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第1章ガレイ編
第四部・約束 4話
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それから1時間後。ジンの病室を後にしたリオの姿はエレナの病室にあった。
あの後、不機嫌なままジンと職員の姿を見ていたリオの元へ、看護師が姿を現しエレナの病室まで連れて来たのだ。
そしてエレナの方は診察後に眠ったらしく、リオが病室へと姿を現した時には既に病室のベッドの上で静かに寝息を立てていた。
「――以上がエレナさんの話してくださった内容です。念の為確認しますが、君は彼女の親戚で間違い無いですか?」
エレナを診察したらしき医者がリオに確認を求めてくる。
彼女は口にした内容とは、リオが自分の妹であること。冒険者集団「大鷲の翼」の一員。そして現在、彼女の実家へ仲間たちと向かっている、という内容だった。
それを聞いた上で彼はリオの事をエレナの親戚と考えたらしく、そうリオに尋ねたのだった。
「うん、エレナさんは僕の伯母さんだよ。お母さんのお姉さん」
医者の問いに対して首を縦に振りながら答えるリオ。それを聞いた医者は、診察の際にエレナに尋ねた内容と、たった今リオから聞いた内容を照らし合わせた上で考えられる可能性を口にしていく。
「恐らく、彼女は君に関する記憶が抜け落ちていると考えられます。いえ、正確には「記憶を思い出せない」と言う所でしょう。そして、思い出せない記憶の中で、何か不都合な事――例えば、妹さんの身に何かあったが故に、今残っている記憶に足りない部分を似た存在――今回で言えば君ですね――で補完している、といったところでしょうか」
「・・・・・・?」
医者が口にした内容を理解できず首を傾げるリオ。その姿を見た看護師が、医者に対して溜息を吐きながらリオに質問を投げかける。
「ぼくのお母さんは生きてる?」
「ううん、3年前に」
「・・・そう。ごめんね、嫌なことを聞いて」
リオの答えに申し訳なさそうな表情になる看護師へ「気にしないで」と口にするリオ。その台詞を聞いた看護師は、一旦深呼吸をしてから口を開く。
「・・・それでね。先生が言いたいのは、お母さんは今は居ないでしょ?」
「うん」
看護師の言葉に頷くリオ。
「今のエレナさんは、ぼくのお母さんは死んだと知っているの。でも、先生も言ったようにその事を思い出せないから、頭では知らない状態なの。・・・ここまではいい?」
そこまで説明した看護師は一旦リオが理解出来ているかを確認する。
「えっと、エレナさんはお母さんが居ないことを知っているけど、でもそのことが分からない、っていう事?」
リオが自分なりの解釈でそう口にする。
「そう。それで、今エレナさんはぼくと会う前の記憶しかないでしょ?」
「・・・もしかして、今のエレナさんは、お母さんが居るっていうことを確認するために僕をお母さんに見立ててるの?」
看護師の説明を聞いたリオは、はっとした表情を浮かべるとそう口にする。
何故、エレナがリオのことを自身の妹であるミサトだと思ったのか――それは、記憶喪失によって彼女の中で生まれた微妙な齟齬を、脳が何かしらの形で帳消しにしようとしていた為であった。
リオの台詞を聞いた医者と看護師が頷き同意する。
「・・・本当のことを伝えるのは?」
「今はまだ止めておいた方が良いでしょう、今後次第です」
恐る恐る尋ねたリオに対してはっきりとそう口にした医者に対して、それを聞いたリオが頷く。
「では私はこれで。何かあれば彼女が今日はこの部屋に居るので」
医者はそう口にすると病室を後にしたのだった。
医者が去った後のエレナの病室で、リオは看護師と雑談をしていた。――とは言っても初対面で年齢も親子ほどに離れている2人では話が弾む訳もなく、すぐに話題は最近あった事――2か月前の戦闘に関する話へと変わっていった。
それですらも30分も持たずに終わり、両者の間には静寂が訪れていた。
(エレナさん、なんとかしてよ・・・)
医者が去ってからまだ1時間も経っておらず、さらに話が続かないことから、目の前で眠るエレナにすら助けを求めるリオ。
