茜さす

横山美香

文字の大きさ
上 下
93 / 102
後日談

陽のあたる坂道 1

しおりを挟む
 秋が終わろうとしていた。
 先日まで、重たげに首を垂れていた稲穂は既に大半が刈り取られ、どこか荒涼とした田畑に、落穂を拾いにきた鳥たちが次々と舞い降りている。その鳥を狙った山の獣――狐や蛇だけでなく、手製の弓矢や罠を持った里の子ども達もいた――が襲いかかると、けたたましい鳴き声を響かせ空に舞い上がった。乾いた風が吹き抜ける空の青は色味が薄く、ところどころに秋特有の薄雲が、吹き流しの蜘蛛の糸のように棚引いている。山の冬は平地より早く訪れるから、この分ではもう間もなく、山頂に初雪が見られることだろう。
 田畑のあぜ道を抜けて森に入ると、一瞬、ぶるりと身震いが出た。単に陽の射さない林道の空気が冷えていたわけではない。これは来るな……と思ったら、足元に拳大の石の礫が跳んできた。先ほどから、つかず離れず一定の距離を保ってこちらの様子をうかがっていた気配が急激に迫って来て、葉を落とした木の枝が音を立ててしなっている。
 斜め背後からの鋭い突きあげを、雅勝は身をよじることで避けた。敵の構えた白刃が、わずかな木漏れ日を弾いてぎらりと瞬く。少しくらい体勢を整える間があるかと思ったら、思いの他素早い動きで再び斬りかかってきた。身体を低くして相手の懐入り込むみ、刀を構えた腕を掴んで捩じ上げる。刃を取り落した襲撃者は低く呻き、久しく聞いていなかった呼び方で彼を呼んだ。
「久しぶりだな――雅勝兄者」
「行仁、お前、何の用でこの里に来た?……忠雅に命じられたのか?」
 そこにいたのはかつて、雅勝が君水藩明野領で隠密である影衆であった頃に、弟分であった若者だった。最後に会ったのは明野領清水家の邸を出た時のことだから、もう三、四年は昔のことだ。確か今は清水家の家来として、家長である清水忠雅の側近くに仕えていたはずだった。
「いや、忠雅兄者は何も知らない。しかし、腕は落ちてないようだな。安心したよ」
「俺を試したつもりか?――やめておけ。何度試したところで、お前に俺は斬れん」
 今でも農作業や商売の合間に鍛錬は欠かしていないし、この一見のどかな山里は元忍びの里なので、打ち合う相手には事欠かない。実戦の勘は多少落ちたが、今でも現役の隠密の頃とさほど変わらぬ力量を保っている。義父に付き従って山を下りる時以外、普段の生活で刀を持ち歩いていないが、今、雅勝が刀を抜いていたならば間違いなく、斬られていたのは行仁の側だ。
「兄者は、それだけの腕をずっとこんな山奥に埋めておくつもりなのか?」
「……何の話をしている?」
 この里が山奥であることは紛れもない事実だが、ようやく得た安住の地を「こんな山奥」と言われれば、正直腹も立つ。だがそんなことより何よりも、本気で今、元弟分の言っていることが理解できなかった。雅勝はかつて彼らを裏切った身だ。影衆を統括する次席家老が幼馴染であったが為、その温情によって放逐されてこの山里にやってきた。再び明野領に足を踏み入れることはまかりならんと言われていたし、正直、もう二度と、明野領にも影衆にも係りたくはなかった。
「今、忠雅兄が大変なんだ。頼む、雅勝兄。俺と一緒に明野領に来てくれ。もう一度、俺たちと一緒に……今度は忠雅兄者の為に、影衆として働こう――」
 思いもしていなかった言葉に目を見開く。それは雅勝が捨て去った――捨て去ろうとした過去からの誘いだった。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

お江戸を指南所

朝山みどり
歴史・時代
千夏の家の門札には「お江戸を指南所」とおどけた字で書いてある。 千夏はお父様とお母様の三人家族だ。お母様のほうのお祖父様はおみやげを持ってよく遊びに来る。 そのお祖父様はお父様のことを得体の知れない表六玉と呼んでいて、お母様は失礼ね。人の旦那様のことをと言って笑っている。 そんな千夏の家の隣りに、「坊ちゃん」と呼ばれる青年が引っ越して来た。 お父様は最近、盗賊が出るからお隣りに人が来てよかったと喜こぶが、千夏は「坊ちゃん」はたいして頼りにならないと思っている。 そんなある日、友達のキヨちゃんが行儀見習いに行くことが決まり、二人は久しぶりに会った。 二人はお互いの成長を感じた。それは嬉しくてちょっと寂しいことだった。 そして千夏は「坊ちゃん」と親しくなるが、お隣りの幽霊騒ぎは盗賊の手がかりとなり、キヨちゃんが盗賊の手引きをする?まさか・・・

