここにあった。
そうこういるうちに賑やかな気配がして、先ほど通ってきた畦道の方角からご近所の猪助一家がやってきた。女ばかり三人姉妹の長女は最近父親が炭を卸している店の息子と縁談がまとまり、時折、るいに行儀作法を習いに来ている。娘の嫁入りが決まってほっとする反面、あの跳ねっ返りが人の妻に……と寂しくも感じている父親の姿は、間違いなく、そう遠くない未来の雅勝自身の姿でもある。
「まあ、綺麗な秋茄子。油揚げまで。ありがとうございます。でもこんなにもらっていいんですか?」
「こないだ樋口様が、うちの障子を直してくれたお礼よ。まったくうちの宿六ときたら、酔っぱらって乱暴に閉めるもんだからさ。しかも壊すだけで、直すってことができないんだから。樋口様がうらやましいわ、まったく」
「おみよちゃん、おさよちゃん、あっちで一緒に遊ぼう!」
「おゆいちゃんちょっと待って。ねえねえ、おるいおばさん。おけいちゃん、抱っこしてもいい?」
女三人寄れば姦しいとはよく言ったものだが、三人どころか両家の妻を含めて六人――赤子もいれると七人もいるので、その騒々しさたるや姦しいを通り越してすさまじい。葉を落とした枝の上で休んでいた鳥たちが、驚いて一斉に飛び去って行くほどの勢いである。猪助は生まれた時には父なし子だったゆいの父親代わりを勤めてくれていて、家族ぐるみで付き合っている。恩義も感じているし人として尊敬もしている。同時に二つの家における男性と女性の比率がありえない割合の為、数の少ない肩身の狭いもの同士としての感情もあった。
「……樋口殿のところの下のお子には期待していたのだがなぁ。お宅はまだ二人とも若いから、ぜひとも三人目には男子をお願いしたいものだ」
「前にも言ったと思うが、人の家の子の性別に勝手に期待をするのはやめてもらいたい。――息子が欲しいのなら、自分で挑戦すればよかろう」
猪助の妻はまだ三十代であり、子どもを望めない年齢ではない。世間では年の離れた末っ子を「恥かきっこ」などと揶揄するむきもあるが、猪助は次の里長候補と目されるほど甲斐性のある男だから、もう一人くらい子がいても何の問題もないだろう。
「いやぁ、三人目までは俺もそう思って頑張ったんだけどさ。これからもう一人こさえてもなぁ……また娘が生まれちまいそうで」
「それはうちも同じ気がするのだが……」
互いの妻が聞いたなら、命懸けで産むのはこちらだと目をむいて怒り出すこと確実なので、肩身の狭い男同士、ささやき声で語り合った。男が生まれるか女は生まれるかは天の配剤である。そういえばこないだ、里で暮らす若夫婦にめでたく元気な男児が生まれたと聞いたから、きっと広い世のどこかには、男ばかりが生まれている家もあるのだろう。そうでなければ、娘達の嫁ぎ先がなくなってしまう。
「そういえば先日、お宅に外からの客人があったようだが、あの客人はこれからもたびたびやって来るのか?」
さすがは次期里長候補殿である。先ほどまでの情けなくも慈愛に溢れた父親の顔はなく、険しい眼光には忍び特有の底光りするような鋭さがある。どうやらそのことを確かめる為に、妻子を連れて家族総出で訪ねてきたらしい。
「……昔の知り合い、いや、弟のような者だ。丁重にもてなして帰ってもらったから、もう二度とこの里に来ることはないはずだ」
――行仁、お前は忠雅のことを見くびっていないか。あいつが本当に俺の力を必要としているのなら、自分でそう言って寄越すはずだ。影衆なんてものはなくとも、あいつなら己の力で為すべきことを成し遂げる。清水忠雅はそういう男だ。
義父はなかなか手広く商売を行っており、その手伝いをしている雅勝も最低限の世の流れは把握している。第四代藩主・武智雅久の死によって君水藩は消滅した。明野領が君水藩の一部であることを逆手に取った雅久が死の直前、その土地を弟の武智行久に譲ってしまった為、明野領の自治はかろうじて守られたが、最近、領主の行久が病に伏し、後を継ぐべき男子はいない。明野領の家老職である忠雅が難しい立場に立たされていることは、想像がついていた。
だが雅勝は行仁の誘いを断った。隠密稼業はもうこりごりだという己の心情はもちろん、忠雅自身が求めていないのにしゃしゃり出たところで、良い目は出ないと判断したからだ。
もしも忠雅が自ら、雅勝に力を貸して欲しいと求めてきたならば。その時には何を置いてでも手を差し伸べようと思っている。そのことについては既に夫婦で話し合い、るいもまた「清水様を助ける為であれば、家のことは気にせずに行ってくれ」と言ってくれた。だが忠雅の性格を考えると、この先何が起こっても、雅勝にだけは何も言って来ないような気がしないでもない。
「……そうか。樋口殿はこの里に骨を埋める覚悟したか」
「いや、覚悟も何も俺にはここより他に行くところなどないからな……頼むから、追い出さないでもらいたい」
ちなみに「丁重に」という言葉は嘘でも偽りでも何でもない。久しぶりの再会だし、せっかくここまで来たのだからと家に入れて飯を食わせてやったら、人見知りもなければ物怖じもしないゆいに遊んでくれ、町の話を聞かせてくれ、海とはどんなところかとまとわりつかれて大汗をかいていた。しまいには膝の上でけいに大泣きされて、一刻もたたないうちにほとんど逃げるようにして帰って行ったから、もう自主的にやってくることはないだろう。後でるいに、我が子を嫌がらせの道具に使うなと叱られたが、嫌がらせをしたつもりは毛頭ない。多分そうなると思って子ども達をけしかけたのは事実だが、奴だってこの先、好いた女と所帯を持って子を儲けることがあるだろうから、将来の為のよい経験としてもらいたい。
「お母様!けいがおしっこしちゃった!」
「襁褓を変えるから、こっちに連れてきて!」
昨年の冬には晴れた雪の朝に、娘と雪遊びをするという楽しさを教えてもらった。雪が溶ける頃には山で山菜を取り、青葉の季節には里人総出で田植えをして――その頃にはきっと下の娘も元気に歩き回っていることだろう。
誰に命じられたわけでも、押し付けられたわけでもない。生まれて初めて得た己の居場所。いずれ地獄に落ちるその時まで、今ここにある幸せを全身全霊で守って行こう。
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