そもそも、なぜリオが未だにエレナの病室に居るのかというと、現在もジンの病室にいるであろう職員の言っていた内容を確かめる為であった。
医者の話では、記憶喪失からリオの事をミサトだと思っていると告げられたが、リオはエレナが目を覚ました際の虚ろな瞳がどうしても気になっていたらしく、動揺していたのか、それとも何か別の可能性があるのでは、と考えていた。
そのため、こうしてエレナが目覚めるまで待っていようとしたリオだったが、未だにエレナは目を覚ます気配は無し、という状況であった。
しばらくの沈黙の後、看護師があらたな話題をリオへと振る。
「そ、そうだ。リオ君は「大鷲の翼」の人達と色んな場所に行ったんだよね?その中で印象に残っている場所ってどこかな?」
「えっと、ガルダっていう都市、かな」
「ガルダっていうと、飼育館があるっていう要塞都市、だったかな?」
リオの台詞を聞いた看護師がそう口にすると、リオが頷く。
エストラーダ皇国南東部、ミルテア国の国境付近にあるガルダという要塞都市は、周囲に広がる広大な牧草地を生かした放牧が盛んな場所であり、エストラーダ皇国のあるローレシア大陸でも数えるほどしか無い、各地に生息する生物を展示する「飼育館」と呼ばれる娯楽施設があり、要塞都市という物々しい場所とは思えないほどに活気のある都市である。
「うん。僕らは依頼で向かっただけだから、ゆっくりとは出来なかったんだけど――」
そう前置きしたリオは、要塞都市・ガルダであったことについて話していく。
リオ達の受けていた依頼とは、繁忙期となる飼育館の臨時スタッフという内容であり、リオにとっては職業体験に近い状態だったようで、看護師との会話の中で一番楽し気に話をしていく。
その姿を見ていた看護師は、相槌を打ちながら表情をほころばせていく。
「――ていうことがあったんだ」
「へえ。・・・いいなあ、私も体験したくなっちゃった」
リオの話を聞いている内に、飼育館の臨時スタッフという依頼に惹かれたのだろう、看護師が羨ましそうにそう口にした。
ガルダという要塞都市であった場所について盛り上がったリオと看護師。そんな2人を見守るように、病室にいるもう1人がぼんやりとした視線を向けていた。
その存在――ベッドで横になるエレナは、2人が気づかない内に目を覚ましていたらしく、リオの口にしていたガルダという都市であったという出来事についての記憶を辿っていた。
(私、ミサトとそんな場所に行った記憶はないのだけれど・・・)
だが彼女の記憶の中ではミサトと共にガルダという場所まで行ったという思い出は無かった。それどころか、エレナの中で小さな疑問が浮かび始める。
(でも、誰かと一緒に行ったような気はするのよね。・・・でも、いつ?)
リオの話していた内容に既視感を覚えたエレナは、先ほども感じた違和感を感じ始める。
まるで何かがぽっかりと抜け落ちているような感覚。体は覚えているが、それを言葉に出来ないという、なんともむず痒い感覚を感じたエレナ。
すると、不意にエレナの方へ視線を向けたリオが声を上げる。
「あ、エレナさん。いつ起きてたの?」
リオに声をかけられたエレナは、目の前にいる存在の背の小ささに違和感を覚える。
「・・・ミサト、ずいぶん、小さくなった、のね」
かすれた声でリオに声をかけるエレナ。だが彼女は、未だにリオの事をミサトだと思っているようで、虚ろな瞳のまま不思議そうな表情を浮かべる。
そんな彼女の姿にリオは先ほど医者に禁止された言葉を口にする。
「エレナさん、お母さんは・・・あなたの妹は死んだんだよ」
「ちょっと、リオ君!」
リオの台詞に声を上げる看護師。だが、リオはその声を気にせずに続ける。
「僕はエレナさんの妹の子供。エレナさんの妹じゃない」
リオがそこまで言い切ると、看護師がいよいよ慌てだす。すると彼女は病室を飛び出していった。おそらく、何があってもいいように先ほどの医者を呼びに行ったのだろう、廊下からは彼女の慌てた声が響いていた。
病室に2人きりになれたことはリオにとっては好都合だったのだろう、ここぞとばかりに医者から聞いた話を口にしていくリオ。
そしてそれを黙って聞いていたエレナは、リオの話が終わると、少し間を置いてから口を開いた。
「・・・だからなのね、合点がいった、わ」
