My Diary

ぬこぬこ麻呂ロン@劉竜

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12月28日・後編

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 今日で幼稚園の年中生として過ごす、最後の日。俺はいつものように、ひかりと一緒に俺たちを迎えに来た母と、その時はまだ自宅だった祖父の家に車で帰っている最中だった。

「はい。――あ、お義父さん?・・・え?・・・はい、はい。わかりました」

 信号待ちの最中、急に着信音の鳴った携帯に母が出る。相手は祖父だったらしく、通話を終えた時の母の表情は何といえばいいのか、今でも分からない。それこそ、たくさんの感情が滅茶苦茶に混ざり合ったような、複雑な表情だったからだ。

「おかあさん、どうしたの?」

 俺は母に何気なしに尋ねた。すると母は、取り繕うような笑顔を浮かべると、俺たち――いや、主に光を安心させるように口を開いた。

「なんでもないわ。なんでも、光ちゃんのママ達、今日はお仕事で遅いらしいの。だから、家に連れてきなさいって」

 当時幼かった俺は、母の言葉を聞いて納得した。今となって思えば、この瞬間に色々おかしいと気づくべきだった。普段は光を一度家に送って、留守の場合家に連れていくようにしていたからだ。・・・なのに、その日はわざわざ、祖父が母に連絡を入れてきたのだ。
 幼稚園から車で30分。ようやく自宅に到着した俺と光は、祖父に言われ地元の友達のところへと遊びに行く。――きっと、その間に祖父が母に事情を説明していたんだろう。友達のところから帰ってきた俺たちに、母から衝撃的な言葉が放たれたのだから。

「光ちゃんのご両親、まだ帰って来ていないの。だから、今日は泊まろう?」

「うん」

 母の言葉に光が頷いて返す。そんな光を見た母が、光だけを祖父母――当時はまだ祖母も健在だった――の寝室へと連れて行き、戻ってくると俺に簡単にだが事情を説明してくれた。

あらた。実は、光ちゃんのママ達、どこに行ったか分からないの。お昼ぐらいから連絡が取れないんだって幼稚園の先生がおじいちゃんに連絡したんだって」

「え、なんで?」

 母の説明に、俺はそう答える事しかできなかった。話の内容もだが、両親が子供を捨てるということが分からなかったからだ。
 俺は両親に祖父母に囲まれて育ってきたため、非常に幸せ者だったのだろう、と今では思う。
 だが俺の言葉は、母にとっては予想外だったのか、それともこれ以上は話を掘り下げたくなかったのか。どちらかは分からないが、母が少し困ったような表情を浮かべる。
 そんな母の表情を見た俺は、幼いながらに光にとって良くないことが起きたんだと確信し、それがとても酷いことなんだと確信した。

「おかあさん、俺がひかりちゃんをまもる」

 単純に女の子が大変な目に遭っているから助けたい。友達が大変な目に遭っているから助けたい――今思えば、何とも子供らしい感情から出た言葉だろうか。
 だが、母は嬉しそうな表情を浮かべると、俺をそっと抱き寄せた。



 その後、俺と母は祖父母と共にいた光の元へと向かった。

「いやだいやだいやだ!そんなことないもん!」

 祖父母の寝室の前で、俺は光が駄々をこねる声に驚いたことをよく覚えている。今でこそ元気な少女だが、元々は根暗な子で、幼稚園でも、友達と遊んでいる時でも、彼女はあそこまで感情を見せたことは無かったからだ。――おそらく、その時の彼女は聞きたくないことを聞き、自分が独りぼっちになったという恐怖を感じていたのだろう。
 恐怖という感情は、他の感情よりも人間の内面が露呈しやすい。なぜなら、生命の本能に一番近い部分が呼び起こされる感情だからだ。良い言い方をすれば、一番その人らしくなるともいえる。――大抵の場合は碌なことはないが。

「お義父さん、お義母さん。入ります」

 母がそう言って、寝室と居間を区切るふすまを開ける。するとそこには、祖父の胸板を叩く光と、困った表情を浮かべる祖父母の姿があった。
 開いたふすまを見る祖父母。その先に俺と母の姿を認めた2人は、光に声をかける。

