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第3章皇国編
第四部・再会 5話
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宿屋・湯煙亭は、全三階構成となっている。
一階は厨房や露天風呂、二部屋を繋げた大食堂と一番安価な宿泊用の個室。
二階は中堅クラスの宿泊用の個室と、従業員用の休憩室。
三階は最も高価な、最上クラスの宿泊用の個室。
各階には仲居が一人常駐しており、利用者の要望にすぐに応えられるようになっている。
アリシアが一階の廊下を歩きながら、ふと横に目をやる。雪見硝子から覗く、三又に分かれた老木が、空へ向かい雄々しくその身を示していた。その背後には、露天風呂から立ち上る湯気が見える。
デーンの後ろ姿を追いながら、階段を上っていく。
そうして四回階段を上り目的地への廊下を歩いていると、アリシア達の元に話し声が聞こえてきた。女性と子供の声だ。
声の主たちは喧嘩をしているのか、時折、怒鳴り声のように大きな声が聞こえる。
「なにやら不穏な雰囲気ですね……」
部屋の中から聞こえてきた声から、ただならぬ状況だと思ったのだろう。アルベラが神妙な面持ちを浮かべながら呟いた。
「片方はリオ君みたいですけど、もう一人は……フーさん?」
部屋の中から聞こえてくる声に聞き覚えのあったミーシャが首を傾げる。
「だれだ、それは」
「デーンさんの婚約者です」
フーという人物について訊ねて来たアルベラに、ミーシャが簡単に説明する。
「言動はキツイ感じの人ですけど、こんな風に怒鳴ったりはしない人です」
ミーシャの言葉にアルベラが眉間へと皺を寄せると、溜め息を吐きながら言う。
「現に怒鳴るような声が聞こえているのだが?」
「それは……何か理由があるんだと思います。そうでもなければ、無意味に怒鳴る人じゃないんです」
「意味があっても無くても構いません。リオ様の声が聞こえるということが事実である以上、それ以外は細事ですわ」
アリシアが勇み足に言う。どうやらアリシアの頭の中には、リオのことしか無いようだった。
リオがいること以外はどうでもよいことだと豪語したアリシアに、アルベラとミーシャが不安そうな瞳を向ける。今のアリシアは、リオがいなくなったばかりの頃に戻ったように見えたからだ。
「アリシア様。再会の瞬間を待ちわびるのは結構ですが、一人で突っ走る真似だけはやめてください」
「アリシアちゃん。興奮するのはわかるけど、一旦落ち着こう? ね?」
二人の言葉に、アリシアは背後を睨む。
「落ち着いていられるわけ…………そうですわね、ここに居る以上、リオ様は逃げませんもの」
「落ち着いていられるわけがないでしょう⁉」と吐き捨てようとしたアリシアが、大きく深呼吸する。
リオはもう目と鼻の先に居る。それならどうするべきなのか――
答えを求めたアリシアが、一つの答えに至る。
逃げない以上、一歩ずつ近づいていけばいい。焦る必要も、急ぐ必要もない。あそこにあるふすまを開ければ、そこにリオ様がいる。
部屋から聞こえてくる声は、次第に会話の内容が分かる距離になる。
「しょうもない嘘を吐かないでよ」
「嘘じゃないって言ってるだろう? すぐにデーンが連れて来るから」
「もういいんだ。こんな僕じゃみんなの役には立てないし、みんなも僕のことなんて忘れてる」
「そんなことはないって。本当に忘れてるんなら、わざわざ探しに来るわけがないだろう?」
「嘲笑いに来ただけかもしれないのに?」
「それならリオ、あんたには嘲笑われる理由があるのかい?」
「……わかんないよ」