「合点・・・?」
エレナの「合点がいった」という言葉に首を傾げるリオ。するとエレナは、先ほどのリオと看護師の会話で行ったと口にしていたガルダには「ミサトと行ったことは無い」と口にする。
「それと、君と、ミサトの背は、違いすぎるもの」
リオの身長を見ながら言い切るエレナ。
「よかった、全部忘れちゃったのかと思った・・・」
自分のことを全て忘れていると思っていたリオが涙を流しながらそう口にする。だが、ここまでのエレナの台詞はリオの事を覚えているからという訳ではなかったようで――
「・・・ごめんね、本当は、君のことは、覚えてないの。今も、状況から、そう考えた、だけなの・・・。だから、ミサトが死んだ、なんて、信じられない」
申し訳なさそうにリオに告げる。それを聞いたリオは涙を拭うように目元をこすると、安心したように呟く。
「ううん、急に言われても困るもんね。・・・でも、完全に忘れた訳じゃなくて良かった」
リオがそう呟いた直後、先ほど部屋を飛び出して行った看護師が戻ってきたらしく、病室の外から騒がしい声が聞こえてきた。
「・・・君、先ほどまだ話してはダメだと言いましたよね?」
医者が病室に入るなり、開口一番に冷たい声がリオに向かって放たれる。対するリオはエレナのそばで小さくなりながら項垂れていた。
「・・・それで、エレナさん。おそらくこの子から聞いたとは思いますが、何か思いだしましたか?」
医者の質問に対して首を振るエレナ。だが、新しい発見はあったようで――
「私が、記憶を、思い出せない、ということは、分かりました」
リオの方を見ながらそう口にする。そんなエレナの視線の先にいるリオは現在、看護師にこってりと絞られている最中であり、何度も「ごめんなさい」と口にしていた。
「――今回は結果オーライとしましょう。・・・ですが、今後は勝手なことはしないように」
「はい・・・」
看護師に叱られた後、医者から再度釘を刺されるリオ。そうして医者は再び病室を去って行き、看護師が険しい表情のままリオの監視を始める。
「・・・エレナさん、怪我が治ったらミストに行かない?」
「ええ。私も、元々は、そこに行くつもり、だったから」
背後から感じる、鋭い視線を感じながらそう口にしたリオに対してそう答えるエレナ。
「退院したら、私たちにどうこう言う権利は無いので構いません」
エレナの答えを聞いたリオが窺うように看護師を見ると、彼女は険しい表情のままそう口にする。そしてそれを聞いたリオは、1人同行者を増やしていいか尋ねる。
「メイン、っていう子なんだけど、王都の郊外に親戚の人が居るんだって。ミストに寄るのはそのついでなんだけど、いいかな?」
「ええ。きみは、優しいのね。ミサトとは、大違い」
リオの台詞にそう答えるエレナ。するとリオは「自分がミサトと違う」というエレナの発言に興味を持ったようで、そのことを聞こうとするが――
「そこまでです。仮にも相手は今日目を覚ましたばかりなんですよ。・・・エレナさんも、今日はここまでです」
看護師によって病室から退室させられてしまう。それに対してリオは抵抗しようと試みたが、看護師の「駄目です」という言葉と共に見せられた、笑顔の圧力によって引き下がったのだった。
(・・・お母さんの昔話、気になるのに)
あの優しかった母親が昔は全く違ったというエレナの言葉。
ミサトの過去――彼女が《俊閃の女王》の設立した教育機関に居た時の話はミリーから聞いたが、リオがちゃんと知るのは、その何年も後である「母親としてのミサト」しか知らない。
大好きな母親の事を知りたい、というのは子供にはよくある感情だろう。そしてリオは、その質問をする前に母親を失った。それ故に、エレナの口にした言葉はリオの興味を引いたのだ。
実は、リオもエレナもミサトについての話題は互いに遠慮していた為、今の今まで彼女に関する話が2人の間だけで出てきたことは、初めて会ったあの日以外一度たりとも無かったのである。
(でも、ミリーさんの話の通りならエレナさんはあんなことは言わないと思うんだけどな)
不意にジンとミリーの出会った時の話を思い出すリオ。その話の中のミサトは、リオの抱く印象と同じ「優しい存在」であった。だがエレナは「ミサトとは大違い」と確かに口にしたのである。