「ほら、新が来てくれたぞ。きっと、あの子が家族になってくれる」

 祖父の言葉を聞いて、ゆっくりと俺の方を見る光。やがて俺と目が合うと、脱兎の如く俺にしがみついてくる。

「あらたくん、ママは?パパは?どこにいるの?ねえ、ねえっ!」

 恐怖、怒り、悲しみ。果てには絶望。ありとあらゆる負の感情が混ざり合った光の瞳は、例えるなら砂上の楼閣だろう。当時5歳の俺が感じてしまった、いつその心が壊れてもおかしくない、そんな危険さを感じさせるものだった。

「ひかりちゃん、2人は、ひかりちゃんのためにおしごとしてるんだよ」

 まるで闇に飲み込まれそうな感覚を覚えながらも、俺はなんとか励ますような言葉をかけ続け――

「どうしてもつらかったら、俺がひかりちゃんの家族になるよ」

 それは彼女のために・・・いや、彼女の事だけを思って言った言葉だ。もし、自分が同じようになったら。それだけを考えて、なんとかひねり出した言葉。
 一歩間違えば、俺は光と共に今頃この世界にいなかったかもしれない。それでも俺はこの子を助けたいと願った。
 多分、その頃俺は光のことが好きだったんだろう。初恋、というやつかもしれない。正直、今でもそうなのかはよく分からないが。
 そんな俺の言葉は、なんとか少女の心を救うことができたらしく、光はきょとんとした視線を俺に向けながらも、少しずつ笑顔になっていった。

「ほんとう?それじゃあ、いまからでもいいの?」

 俺の言葉を聞いた光はそう口にする。それに対して俺が頷いてやると、窺うような視線を母たちに向けた。

「それじゃあ、新はお兄ちゃんね」

「そうじゃのう。新、頑張れよ」

「光ちゃんのご両親が戻って来てからもずっと、ね」

 光に視線を向けられた母たちが、彼女と俺を勇気づけるようにそれぞれ口を開く。そうして光は――

「じゃあ、あらたくん・・・じゃあなくて、おにい、ちゃん」

 少し照れ気味に、そう口にしたのだった。



「大丈夫だ。約束したろ?」

 俺は抱き着いてきた光をあやしながら、何度も何度も声をかけ続ける。
 あの後、結局光の両親は今も行方知れずのままである。実は、光が芸能界へと足を踏み入れたのは行方不明の両親を探すためでもあった。
 実際にはあるプロデューサーが、小学校で俺といる光の姿を偶然目撃しスカウトしたことがきっかけだったのだが、その話を聞いていた俺がその人に光の過去を話し交渉したのだ。
 幸い、涙脆いというか心の広い方だったので、光の過去を知ったうえで彼も両親探しを手伝うと申し出てくれた。――今思えば、我ながら大胆なことをしたと思う。
 その後、光は無事芸能界デビュー。超絶ハイテンションなキャラが売れ今に至るのだが、先ほども言った通り、彼女の両親からは一切音沙汰がない。

「うん、そう、だよね。ごめんなさい、不安になっちゃって」

 涙を流しながらそう呟く光。そんな彼女が泣き止むまで、俺はずっと言葉をかけ続けたのだった。



 それから1時間後。次第に日が暮れ始める時間が近づいてきた頃、俺と光はいまだに姿を見せないみやこのことを心配していた。
 別れる際、彼女は日が暮れる前までには顔を出すと言っていた。準備をする時間を考えると、そろそろ姿を見せてもおかしくはないのだが、みやこは一向に姿を現さない。