直後、勢いよくふすまが開いた。溝に沿って開いたふすまは柱へとぶつかり、ガタン! と勢いよく音を立てる。
それから遅れること数秒。リオがふすまの方へと視線を向けながら、あんぐりと口を開けていた。
アリシアはそんなリオの姿を見て、胸を搔きむしられたような思いでいた。
美しかったはずの紫黒の瞳は輝きを失い、何もかもが他人事と思っているような表情。それはアリシアの知るリオとは別人のようだった。
「アリシア様……?」
リオが驚いた表情になる。アリシアは、目元から今にも零れ落ちそうな雫をこらえるために、目元を小さく震わせながら必死に耐えた。
まだリオ様のもとへ行っては、駄目。
喜びで駆け出したい本心を抑えながら、アリシアは口を開く。
「リオ様、先ほどの言葉は、本心ですか」
リオが辛い思いをしていたのにも関わらず、傍に居られなかった自分自身に腹を立てながら、アリシアは訊ねた。
「わからない。……もう、どうでもいいんだ」
リオは首を横に振りながら答える。
無感情。その言葉通り一切の感情を見せなかったリオに、アリシアが増々腹を立てた。
ゆらり、とアリシアの体が揺れる。と同時に、彼女はリオに飛びついた。リオの背中へ両手をまわし、リオの存在を確かめるように強く抱きしめる。
それまで耐えていた雫が、一粒ずつアリシアの頬を伝い床へと落ちていく。
「どうでもいいなんて、言わないで」
ぼろぼろと涙が頬を伝う。嗚咽と共に、どんどんと、とめどなく溢れ出してくる。
気づけばアリシアは、大きな声をあげながら泣いていた。部屋の中にはリオとアリシア以外、だれもいない。きっと、アルベラが気を使って全員を遠ざけたのだろう。
「りおざま、さがしまじたわよ!」
ぼろぼろと涙を零しながら、アリシアがリオの顔を真正面から見据える。
うまく笑えているだろうか?
そう思いながら、アリシアが精一杯笑顔を作る。
だが泣きながらだったせいで、ぎこちない笑顔となっていた。しかしアリシアは、悲しそうでありながらも、とても幸せそうだった。
一階は厨房や露天風呂、二部屋を繋げた大食堂と一番安価な宿泊用の個室。
二階は中堅クラスの宿泊用の個室と、従業員用の休憩室。
三階は最も高価な、最上クラスの宿泊用の個室。
各階には仲居が一人常駐しており、利用者の要望にすぐに応えられるようになっている。
アリシアが一階の廊下を歩きながら、ふと横に目をやる。雪見硝子から覗く、三又に分かれた老木が、空へ向かい雄々しくその身を示していた。その背後には、露天風呂から立ち上る湯気が見える。
デーンの後ろ姿を追いながら、階段を上っていく。
そうして四回階段を上り目的地への廊下を歩いていると、アリシア達の元に話し声が聞こえてきた。女性と子供の声だ。
声の主たちは喧嘩をしているのか、時折、怒鳴り声のように大きな声が聞こえる。
「なにやら不穏な雰囲気ですね……」
部屋の中から聞こえてきた声から、ただならぬ状況だと思ったのだろう。アルベラが神妙な面持ちを浮かべながら呟いた。
「片方はリオ君みたいですけど、もう一人は……フーさん?」
部屋の中から聞こえてくる声に聞き覚えのあったミーシャが首を傾げる。
「だれだ、それは」
「デーンさんの婚約者です」
フーという人物について訊ねて来たアルベラに、ミーシャが簡単に説明する。
「言動はキツイ感じの人ですけど、こんな風に怒鳴ったりはしない人です」
ミーシャの言葉にアルベラが眉間へと皺を寄せると、溜め息を吐きながら言う。
「現に怒鳴るような声が聞こえているのだが?」
「それは……何か理由があるんだと思います。そうでもなければ、無意味に怒鳴る人じゃないんです」
「意味があっても無くても構いません。リオ様の声が聞こえるということが事実である以上、それ以外は細事ですわ」