(・・・今度また聞いてみよう)
そう心に決めたリオは、病院を後にしたのだった。
あの後、不機嫌なままジンと職員の姿を見ていたリオの元へ、看護師が姿を現しエレナの病室まで連れて来たのだ。
そしてエレナの方は診察後に眠ったらしく、リオが病室へと姿を現した時には既に病室のベッドの上で静かに寝息を立てていた。
「――以上がエレナさんの話してくださった内容です。念の為確認しますが、君は彼女の親戚で間違い無いですか?」
エレナを診察したらしき医者がリオに確認を求めてくる。
彼女は口にした内容とは、リオが自分の妹であること。冒険者集団「大鷲の翼」の一員。そして現在、彼女の実家へ仲間たちと向かっている、という内容だった。
それを聞いた上で彼はリオの事をエレナの親戚と考えたらしく、そうリオに尋ねたのだった。
「うん、エレナさんは僕の伯母さんだよ。お母さんのお姉さん」
医者の問いに対して首を縦に振りながら答えるリオ。それを聞いた医者は、診察の際にエレナに尋ねた内容と、たった今リオから聞いた内容を照らし合わせた上で考えられる可能性を口にしていく。
「恐らく、彼女は君に関する記憶が抜け落ちていると考えられます。いえ、正確には「記憶を思い出せない」と言う所でしょう。そして、思い出せない記憶の中で、何か不都合な事――例えば、妹さんの身に何かあったが故に、今残っている記憶に足りない部分を似た存在――今回で言えば君ですね――で補完している、といったところでしょうか」
「・・・・・・?」
医者が口にした内容を理解できず首を傾げるリオ。その姿を見た看護師が、医者に対して溜息を吐きながらリオに質問を投げかける。
「ぼくのお母さんは生きてる?」
「ううん、3年前に」
「・・・そう。ごめんね、嫌なことを聞いて」
リオの答えに申し訳なさそうな表情になる看護師へ「気にしないで」と口にするリオ。その台詞を聞いた看護師は、一旦深呼吸をしてから口を開く。
「・・・それでね。先生が言いたいのは、お母さんは今は居ないでしょ?」
「うん」
看護師の言葉に頷くリオ。
「今のエレナさんは、ぼくのお母さんは死んだと知っているの。でも、先生も言ったようにその事を思い出せないから、頭では知らない状態なの。・・・ここまではいい?」
そこまで説明した看護師は一旦リオが理解出来ているかを確認する。
「えっと、エレナさんはお母さんが居ないことを知っているけど、でもそのことが分からない、っていう事?」
リオが自分なりの解釈でそう口にする。
「そう。それで、今エレナさんはぼくと会う前の記憶しかないでしょ?」
「・・・もしかして、今のエレナさんは、お母さんが居るっていうことを確認するために僕をお母さんに見立ててるの?」
看護師の説明を聞いたリオは、はっとした表情を浮かべるとそう口にする。
何故、エレナがリオのことを自身の妹であるミサトだと思ったのか――それは、記憶喪失によって彼女の中で生まれた微妙な齟齬を、脳が何かしらの形で帳消しにしようとしていた為であった。
リオの台詞を聞いた医者と看護師が頷き同意する。
「・・・本当のことを伝えるのは?」
「今はまだ止めておいた方が良いでしょう、今後次第です」
恐る恐る尋ねたリオに対してはっきりとそう口にした医者に対して、それを聞いたリオが頷く。
「では私はこれで。何かあれば彼女が今日はこの部屋に居るので」
医者はそう口にすると病室を後にしたのだった。
医者が去った後のエレナの病室で、リオは看護師と雑談をしていた。――とは言っても初対面で年齢も親子ほどに離れている2人では話が弾む訳もなく、すぐに話題は最近あった事――2か月前の戦闘に関する話へと変わっていった。
それですらも30分も持たずに終わり、両者の間には静寂が訪れていた。
(エレナさん、なんとかしてよ・・・)
医者が去ってからまだ1時間も経っておらず、さらに話が続かないことから、目の前で眠るエレナにすら助けを求めるリオ。
そもそも、なぜリオが未だにエレナの病室に居るのかというと、現在もジンの病室にいるであろう職員の言っていた内容を確かめる為であった。