「しゃーない。・・・じいちゃん、みやこがまだ来ないみたいだから、ちょっと食料買いに行ってくるよ」

「なに?みやこのやつ、まだ来てないのか。・・・ほれ、これで好きなもの買ってきなさい」

 俺はこのままでは夕食が抜きになりそうな予感がしたため、祖父に声をかけた。すると、祖父は財布を取り出すと諭吉様を取り出し、俺に手渡してくる。

「いやいや、1万もいらないって!5千で十分だから!」

 なんの抵抗もなく一万円札を手渡してきた祖父に、俺は慌てて突き返す。すると、祖父は困った表情を浮かべながら――

「そう言われてものう、今手元に一万円札しかないんじゃ」

 財布の中身を俺に見せてくる。だが、俺は知っている。祖父は各種硬貨と札をいくらかストックしていることを。

「いや、じいちゃん。ストックしてるの知ってるからね?」

「あれはわしのコレクションじゃ。どれも珍しい年の硬貨や紙幣なんじゃぞ?」

 俺が指摘すると、自慢げに答える祖父。まさか、そんな趣味があったとは・・・それなら、そっちにしてくれとは言えないな。

「分かったよ。それじゃ、みやこが来たら買い出しに言ってるって伝えといて」

「なんじゃ、書置きでも残しておけばよかろうに。・・・まあいいわ」

 面倒くさそうに答える祖父。この感じだと、みやこが来ても何も言わなさそうな気がしたので、書置きは念のため残していこう。うん、その方がいい気がしてきた。

「じゃ、行ってくるから」

 最後にそう言い残すと、俺は簡単なメモ書きを残して、光と共に麓のスーパーへと向かったのだった。



 それから2時間半後。すでに太陽は地平線の向こうへと沈み、それでもなお未だ己が存在を示すように空を赤く染めていた頃。
 麓のスーパーから帰ってきた俺と光は、2人で夕食を作るために台所に立っていた。普段であれば祖父が用意してくれるのだが、帰ってきた時には寝室にいなかったからである。
 2人で並び、時折会話をしながら作っていく俺たち。お互いにレパートリーは無いに等しいが、今の世の中は大変便利なもので、レシピくらいならスーパーで販売している書籍でもネットにでもごまんと転がっている。
 そんな数あるレシピたちの中から俺たちが作ろうとしたのは、岡山の郷土料理でもあるばら寿司ことちらし寿司だった。幼少期によく食べていたため「どうにかなるだろう」と判断したからである。

「ええっと、お米にお酢を大さじ5杯、砂糖を大さじ4杯、酒ってどこだ?・・・あ、あった」

「この錦糸卵って卵焼き作って切ればいいのかなぁ?・・・あ、あれ?書いてない」

 作ろう、とは言ったものの、残念ながら普段料理なんてしない人間からしたら、俺たちが参考にしたレシピは難易度が高かったらしく作業は遅々として進まなかった。
 どうやらそのレシピは初心者向けではなく、ある程度料理に慣れ親しんだ人向けのものだったらしく、一から十まで教えられないと分からない側からすると、もはや古文書の類だった。
 それでもなんとか記憶を頼りに作っていくことで、時間はかかったが何とか食べられるクオリティの物は出来上がった。

「なんじゃ、祝い事もないのにばら寿司か?」

 食卓に並んだ不格好なちらし寿司を見て、祖父が面白そうといった表情になる。たしかに祖父の言う通り、ちらし寿司は今では祝い事で食べられることが多い。だが今回作ったのは、たまには祖父にちらし寿司を、という思いからであった。
 だが、そのことを悟られるわけにはいかないので、俺は適当な嘘を吐いた。

「いや、単純に一番作りやすそうだったからさ」

「はっはっは。なら、大変だったろう?シンプルそうに見えて工程は多いからのう」

 祖父にそう指摘され、苦笑いを浮かべる。たしかに、思っていたよりもたくさんの工程があった。これをちゃちゃっと作っていた母には頭が上がらないな。

「まあ、次はもっと手際よく出来ると思うぞ」

 そう言いながら、祖父は時計を見る。時刻は間もなく7時になろうとしているが、祖父が夕食をとる時間は6時ごろである。いつもより1時間も遅いとなれば、いくら孫が作ってくれても思うところはあるのだろう。加えて、就寝時間まであと1時間と考えると・・・うん、なんだか勝手に悪いことをした気分になるな。

「とはいえ、孫の手作り料理じゃ。これだけで十分祝い事じゃのう」

 そう口にした祖父は、食卓の中央に鎮座するちらし寿司からいくらかを取り皿に分けると、夢中になって食べ始める。

「・・・美味しいぞ、2人とも。懐かしい味を思い出したわい」

 そう口にする祖父の表情は、どこか嬉し気だった。懐かしい味、ということは祖母か曾祖父母辺りの味なのだろうか。ともかく、喜んでもらえたのならよかった。わざわざ祖母の残していたレシピを参考にした甲斐があったというものだ。