おっとりドンの童歌

花田 一劫
児童書・童話
いつもおっとりしているドン(道明寺僚) が、通学途中で暴走車に引かれてしまった。 意識を失い気が付くと、この世では見たことのない奇妙な部屋の中。 「どこ。どこ。ここはどこ?」と自問していたら、こっちに雀が近づいて来た。 なんと、その雀は歌をうたい狂ったように踊って(跳ねて)いた。 「チュン。チュン。はあ~。らっせーら。らっせいら。らせらせ、らせーら。」と。 その雀が言うことには、ドンが死んだことを(津軽弁や古いギャグを交えて)伝えに来た者だという。 道明寺が下の世界を覗くと、テレビのドラマで観た昔話の風景のようだった。 その中には、自分と瓜二つのドン助や同級生の瓜二つのハナちゃん、ヤーミ、イート、ヨウカイ、カトッぺがいた。 みんながいる村では、ヌエという妖怪がいた。 ヌエとは、顔は鬼、身体は熊、虎の手や足をもち、何とシッポの先に大蛇の頭がついてあり、人を食べる恐ろしい妖怪のことだった。 ある時、ハナちゃんがヌエに攫われて、ドン助とヤーミがヌエを退治に行くことになるが、天界からドラマを観るように楽しんで鑑賞していた道明寺だったが、道明寺の体は消え、意識はドン助の体と同化していった。 ドン助とヤーミは、ハナちゃんを救出できたのか?恐ろしいヌエは退治できたのか?

鷹の翼

那月
歴史・時代
時は江戸時代幕末。 新選組を目の敵にする、というほどでもないが日頃から敵対する1つの組織があった。 鷹の翼 これは、幕末を戦い抜いた新選組の史実とは全く関係ない鷹の翼との日々。 鷹の翼の日常。日課となっている嫌がらせ、思い出したかのようにやって来る不定期な新選組の奇襲、アホな理由で勃発する喧嘩騒動、町の騒ぎへの介入、それから恋愛事情。 そんな毎日を見届けた、とある少女のお話。 少女が鷹の翼の門扉を、めっちゃ叩いたその日から日常は一変。 新選組の屯所への侵入は失敗。鷹の翼に曲者疑惑。崩れる家族。鷹の翼崩壊の危機。そして―― 複雑な秘密を抱え隠す少女は、鷹の翼で何を見た? なお、本当に史実とは別次元の話なので容姿、性格、年齢、話の流れ等は完全オリジナルなのでそこはご了承ください。 よろしくお願いします。

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

北条氏政転生 関八州どころか東日本は全部俺の物 西は信長に任せて俺は歴史知識を利用して天下統一を手助けします。

ヒバリ
ファンタジー
1〜20までスカウトや内政ターン 20〜33まで戦タイム 安房攻め 34〜49戦後処理と内政 目標11/3日までに書き溜め 50〜61河東の戦い1 62〜70河東の戦い2 71〜80河東の戦い3 81〜85河東の戦い 後始末 86〜 川越夜戦 やばい、話の準備してるとどんどん内容が増えて予定通りにいかんのだがー? 時代物が好きなのでかきました。 史実改変物です。基本的な大きな歴史事件は史実通りに起こります。しかし、細かい戦や自分から仕掛ける戦はべつです。関東に詳しくなく細かい領地の石高や農業に関することはわからないのでご都合主義ですしある程度は史実とは違うことをするので全体的にご都合主義です。 北条氏親がいない世界線です。変更はこれだけです。あとは時代知識を使って漁夫の利を桶狭間でとったり、河東を強化して領内を強くして川越夜戦の援軍に駆けつけて関東統一にのりだします。史実通り豊後に来たポルトガル船を下田に呼んで史実より早めの鉄砲入手や、浪人になったり登用される前の有名武将をスカウトしたりします。ある程度は調べていますが細かい武将までは知りません。こういう武将がいてこんなことしましたよ!とか意見ください。私の好きなものを書きます。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

超克の艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
「合衆国海軍ハ 六〇〇〇〇トン級戦艦ノ建造ヲ計画セリ」 米国駐在武官からもたらされた一報は帝国海軍に激震をもたらす。 新型戦艦の質的アドバンテージを失ったと判断した帝国海軍上層部はその設計を大幅に変更することを決意。 六四〇〇〇トンで建造されるはずだった「大和」は、しかしさらなる巨艦として誕生する。 だがしかし、米海軍の六〇〇〇〇トン級戦艦は誤報だったことが後に判明。 情報におけるミスが組織に致命的な結果をもたらすことを悟った帝国海軍はこれまでの態度を一変、貪欲に情報を収集・分析するようになる。 そして、その情報重視への転換は、帝国海軍の戦備ならびに戦術に大いなる変化をもたらす。

処理中です...