68 / 102
第二部3
3-1
しおりを挟む
山の季節は平地より早く移り変わる。
大きな黒い鳥居をくぐり抜け、山道に入ると、木々の葉は完全に色づいた。
紅葉は鮮やかに赤く、銀杏の黄色も目に沁みる程に美しい。枝から枝へと走り回る栗鼠は口に木の実をたくさん含んでいて、時折、丸い目をきょとんと見開いてこちらを見下ろしてくる姿がやけに愛らしかった。
しばらくそのまま歩いて行くと、やがて山の斜面に段々畑と田んぼが見えてきた。そろそろ収穫の季節なのだろう。さほど広くない田んぼでは黄金色の稲穂が実り、重そうに首を垂れている。炭を焼いているのか、いくつかの小屋からは煙が上がり、火の番をしている人の気配がした。
この里は忍びの里であり、長らく部外者は立ち入ることができなかった。太平の世が訪れ、忍びの業だけでは暮らして行くことができないと判断した里長は、他所の人間に里を開き、この地に沸く眼病の湯や薬草を広く商うようになった。忠雅をこの地まで案内してくれたのも、そんな薬草を扱う行商人の一人である。
目的の人物は里長の娘だと聞いていたので、里の中心にある館にいるかと思ったのだが、館にいた女性達が、彼女は既に実家を出て、少し離れたところにある家で暮していると教えてくれた。教えられた通りに細い道を少し歩くと、藁ぶき屋根の小さな家に行き当った。家の前はささやかな畑になっていて、鶏が数羽、こっこっこ……と餌を啄んでいる。足音に気づいたのだろう。着物の袖をたすき掛けにして、洗濯物を干していた若い女が、顔を上げてこちらを見た。
忠雅が最後に会った時、彼女はまだ十六歳の娘だった。今では十九歳の立派な女となって、以前より体に少し肉がついたようだ。もっともあの時の彼女は正気を失くして、可哀想なくらい痩せていたので、今くらいの方が正常だろう。髷を結わずに櫛巻きにした髪が、秋の陽射しに艶やかに光っている。
手甲脚絆に編み笠姿の忠雅がすぐに誰かわからなかったらしい。訝しそうに目を細めたおるいに向かって、忠雅は編み笠を取った。
「――おるい、久しぶりだな」
「え、清水様、どうしてこちらに……?」
それは忠雅がおおよそ三年ぶりに会う、友の許嫁の姿だった。
大きな黒い鳥居をくぐり抜け、山道に入ると、木々の葉は完全に色づいた。
紅葉は鮮やかに赤く、銀杏の黄色も目に沁みる程に美しい。枝から枝へと走り回る栗鼠は口に木の実をたくさん含んでいて、時折、丸い目をきょとんと見開いてこちらを見下ろしてくる姿がやけに愛らしかった。
しばらくそのまま歩いて行くと、やがて山の斜面に段々畑と田んぼが見えてきた。そろそろ収穫の季節なのだろう。さほど広くない田んぼでは黄金色の稲穂が実り、重そうに首を垂れている。炭を焼いているのか、いくつかの小屋からは煙が上がり、火の番をしている人の気配がした。
この里は忍びの里であり、長らく部外者は立ち入ることができなかった。太平の世が訪れ、忍びの業だけでは暮らして行くことができないと判断した里長は、他所の人間に里を開き、この地に沸く眼病の湯や薬草を広く商うようになった。忠雅をこの地まで案内してくれたのも、そんな薬草を扱う行商人の一人である。
目的の人物は里長の娘だと聞いていたので、里の中心にある館にいるかと思ったのだが、館にいた女性達が、彼女は既に実家を出て、少し離れたところにある家で暮していると教えてくれた。教えられた通りに細い道を少し歩くと、藁ぶき屋根の小さな家に行き当った。家の前はささやかな畑になっていて、鶏が数羽、こっこっこ……と餌を啄んでいる。足音に気づいたのだろう。着物の袖をたすき掛けにして、洗濯物を干していた若い女が、顔を上げてこちらを見た。
忠雅が最後に会った時、彼女はまだ十六歳の娘だった。今では十九歳の立派な女となって、以前より体に少し肉がついたようだ。もっともあの時の彼女は正気を失くして、可哀想なくらい痩せていたので、今くらいの方が正常だろう。髷を結わずに櫛巻きにした髪が、秋の陽射しに艶やかに光っている。
手甲脚絆に編み笠姿の忠雅がすぐに誰かわからなかったらしい。訝しそうに目を細めたおるいに向かって、忠雅は編み笠を取った。
「――おるい、久しぶりだな」
「え、清水様、どうしてこちらに……?」
それは忠雅がおおよそ三年ぶりに会う、友の許嫁の姿だった。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
伏線回収の夏
影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は15年ぶりにT県N市にある古い屋敷を訪れた。某大学の芸術学部でクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。かつての同級生の不審死。消えた犯人。屋敷のアトリエにナイフで刻まれた無数のXの傷。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の六人は、大学時代にこの屋敷で共に芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。グループの中に犯人はいるのか? 脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。