医者の話では、記憶喪失からリオの事をミサトだと思っていると告げられたが、リオはエレナが目を覚ました際の虚ろな瞳がどうしても気になっていたらしく、動揺していたのか、それとも何か別の可能性があるのでは、と考えていた。
そのため、こうしてエレナが目覚めるまで待っていようとしたリオだったが、未だにエレナは目を覚ます気配は無し、という状況であった。
しばらくの沈黙の後、看護師があらたな話題をリオへと振る。
「そ、そうだ。リオ君は「大鷲の翼」の人達と色んな場所に行ったんだよね?その中で印象に残っている場所ってどこかな?」
「えっと、ガルダっていう都市、かな」
「ガルダっていうと、飼育館があるっていう要塞都市、だったかな?」
リオの台詞を聞いた看護師がそう口にすると、リオが頷く。
エストラーダ皇国南東部、ミルテア国の国境付近にあるガルダという要塞都市は、周囲に広がる広大な牧草地を生かした放牧が盛んな場所であり、エストラーダ皇国のあるローレシア大陸でも数えるほどしか無い、各地に生息する生物を展示する「飼育館」と呼ばれる娯楽施設があり、要塞都市という物々しい場所とは思えないほどに活気のある都市である。
「うん。僕らは依頼で向かっただけだから、ゆっくりとは出来なかったんだけど――」
そう前置きしたリオは、要塞都市・ガルダであったことについて話していく。
リオ達の受けていた依頼とは、繁忙期となる飼育館の臨時スタッフという内容であり、リオにとっては職業体験に近い状態だったようで、看護師との会話の中で一番楽し気に話をしていく。
その姿を見ていた看護師は、相槌を打ちながら表情をほころばせていく。
「――ていうことがあったんだ」
「へえ。・・・いいなあ、私も体験したくなっちゃった」
リオの話を聞いている内に、飼育館の臨時スタッフという依頼に惹かれたのだろう、看護師が羨ましそうにそう口にした。
ガルダという要塞都市であった場所について盛り上がったリオと看護師。そんな2人を見守るように、病室にいるもう1人がぼんやりとした視線を向けていた。
その存在――ベッドで横になるエレナは、2人が気づかない内に目を覚ましていたらしく、リオの口にしていたガルダという都市であったという出来事についての記憶を辿っていた。
(私、ミサトとそんな場所に行った記憶はないのだけれど・・・)
だが彼女の記憶の中ではミサトと共にガルダという場所まで行ったという思い出は無かった。それどころか、エレナの中で小さな疑問が浮かび始める。
(でも、誰かと一緒に行ったような気はするのよね。・・・でも、いつ?)
リオの話していた内容に既視感を覚えたエレナは、先ほども感じた違和感を感じ始める。
まるで何かがぽっかりと抜け落ちているような感覚。体は覚えているが、それを言葉に出来ないという、なんともむず痒い感覚を感じたエレナ。
すると、不意にエレナの方へ視線を向けたリオが声を上げる。
「あ、エレナさん。いつ起きてたの?」
リオに声をかけられたエレナは、目の前にいる存在の背の小ささに違和感を覚える。
「・・・ミサト、ずいぶん、小さくなった、のね」
かすれた声でリオに声をかけるエレナ。だが彼女は、未だにリオの事をミサトだと思っているようで、虚ろな瞳のまま不思議そうな表情を浮かべる。
そんな彼女の姿にリオは先ほど医者に禁止された言葉を口にする。
「エレナさん、お母さんは・・・あなたの妹は死んだんだよ」
「ちょっと、リオ君!」
リオの台詞に声を上げる看護師。だが、リオはその声を気にせずに続ける。
「僕はエレナさんの妹の子供。エレナさんの妹じゃない」
リオがそこまで言い切ると、看護師がいよいよ慌てだす。すると彼女は病室を飛び出していった。おそらく、何があってもいいように先ほどの医者を呼びに行ったのだろう、廊下からは彼女の慌てた声が響いていた。
病室に2人きりになれたことはリオにとっては好都合だったのだろう、ここぞとばかりに医者から聞いた話を口にしていくリオ。
そしてそれを黙って聞いていたエレナは、リオの話が終わると、少し間を置いてから口を開いた。
「・・・だからなのね、合点がいった、わ」
「合点・・・?」
エレナの「合点がいった」という言葉に首を傾げるリオ。するとエレナは、先ほどのリオと看護師の会話で行ったと口にしていたガルダには「ミサトと行ったことは無い」と口にする。
