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後日談
陽のあたる坂道 1
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秋が終わろうとしていた。
先日まで、重たげに首を垂れていた稲穂は既に大半が刈り取られ、どこか荒涼とした田畑に、落穂を拾いにきた鳥たちが次々と舞い降りている。その鳥を狙った山の獣――狐や蛇だけでなく、手製の弓矢や罠を持った里の子ども達もいた――が襲いかかると、けたたましい鳴き声を響かせ空に舞い上がった。乾いた風が吹き抜ける空の青は色味が薄く、ところどころに秋特有の薄雲が、吹き流しの蜘蛛の糸のように棚引いている。山の冬は平地より早く訪れるから、この分ではもう間もなく、山頂に初雪が見られることだろう。
田畑のあぜ道を抜けて森に入ると、一瞬、ぶるりと身震いが出た。単に陽の射さない林道の空気が冷えていたわけではない。これは来るな……と思ったら、足元に拳大の石の礫が跳んできた。先ほどから、つかず離れず一定の距離を保ってこちらの様子をうかがっていた気配が急激に迫って来て、葉を落とした木の枝が音を立ててしなっている。
斜め背後からの鋭い突きあげを、雅勝は身をよじることで避けた。敵の構えた白刃が、わずかな木漏れ日を弾いてぎらりと瞬く。少しくらい体勢を整える間があるかと思ったら、思いの他素早い動きで再び斬りかかってきた。身体を低くして相手の懐入り込むみ、刀を構えた腕を掴んで捩じ上げる。刃を取り落した襲撃者は低く呻き、久しく聞いていなかった呼び方で彼を呼んだ。
「久しぶりだな――雅勝兄者」
「行仁、お前、何の用でこの里に来た?……忠雅に命じられたのか?」
そこにいたのはかつて、雅勝が君水藩明野領で隠密である影衆であった頃に、弟分であった若者だった。最後に会ったのは明野領清水家の邸を出た時のことだから、もう三、四年は昔のことだ。確か今は清水家の家来として、家長である清水忠雅の側近くに仕えていたはずだった。
「いや、忠雅兄者は何も知らない。しかし、腕は落ちてないようだな。安心したよ」
「俺を試したつもりか?――やめておけ。何度試したところで、お前に俺は斬れん」
今でも農作業や商売の合間に鍛錬は欠かしていないし、この一見のどかな山里は元忍びの里なので、打ち合う相手には事欠かない。実戦の勘は多少落ちたが、今でも現役の隠密の頃とさほど変わらぬ力量を保っている。義父に付き従って山を下りる時以外、普段の生活で刀を持ち歩いていないが、今、雅勝が刀を抜いていたならば間違いなく、斬られていたのは行仁の側だ。
「兄者は、それだけの腕をずっとこんな山奥に埋めておくつもりなのか?」
「……何の話をしている?」
この里が山奥であることは紛れもない事実だが、ようやく得た安住の地を「こんな山奥」と言われれば、正直腹も立つ。だがそんなことより何よりも、本気で今、元弟分の言っていることが理解できなかった。雅勝はかつて彼らを裏切った身だ。影衆を統括する次席家老が幼馴染であったが為、その温情によって放逐されてこの山里にやってきた。再び明野領に足を踏み入れることはまかりならんと言われていたし、正直、もう二度と、明野領にも影衆にも係りたくはなかった。
「今、忠雅兄が大変なんだ。頼む、雅勝兄。俺と一緒に明野領に来てくれ。もう一度、俺たちと一緒に……今度は忠雅兄者の為に、影衆として働こう――」
思いもしていなかった言葉に目を見開く。それは雅勝が捨て去った――捨て去ろうとした過去からの誘いだった。
先日まで、重たげに首を垂れていた稲穂は既に大半が刈り取られ、どこか荒涼とした田畑に、落穂を拾いにきた鳥たちが次々と舞い降りている。その鳥を狙った山の獣――狐や蛇だけでなく、手製の弓矢や罠を持った里の子ども達もいた――が襲いかかると、けたたましい鳴き声を響かせ空に舞い上がった。乾いた風が吹き抜ける空の青は色味が薄く、ところどころに秋特有の薄雲が、吹き流しの蜘蛛の糸のように棚引いている。山の冬は平地より早く訪れるから、この分ではもう間もなく、山頂に初雪が見られることだろう。
田畑のあぜ道を抜けて森に入ると、一瞬、ぶるりと身震いが出た。単に陽の射さない林道の空気が冷えていたわけではない。これは来るな……と思ったら、足元に拳大の石の礫が跳んできた。先ほどから、つかず離れず一定の距離を保ってこちらの様子をうかがっていた気配が急激に迫って来て、葉を落とした木の枝が音を立ててしなっている。
斜め背後からの鋭い突きあげを、雅勝は身をよじることで避けた。敵の構えた白刃が、わずかな木漏れ日を弾いてぎらりと瞬く。少しくらい体勢を整える間があるかと思ったら、思いの他素早い動きで再び斬りかかってきた。身体を低くして相手の懐入り込むみ、刀を構えた腕を掴んで捩じ上げる。刃を取り落した襲撃者は低く呻き、久しく聞いていなかった呼び方で彼を呼んだ。
「久しぶりだな――雅勝兄者」
「行仁、お前、何の用でこの里に来た?……忠雅に命じられたのか?」
そこにいたのはかつて、雅勝が君水藩明野領で隠密である影衆であった頃に、弟分であった若者だった。最後に会ったのは明野領清水家の邸を出た時のことだから、もう三、四年は昔のことだ。確か今は清水家の家来として、家長である清水忠雅の側近くに仕えていたはずだった。
「いや、忠雅兄者は何も知らない。しかし、腕は落ちてないようだな。安心したよ」
「俺を試したつもりか?――やめておけ。何度試したところで、お前に俺は斬れん」
今でも農作業や商売の合間に鍛錬は欠かしていないし、この一見のどかな山里は元忍びの里なので、打ち合う相手には事欠かない。実戦の勘は多少落ちたが、今でも現役の隠密の頃とさほど変わらぬ力量を保っている。義父に付き従って山を下りる時以外、普段の生活で刀を持ち歩いていないが、今、雅勝が刀を抜いていたならば間違いなく、斬られていたのは行仁の側だ。
「兄者は、それだけの腕をずっとこんな山奥に埋めておくつもりなのか?」
「……何の話をしている?」
この里が山奥であることは紛れもない事実だが、ようやく得た安住の地を「こんな山奥」と言われれば、正直腹も立つ。だがそんなことより何よりも、本気で今、元弟分の言っていることが理解できなかった。雅勝はかつて彼らを裏切った身だ。影衆を統括する次席家老が幼馴染であったが為、その温情によって放逐されてこの山里にやってきた。再び明野領に足を踏み入れることはまかりならんと言われていたし、正直、もう二度と、明野領にも影衆にも係りたくはなかった。
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思いもしていなかった言葉に目を見開く。それは雅勝が捨て去った――捨て去ろうとした過去からの誘いだった。
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