アリシアが勇み足に言う。どうやらアリシアの頭の中には、リオのことしか無いようだった。
リオがいること以外はどうでもよいことだと豪語したアリシアに、アルベラとミーシャが不安そうな瞳を向ける。今のアリシアは、リオがいなくなったばかりの頃に戻ったように見えたからだ。
「アリシア様。再会の瞬間を待ちわびるのは結構ですが、一人で突っ走る真似だけはやめてください」
「アリシアちゃん。興奮するのはわかるけど、一旦落ち着こう? ね?」
二人の言葉に、アリシアは背後を睨む。
「落ち着いていられるわけ…………そうですわね、ここに居る以上、リオ様は逃げませんもの」
「落ち着いていられるわけがないでしょう⁉」と吐き捨てようとしたアリシアが、大きく深呼吸する。
リオはもう目と鼻の先に居る。それならどうするべきなのか――
答えを求めたアリシアが、一つの答えに至る。
逃げない以上、一歩ずつ近づいていけばいい。焦る必要も、急ぐ必要もない。あそこにあるふすまを開ければ、そこにリオ様がいる。
部屋から聞こえてくる声は、次第に会話の内容が分かる距離になる。
「しょうもない嘘を吐かないでよ」
「嘘じゃないって言ってるだろう? すぐにデーンが連れて来るから」
「もういいんだ。こんな僕じゃみんなの役には立てないし、みんなも僕のことなんて忘れてる」
「そんなことはないって。本当に忘れてるんなら、わざわざ探しに来るわけがないだろう?」
「嘲笑いに来ただけかもしれないのに?」
「それならリオ、あんたには嘲笑われる理由があるのかい?」
「……わかんないよ」
直後、勢いよくふすまが開いた。溝に沿って開いたふすまは柱へとぶつかり、ガタン! と勢いよく音を立てる。
それから遅れること数秒。リオがふすまの方へと視線を向けながら、あんぐりと口を開けていた。
アリシアはそんなリオの姿を見て、胸を搔きむしられたような思いでいた。
美しかったはずの紫黒の瞳は輝きを失い、何もかもが他人事と思っているような表情。それはアリシアの知るリオとは別人のようだった。
「アリシア様……?」
リオが驚いた表情になる。アリシアは、目元から今にも零れ落ちそうな雫をこらえるために、目元を小さく震わせながら必死に耐えた。
まだリオ様のもとへ行っては、駄目。
喜びで駆け出したい本心を抑えながら、アリシアは口を開く。
「リオ様、先ほどの言葉は、本心ですか」
リオが辛い思いをしていたのにも関わらず、傍に居られなかった自分自身に腹を立てながら、アリシアは訊ねた。
「わからない。……もう、どうでもいいんだ」
リオは首を横に振りながら答える。
無感情。その言葉通り一切の感情を見せなかったリオに、アリシアが増々腹を立てた。
ゆらり、とアリシアの体が揺れる。と同時に、彼女はリオに飛びついた。リオの背中へ両手をまわし、リオの存在を確かめるように強く抱きしめる。
それまで耐えていた雫が、一粒ずつアリシアの頬を伝い床へと落ちていく。
「どうでもいいなんて、言わないで」
ぼろぼろと涙が頬を伝う。嗚咽と共に、どんどんと、とめどなく溢れ出してくる。
気づけばアリシアは、大きな声をあげながら泣いていた。部屋の中にはリオとアリシア以外、だれもいない。きっと、アルベラが気を使って全員を遠ざけたのだろう。
「りおざま、さがしまじたわよ!」
ぼろぼろと涙を零しながら、アリシアがリオの顔を真正面から見据える。
うまく笑えているだろうか?
そう思いながら、アリシアが精一杯笑顔を作る。
だが泣きながらだったせいで、ぎこちない笑顔となっていた。しかしアリシアは、悲しそうでありながらも、とても幸せそうだった。
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