「それと、君と、ミサトの背は、違いすぎるもの」
リオの身長を見ながら言い切るエレナ。
「よかった、全部忘れちゃったのかと思った・・・」
自分のことを全て忘れていると思っていたリオが涙を流しながらそう口にする。だが、ここまでのエレナの台詞はリオの事を覚えているからという訳ではなかったようで――
「・・・ごめんね、本当は、君のことは、覚えてないの。今も、状況から、そう考えた、だけなの・・・。だから、ミサトが死んだ、なんて、信じられない」
申し訳なさそうにリオに告げる。それを聞いたリオは涙を拭うように目元をこすると、安心したように呟く。
「ううん、急に言われても困るもんね。・・・でも、完全に忘れた訳じゃなくて良かった」
リオがそう呟いた直後、先ほど部屋を飛び出して行った看護師が戻ってきたらしく、病室の外から騒がしい声が聞こえてきた。
「・・・君、先ほどまだ話してはダメだと言いましたよね?」
医者が病室に入るなり、開口一番に冷たい声がリオに向かって放たれる。対するリオはエレナのそばで小さくなりながら項垂れていた。
「・・・それで、エレナさん。おそらくこの子から聞いたとは思いますが、何か思いだしましたか?」
医者の質問に対して首を振るエレナ。だが、新しい発見はあったようで――
「私が、記憶を、思い出せない、ということは、分かりました」
リオの方を見ながらそう口にする。そんなエレナの視線の先にいるリオは現在、看護師にこってりと絞られている最中であり、何度も「ごめんなさい」と口にしていた。
「――今回は結果オーライとしましょう。・・・ですが、今後は勝手なことはしないように」
「はい・・・」
看護師に叱られた後、医者から再度釘を刺されるリオ。そうして医者は再び病室を去って行き、看護師が険しい表情のままリオの監視を始める。
「・・・エレナさん、怪我が治ったらミストに行かない?」
「ええ。私も、元々は、そこに行くつもり、だったから」
背後から感じる、鋭い視線を感じながらそう口にしたリオに対してそう答えるエレナ。
「退院したら、私たちにどうこう言う権利は無いので構いません」
エレナの答えを聞いたリオが窺うように看護師を見ると、彼女は険しい表情のままそう口にする。そしてそれを聞いたリオは、1人同行者を増やしていいか尋ねる。
「メイン、っていう子なんだけど、王都の郊外に親戚の人が居るんだって。ミストに寄るのはそのついでなんだけど、いいかな?」
「ええ。きみは、優しいのね。ミサトとは、大違い」
リオの台詞にそう答えるエレナ。するとリオは「自分がミサトと違う」というエレナの発言に興味を持ったようで、そのことを聞こうとするが――
「そこまでです。仮にも相手は今日目を覚ましたばかりなんですよ。・・・エレナさんも、今日はここまでです」
看護師によって病室から退室させられてしまう。それに対してリオは抵抗しようと試みたが、看護師の「駄目です」という言葉と共に見せられた、笑顔の圧力によって引き下がったのだった。
(・・・お母さんの昔話、気になるのに)
あの優しかった母親が昔は全く違ったというエレナの言葉。
ミサトの過去――彼女が《俊閃の女王》の設立した教育機関に居た時の話はミリーから聞いたが、リオがちゃんと知るのは、その何年も後である「母親としてのミサト」しか知らない。
大好きな母親の事を知りたい、というのは子供にはよくある感情だろう。そしてリオは、その質問をする前に母親を失った。それ故に、エレナの口にした言葉はリオの興味を引いたのだ。
実は、リオもエレナもミサトについての話題は互いに遠慮していた為、今の今まで彼女に関する話が2人の間だけで出てきたことは、初めて会ったあの日以外一度たりとも無かったのである。
(でも、ミリーさんの話の通りならエレナさんはあんなことは言わないと思うんだけどな)
不意にジンとミリーの出会った時の話を思い出すリオ。その話の中のミサトは、リオの抱く印象と同じ「優しい存在」であった。だがエレナは「ミサトとは大違い」と確かに口にしたのである。
(・・・今度また聞いてみよう)
そう心に決めたリオは、病院を後にしたのだった。
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