「やったね、お兄ちゃん」

「だな」

 光と顔を見合わせながら互いに頷き合う。そうこうしていると、祖父がちらし寿司の半分近くをその胃の中へと収めていた。

「ふぅー、久しぶりに食べたのう。・・・まさかとは思うが、おばあちゃんの味を再現しようとしたのか?」

 食べ終えた祖父がそう口にする。まさかあれだけで感づかれるとは思わなかったが、ここらでネタ晴らし、というのもいいかもしれない。

「バレちゃった?・・・じいちゃんの言う通り、ばあちゃんの残してたレシピで作ったんだ。ただメモ書きくらいの情報しか無かったから、結構苦戦したけど」

 俺の言葉を聞いた祖父が、驚いた表情を浮かべた後に、今にも涙があふれてきそうな表情になる。

「そうか。まさか、またあいつに感謝できる時がくるなんてのう・・・」

 そう口にしながら、部屋の天井を仰ぎ見る祖父。・・・俺にはまだ分からないが、いつか俺も、同じことを思う日が来るんだろうか?――だとしたら、勿体ないくらいにとても幸せなことだな。

「じゃが、ここにみやこがおらんのも寂しいのう」

 不意に、祖父がそう口にする。確かに、ここにみやこがいればどれだけいいだろうか。・・・きっと、文句を言いながらも俺たちの作ったちらし寿司をつまむんだろうな。
 それで――

「何、これ。ちらし寿司舐めてるのかしら?まあ、一応美味しいからいいけど」

 とか言うんだろうな。それから――

「今度ちゃんと教えてあげる。昨日の約束のお礼に」

 とか言って、そっぽを向くに違いない。ちょうど、ここにみやこがいたら、今見えてるみたいに――って、ええ!?

「ちょっと、聞いてるの?」

「み、みみみ、みやこ!?いつの間にそこに?」

 気づくと、いつも通りの場所に座るみやこの姿。なぜか彼女は、さも当然のようにそこでちらし寿司を口に運んでいた。



「いつからそこにいたんだよ?」

 突然視界に入ってきたみやこに驚き戸惑いながらも俺は声をかける。するとみやこは、少しだけ罰が悪そうな表情を浮かべながら、今日あったことを話し始めた。
 なんでも、昼食の後急に団体での予約が入ったらしく、急遽店の手伝いをすることになったという事。そして準備をしている内に、気づけば日が暮れていたこと。そして今しがた、ようやく家を出ることができたということだった。

「ごめんなさい。何も言わずに」

「いや、そういう事情なら仕方ないだろ。むしろ、あの短い距離で何かあったのかって心配してたくらいだし」

 項垂れるみやこに対し、俺がそう声をかける。心配したのは事実だし、ひとまずこうやって顔を出してくれたんだから、俺としては何も言うことは無い。
 どうやらそれは祖父も同じようで、おれの言葉に同調するように頷いていた。ただし、残る光はというと。

「もう少しでお兄ちゃんといちゃいちゃ出来そうだったのにぃー」

 頬を膨らませながらそう口にしていた。だがそれは彼女なりの冗談だったらしく、すぐに俺の言葉に同意するように口を開いた。

「でも、何もなくて良かったよ。お兄ちゃん、ちょっと悲しそうだったもん」

「新君が?」

「うん。お兄ちゃん、平子ひらこさんのことずーっと気にしてたんだもん。ちょっと妬けちゃった」

 あれ?俺、そんなにみやこのことを口にしたか?・・・いや、確かに「事故に遭ってないか」とか「誘拐されたりしてないか」とか、いろいろ言った気がするが、ずーっとっていうほどだっただろうか?

「そう、なの。・・・新君、ありがとう」

「いや、別にお礼を言われるほどじゃ。別に普通だろ?友達のことを心配するなんてさ」

「ふふ、そうね」

 俺の言葉に対し上機嫌になるみやこ。なにはともあれ、彼女が無事なんならよかった。もう会えなくなったりしたら寂しいからな。
 ・・・なんで俺は今「寂しい」なんて思ったんだ?・・・いや、友達なんだから会えなくなるのは寂しいに決まってるな。
 なぜか不思議に思った感情をそう結論付けることで押さえつける。だが、どうしてか「寂しい」という思いが、光や林太達に抱くものとは異なった気がしていた。
 そんなもやもやを抱えていると、不意にみやこから声が上がる。

「その、お詫びと言ったらあれだけど、3人で明日買い物に行かない?」
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