《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》

獅子の末裔
卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。
和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。
前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。
南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳
勇内一人
歴史・時代
第9回歴史・時代小説大賞奨励賞受賞作品に2024年6月1日より新章「材木商桧木屋お七の訴え」を追加しています(続きではなく途中からなので、わかりづらいかもしれません)
南町奉行所吟味方与力の貞永平一郎の一人息子、正太郎はお多福風邪にかかり両耳の聴覚を失ってしまう。父の跡目を継げない彼は吟味方書物役見習いとして南町奉行所に勤めている。ある時から聞こえない正太郎の耳が死者の声を拾うようになる。それは犯人や証言に不服がある場合、殺された本人が異議を唱える声だった。声を頼りに事件を再捜査すると、思わぬ真実が発覚していく。やがて、平一郎が喧嘩の巻き添えで殺され、正太郎の耳に亡き父の声が届く。
表紙はパブリックドメインQ 著作権フリー絵画:小原古邨 「月と蝙蝠」を使用しております。
2024年10月17日〜エブリスタにも公開を始めました。
暁のミッドウェー
三笠 陣
歴史・時代
一九四二年七月五日、日本海軍はその空母戦力の総力を挙げて中部太平洋ミッドウェー島へと進撃していた。
真珠湾以来の歴戦の六空母、赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴が目指すのは、アメリカ海軍空母部隊の撃滅。
一方のアメリカ海軍は、暗号解読によって日本海軍の作戦を察知していた。
そしてアメリカ海軍もまた、太平洋にある空母部隊の総力を結集して日本艦隊の迎撃に向かう。
ミッドウェー沖で、レキシントン、サラトガ、ヨークタウン、エンタープライズ、ホーネットが、日本艦隊を待ち構えていた。
日米数百機の航空機が入り乱れる激戦となった、日米初の空母決戦たるミッドウェー海戦。
その幕が、今まさに切って落とされようとしていた。
(※本作は、「小説家になろう」様にて連載中の同名の作品を転載したものです。)
竜頭
神光寺かをり
歴史・時代
幕末の信州上田藩。
藤井松平家の下級藩士・芦田家に、柔太郎と清次郎の兄弟が居た。
兄・柔太郎は儒学を学ぶため昌平黌《しょうへいこう》へ、弟・清次郎は数学を学ぶため瑪得瑪弟加塾《まてまてかじゅく》へ、それぞれ江戸遊学をした。
嘉永6年(1853年)、兄弟は十日の休暇をとって、浦賀まで「黒船の大きさを測定する」ための旅に向かう。
品川宿で待ち合わせをした兄弟であったが、弟・清次郎は約束の時間までにはやってこなかった。
時は経ち――。
兄・柔太郎は学問を終えて帰郷し、藩校で教鞭を執るようになった。
遅れて一時帰郷した清次郎だったが、藩命による出仕を拒み、遊学の延長を望んでいた。
----------
神童、数学者、翻訳家、兵学者、政治思想家、そして『人斬り半次郎』の犠牲者、赤松小三郎。
彼の懐にはある物が残されていた。
幕末期の兵学者・赤松小三郎先生と、その実兄で儒者の芦田柔太郎のお話。
※この作品は史実を元にしたフィクションです。
※時系列・人物の性格などは、史実と違う部分があります。
【ゆっくりのんびり更新中】
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
幕末博徒伝
雨川 海(旧 つくね)
歴史・時代
江戸時代、五街道の内の一つ、甲州街道が整備され、宿場町として賑わった勝沼は、天領、つまり、徳川幕府の直轄地として代官所が置かれていた。この頃、江戸幕府の財政は厳しく、役人の数も少なかったので、年貢の徴収だけで手がいっぱいになり、治安までは手が回らなかった。その為、近隣在所から無宿人、博徒、浪人などが流れ込み、無政府状態になっていた。これは、無頼の徒が活躍する任侠物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる